ハイチ共和国概要
 
ハイチ共和国の歴史
1804年に中南米で最初に独立を果たしたが、政情不安でクーデターがこれまで30回以上繰り返されるなど混乱が続いている。
1991年に初めて民主的な選挙で大統領が就任したが、直後にクーデターで国外に脱出し、国連主導の多国籍軍の展開で3年後に帰国できた。
しかし政情は安定しないまま、2004年にも反政府集団の武装蜂起で内戦状態に陥り、国連がPKO部隊を編成し治安の維持に当たった。
これ以降、現在まで国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)が駐留し、各国が軍や警官隊を派遣している。
インフラ整備と産業育成が進まず、加えて度重なるハリケーン被害で国土は荒れ果て、国民はごく少数の富裕層と、その日の食事にも事欠く大多数の貧困層に分断されたまま放置されてきた。
もともと「西半球の最貧国」で統治能力が低い「破綻国家」とみられていたハイチを2010年1月に大地震が襲った。首都は壊滅し、政府の機能はほぼ失われた。復興は海外の支援頼み状態で、政府の統治能力を高める改革は不可欠だ。
日本の自衛隊も国連平和維持活動(PKO)協力法に基づき、人道復興支援目的でハイチに派遣され、ハイチ各地で復興支援に当たっている。

ハイチ共和国
(c)UNICEF/NYHQ2005-1939/Roger LeMoyne
1804年     フランスから独立
    独裁政治のもと混乱続く
1915年     米国により軍事占領(〜1934年)
    独裁政治のもと混乱続く
1990年     初の民主的な大統領選挙
1991年     軍事クーデター アリスティド大統領国外脱出
1993年     国連安保理による制裁
1994年     アリスティド大統領が帰国
    選挙不成立など混乱続く
2004年     反政府武装勢力が蜂起 大統領国外脱出
      国連がハイチ安定化派遣団を組織
2008年     1ヶ月に4度のハリケーン被害
2010年     ハイチ大地震発生
ハイチ共和国
(c)UNICEF/NYHQ2008-1421/Roger LeMoyne

ハイチ共和国 基本情報(外務省HPより)
 面積 27,750平方キロメートル(九州と四国の中間程度の面積)
 人口 961万人(2007年=東京都の人口のほぼ3/4)
 首都 ポルトープランス
 民族 アフリカ系(9割)、その他
 言語 フランス語、クレオール語(ともに公用語)
 宗教 キリスト教(カトリック、プロテスタント等)、ブードゥー教など