シエラレオネ 表と裏の落差
 
photo 「この活気と喧騒はいったい何なんだ? この国のどこが貧しいんだ!?」

長く内戦が続き、また観光資源もないシエラレオネに、援助団体関係以外の日本人が足を踏み入れることは今もまれだ。独立したガイドブックも出てなく、この国に関する情報はごく限られている。
そこに平均寿命、乳児死亡率、5歳未満児死亡率、妊産婦死亡率がいずれも世界最悪という保健・医療に関する統計の数字と、これまでニュースで見たアフリカの映像などが結びつき、私の頭の中に妙なシエラレオネのイメージが作り上られていたようだ。
<干ばつでひび割れた土地。骨と皮ばかりにやせ細った子ども。ホームレスが街にあふれ、まるで難民キャンプのよう。車が止まるたび取り囲む物乞い…>
ところが実際はどうだろう。途切れることなく行き交う人と車。ひっきりなしに響くクラクション。道路の両側に連なる商店と露天。頭に商品を載せた物売り…。首都フリータウンの雰囲気は、どこか東南アジアの都市にも似た熱いエネルギーを感じさせた。雑踏で思わず口に出たのが冒頭の一言だ。
取材のテーマの「シエラレオネの貧しさ」は、首都から東へ230キロほど離れた地方都市ケネマでも見えなかった。
加えて移動の車中で、大地を覆う豊かな緑を目の当たりにした。
<ひびわれた地面?>
私のとんでもない先入観はものの見事に吹っ飛ばされてしまった。

結果から言うと、この国の貧しさは「社会的弱者」が集まる場所、病院に張りついたらすぐ見えてきた。選ぶ治療も薬もお金次第。親の経済力が子どもの生死を分ける。多かれ少なかれどの国でもそうだろうが、シエラレオネでは顕著だ。この国で子どもが病を得れば、即、死と紙一重の隣り合わせということがよく分かった。乳児死亡率、5歳未満児死亡率とも世界最悪という現実がそこにあった。

シエラレオネで子どもの死因の上位を占めるマラリア、肺炎、下痢による脱水症状などは、先進国では克服されたものばかりだ。どうしてこんな病気で、と言いたくなる理由で子どもが死んでいる。免疫がなく、病に弱い子どもの時期を乗り越えさせるのは親の義務でもあり、社会の義務でもあるが、この国はそれができない。親に経済力がないと病気を克服できないのだ。
私がフリータウンの雑踏で感じたあの活気は、死と隣り合わせの危険な子どもの時期を乗り切った人たちが、その日の暮らしのため、家族のため、必死に、したたかに生きている息遣いのようなものだったのかもしれない。行き交う人の多くは、地方からやってきて夢破れた失業者たちということを後で知った。

長く続いた内戦で、この国の「社会の健全度」を示す振り子は負の方向に大きく揺れたまま、まだ原点にまで戻っていない。振り子をプラスの方向に戻せるか? それは、この国の行政と国民一人一人の努力にかかっている。道のりは険しいが、海外からの援助もあるし、何より、この国の国土は豊かさの可能性を秘めている。帰国して、シエラレオネの子どもたちのために頑張ろうという思いを新たにした。
最後に、今回の取材に多大のご協力をいただいたユニセフ・シエラレオネ事務所と日本ユニセフ協会のスタッフの方に心より感謝の意を申し上げたい。そしてシエラレオネで取材に応じてくれた子どもたち、会えなかったが苦境にあるだろう数多くの子どもたちの未来に幸多かれと祈り、筆をおきたい。

FNSチャリティキャンペーン推進室 小林晴一郎
 
協力 シンガポール航空
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