title
FNSチャリティキャンペーンで、パプアニューギニアに取材に訪れたのは3年前になりますが、その後も皆様より「ジュニア君はどうしているのでしょうか」との問い合わせが寄せられます。FNSチャリティキャンペーンでは、ジュニア君だけでなく、過去に支援した子どもたちのことは忘れることなく、その近況を気にしておりますが、この度ジュニア君のその後の生活の一端が分かりましたので、皆様にご報告いたします。

<パプアニューギニアからの報告>
パプアニューギニアでは、HIV/エイズに対する偏見は未だに大きく、ジュニア君はその後、取材先の家族から離れなくてはならず、ポートモレスビーの親戚を頼って転々としていましたが、しばらくして、大好きなおばあちゃんがいる生まれ故郷のレイ(「LAE」:ポートモレスビーより北におよそ300kmにあるパプアニューギニア第二の都市。ボートか飛行機で移動するそうですが、現地の人はボートのほうが安いのでボートで移動するそうです。)に行き、おばあちゃんが亡くなってからは、再びポートモレスビーに戻って来ました。
ポートモレスビーでは、以前の家族のもとでは暮らすことができないため、聾唖者であるおじさんの家に寝泊りしたり、友人のところに泊めてもらったりしていたようです。
それでも、なかなか同じところにいることは難しく、以前も時々お世話になっていたフレンズ・ファンデーション(Friends Foundation:FNSチャリティキャンペーンでも取材したテシー・ソイさんが運営しているNGOです)に寝泊りさせてもらっていたこともあったそうです。

ジュニア君にとって、何があっても、とりあえず助けてくれるFriends Foundationがあることが心の救いになっているようです。
月に2回は、セッションがあるのを知っているジュニア君は、ポートモレスビーにいるときは、生きるのに困ったり、お腹が空いたりすると、Friends Foundation に現われるそうです。こうしたセッションでは、食べ物や薬など、必要最低限のものが手に入るからです。

ジュニア君にとって、ポートモレスビーにいる限り、頼りにできる団体が Friends Foundation とテシーさんとアシーさん姉妹そしてその弟さんのようです。

FNSチャリティキャンペーンの取材当時、パプアニューギニアのユニセフ事務所に勤務していた奥村玲子さん(現在はオーストラリア在住)が、ジュニア君と最後に会ったのは、去年の1月頃のことだそうです。「これから何がしたいの?」と聞くと、すでにレイの学校から離れて何年も経っているため、学校に戻るのは難しいので、「路上小さなお店を開いて商売を始めたい」と言っていたそうです。
ジュニア君は意外に堅実で、Friends Foundation から支給されるお小遣い程度のお金もきちんと溜めて、高価ではありませんが近くの雑貨屋さんで売っている小さなMP3の音楽プレーヤーを買ったそうです。それで好きな音楽を聴いているときが、寂しさを忘れられるので、今の楽しみになっているそうです。

また、奥村さんがテシーさんの妹さんのアシーさんに最近聞いたところによると、ポートモレスビーにいるおじさんの家に戻れることになり、しばらく戻っていたそうですが、また3月を最後に、またレイに渡ったそうです。
アシーさんが最後にジュニア君に会ったときは元気そうだった、と言いますから、また、しばらくしたらひょこっと、ポートモレスビーに姿を現すかもしれません。

コミュニケーションなかなかうまく行かないため、詳細はつかめませんが、ジュニア君はジュニア君なりに、頑張って生きているようです。HIV/エイズに対する偏見・差別がなくなれば、ジュニア君の生活ももっと楽になるのではないでしょうか。
BACK
このページに掲載されている写真はすべて著作権管理ソフトで保護され、掲載期限を過ぎたものについては削除されます。無断で転載、加工などを行うと、著作権に基づく処罰の対象になる場合もあります。 なお、『フジテレビホームページをご利用される方へ』もご覧下さい。
フジテレビホームページをご利用される方へ