「西半球で最も貧しい」というハイチ共和国
 
担当ディテクター 島本講太
小林晴一郎 最初に目に飛び込んで来たのが、壊れたままの建物とテントで暮らす人々でした。まるで地震発生直後のような光景で、大地震から6カ月も経ったとは思えませんでした。

劣悪な環境でテント生活を続けている人々への取材を試みましたが、住人たちはカメラを向けると怒り出したりするため、取材は困難を極めました。
特に仕事もなく、お金を稼ぎようがないため、テント生活から抜け出すことができず不満が溜まっているためでした。ある避難テントキャンプでは、中に入ろうとすると、地震後に脱獄した囚人が隠れている可能性が高いとの理由で、取材許可が出ない場所もありました。

大統領府や政府系の建物でさえ、何も手付かずの状態で放置されており、ハイチ政府が機能していないことを物語っていました。

治安が悪いとの理由から、ハイチのユニセフからは、移動日を含め、わずか4日間の取材日しか与えられませんでしたが、その短い滞在中にも治安の悪さを実感する瞬間がありました。

車を降りた瞬間、銃声が聞こえた町の市場では、2分以内に立ち去るのが条件での撮影となったり、最大のスラム街ではカメラの三脚を使わない(三脚を持ち歩くと逃げにくいいため)など、安全面を考慮した規制があり、そういう場所での取材は経験したことがない独特の緊張感がありました。

ハイチ取材中、銃を携帯したセキュリティーガード2人を帯同させていたのですが、セキュリティーガードからは、「私たちがいることは100%安全を保障するものではない」と、言われ国連治安維持軍がいる意味を身をもって感じました。

今回、取材時間が過去のユニセフ取材に比べ少なかったため、ハイチの置かれている、本当の悲惨な現状を映像化できなかったことが残念ですが、1日でも早く、ハイチ政府が機能するようになり、人々が安全に暮らせる国になればと、改めて思いました。