ハイチの子どもたちを取材して
 
フジテレビアナウンサー 中野美奈子
ハイチ共和国 美しいカリブ海に浮かぶ西半球最貧の国ハイチ。数々のクーデターが起き、その統治能力の低さから破綻国家とも言われている。
その国が今年1月マグニチュード7.1の地震に見舞われた。建物は瓦礫と化し、路上に置き去りにされたままの遺体、そして援助物資を奪い合う人々ショッキングな映像は世界中を駆け巡った。
あれから半年、ハイチを訪れた。
空港に降り立った私はその光景に驚いた、何も変わっていない。地震後に見たあの瓦礫、建物はそのままだったが、違うことといえばそこに遺体があるかないかということぐらい。
被害の大きかった建物は原型をとどめておらず、もともと何があったかも分からない状態。
そんな中で日常はスタートしている。
にぎやかな騒音の中にたたずむ崩れた建物はそこだけ時間が止まったような、何か不気味な空気が漂っていた。

ハイチ共和国

ハイチ共和国
家を失った人は仮設のテントで生活し、そのテント村が首都ポルトープランスのいたるところに点在する。
外の気温が37℃という8月のハイチ。どのテントも中は蒸し風呂状態で、湿度と匂いとホコリのため、とても長時間中に入ってはいられない。ここで半年も生活していれば健康面に異常が出ないわけがない。
地震で病院や学校も失ってしまった子どもたちは、日々することもなく暑さの中、今日を生きていくことだけを考えているのだ。
取材中ある男の子が私の手を握って家に案内してくれると言ってくれた。家といっても避難テントの中なのだが、そこに向かう途中ユニセフのセキュリティーに止められた。「このエリアは刑務所があって、地震の後、そこから逃げ出した囚人が潜んでいて何をするから分からないから危ない」。日中の明るい時間でも危険だというのだ。セキュリティーがついている取材陣でもそうなのだから、ここにいる子どもたちはどれほど危険な思いをしているのだろうか。
テントの中の異様な暑さは、物が盗まれるから窓を作れない、女性一人でいるのは危険だから洗濯も火をつかう炊事もすべて中で行わないといけない、働き手である男性が家を空けると犯罪のリスクが高まってしまうからなかなか働きに行けない、なども理由なのだ。日本の感覚でいう避難所とは違う問題がここにはあった。保護を与えてくれるはずの避難所で常に危険と隣り合わせなのだ。
そこに住む子どもたちには笑顔がなかった。

ハイチ共和国 この地震の一番の被害者は子供たちだ。ハイチを取材していく中で強く感じるようになった。
取材最終日、シテ・ソレイユという町を訪れた。「太陽の町」という意味の名前とは対照的にハイチで最も危険と言われるスラムだった。
警備のセキュリティーが二人付いていても、午後の1時を回ると取材してはいけないというエリア。取材陣にも緊張が走る、そして町に入りかかったとき、左手に無数の銃弾を受けたビルが見えた。「ここは普通の場所じゃない」。そう確信した。
中に入ると、それまで取材したエリアとは違う空気がそこには流れていた。人々の目は虚ろで子供達も靴を履いていない子がほとんどだ。中には小学生くらいなのに全く服を着ていない子供もいる。町は瓦礫と土ぼこり、そして家庭から出たゴミや排泄物で異様な臭いがした。
ハイチ共和国 何をするでもなく子供達はぶらぶらと歩いている。カリブ海に面した最高の立地でありながら、海辺には無数のゴミと排泄物。聞けばそこはトイレだというのだ。下水がそのままコバルトブルーの海に流れ出ていた。
取材をしていると、集まってきた子供に向かって母親らしき人が歩いて来た。手には太い木の棒のようなものを持っている。「まさか」と思った次の瞬間、子供を手加減なしに叩く母親の姿があった。理由は特になく、ただ子供が言うことを聞かなかっただけ…。泣き叫ぶ子供の腕をつかみ容赦なく叩く鈍い音が響いた。言葉が出てこなかった、これが当たり前の日常なのだ。
ハイチの抱える問題にはこの虐待も含まれている。国民の半数近くが18歳以下の子供なのだが、その4分の1が親などから虐待を受けているのだ。ムリな労働をさせられるなど、まるで奴隷のように扱われたり、性的虐待に遭う女の子もいる。
特に地震の後、親を失い親戚の家に預けられ虐待を受けるケースや、家族がいたとしても劣悪な生活ストレスが暴力として子供に向かうケースもある。社会の中で守られるべき子どもたちが一番危険で常にリスクを背負って生きている。
リスクという部分では、生まれてくる時もリスクは高い。
ハイチでは経済的な理由から病院に行かず、自宅で出産する母親がほとんどだ、そのため正しい知識が無いまま出産して赤ちゃんを死なせたり、生まれてもその後のケアができない母親が多いという。死産してしまう確率は実に日本の100倍。

ハイチ共和国 そんな中でも地震の後生まれたという小さな命にも会った。
彼女は26歳で3人の母親。地震で家を失ったが避難所に行かず、崩れた2階部分の床で家族5人で暮らしている。もちろん屋根も台所も布団も無い。
彼女の腕には地震の6日後に産まれた生後7ヶ月の赤ちゃんが抱かれていた。彼女が今一番必要なものは家とミルク。ただその目には希望もあった。「私は必ずこの子たちを幸せにする、私の母も苦しい状況で私をここまで育てくれたし、きっとできるはずだわ」。
ハイチの人たちは強い。これも私が取材をしていく中で感じたこと。
ハイチの国土はもともと山が多く、そのため「一つ山を越えてもまた山が現れる。苦しいことを一つ乗り越えても、また次の苦難がくる」と信じられているそうだ。ハイチの国民には困難に立ち向かう意識が根付いている。どんなに辛くても乗り越えていこうという強い意志が心の奥底にあるのだ。

ハイチ共和国 ではなぜ、その国民性がありながら復興がここまで遅れているのだろうか。
その理由はただ一つ、政府が機能していないこと。地震で大きな被害があったエリアにある大統領府も大きなダメージを受け、そこで働く多くの人が亡くなったそうだ。
さらにもともと土地の登記がほとんど行われていなかったハイチでは、新しく建物を建てたくても政府の許可がないと建てられない状態。そのため瓦礫を撤去することも難しい。
家を失った男性に「今政府に求めるものはなんですか?」という質問をぶつけてみた。答えは「政府ってどこの政府? もうハイチの政府には何の期待もしてないよ」。悲しい答えだった。要ともいえる国の機関が瓦礫のように粉々になっているのだ。崩れたままの大統領府がその答えを代弁していた。リーダーが不在なのだ。

今ハイチには世界中から支援が集まっている。水を供給する国、被災テントを配る国、食料を配給する国。この支援が止まってしまったらどうなってしまうのだろうか。
あるテント避難所でNGOの代表に「1年後来ても、同じような光景が広がっているような気がするんですが」と質問してみた、代表の答えは「イエス」だった。
場所によってはテント村が一つのコミュニティーのように確立されている。水も豊富にありセキュリティーが常時いる場所もある。もともと貧しい人たちの中には、テントと安全な水があることに満足し地震の前より良い生活ができていることに感謝している人も少なくないというのだ。

ハイチ共和国 私たちがハイチの子供たちのためにできることはなんだろう。もう一度心からの笑顔を取り戻すためには何が一番大事だろうか。とてつもなく大きな課題が見えてきた。
4日間の取材を終えて今私が考えること。子どもたちに一番必要なものは教育ではないだろうか。短い時間の取材だったが子どもたちの学びたいという気持ち、夢をかなえたいというキラキラした瞳が忘れられない。
「お金は一時的な潤いだが教育は一生のもの」。去年シエラレオネ共和国で会ったある女性の顔が頭に浮かんだ。
子供への虐待も政治不信も土地の問題が機能していないことも、すべては学ぶことを怠った国の代償ではないだろうか。地震で大人になれずに亡くなっていった兄弟や友達、成長を見られずに命を失った両親のためにもハイチの子供たちには夢と希望を持って強く生きて欲しいと心から思った。子どもたちが笑顔を取り戻せる社会を! 教育を受けられる未来を!