アフガニスタン日記
戦後である。そこに広がる光景はまさしく戦後であった。
国連機が降り立ったカブール国際空港の滑走路脇には、焼け爛れた輸送機と戦闘機が横たわり、空港ビルは床も天井も弾痕でボロボロ。街の中心部へと続くアスファルトは地雷や空爆で穴だらけ。その道路を囲むようにして立つ、ほとんどが二階建ての建物は壁が焼けこげたり、砲弾で空いた穴があったり、瓦礫の山であったりする。道路沿いの溝にはヘドロのようなものがたまり、異臭がする。

そして、活気がある。

市場の入り口では大勢の両替商が数え切れない札束を抱え、市場に入ればできたてのナンが山積みにされ、中東の名産である絨毯がロールになって並び、サンダルや鞄を売る店があれば、民族衣装を売る店もある。道路脇には果物や野菜、アフガニスタン料理を売る露店もある。そして、そこにハエがたかる。

テレビや写真集で見た日本の戦後と重なった。

日本は朝鮮特需から高度経済成長へと奇跡的な復興を遂げて今がある。見渡す限り続くあまりに広大な地雷原を、NGOの人たちが正座しながら数cmずつ耕すように掘り返してひとつひとつ地雷を除去していく姿を見て、果たしてこの国にその奇跡は訪れるのか気が遠くなった。地雷を除去しないと農業が成り立たない。故郷に戻れない。この国の未来にとって、地雷はあまりに大きな障害なのだ。

しかし、この国に暮らす人たちは明るかった。人懐っこくて、親切で、笑顔が素敵だった。家が崩れ落ちていても、片足がなくても、片親でも。
1969年のソ連侵攻以降、ソ連対ムジャヒディン、ムジャヒディン同士の戦い、タリバンの台頭、北部同盟対タリバン、アメリカの空爆と30年以上降り注いだミサイルの嵐が、我々にとっての雨と同じようなもので、戦争という状態に慣れていた。
こんなことに慣れてはいけない。

瓦礫の山と化した大学病院を建て直し、タリバンによって徹底的に破壊された学校を建て直し、まるでポンペイの遺跡のようになってしまった街も作り直して、その街の真ん中に置き去りにされたドラム缶大の不発弾も処理して、ソ連軍が置いていった無数の戦車も大砲も地雷も全て片づけて、平和を作らなければいけない。
そして、私に「医者になる」と約束した子供たちが大きくなって、日本に遊びにこられる日がなるべく早く来て欲しい、と心から願う。

フジテレビ アナウンサー 森下 知哉
アフガニスタンの現状01
限りなく広がる地雷原
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地雷撤去作業を取材
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地雷を目の前に取材する森下アナ
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