title
佐々木アナ 去年、アフリカ・マラウィ共和国を取材しながら絶えず感じたのは、「幸せは物で満たされることだけじゃないんだな」ということでした。世界でも指折りの最貧国でありながら、皆「幸せです。私には家族がいるから」と即答する姿に、私自身たくさんのものを受け取ったように思います。もちろん、HIVの被害が深刻で、信じがたいほどの数の人の死が日常にある世界だからこそ、残された者同士、「家族がいて幸せ」と強く感じるようにはなるのでしょうが・・・。幸せの価値観はそれぞれ、豊かさのものさしも一つじゃない。ある意味で人間の原点とも言える生活を垣間見て、アフリカ取材は「心身ともにデトックスした気分」なんて言う余裕すらありました。
それに比べ、パプアニューギニアは、事態がさらに混沌としているような気がします。なにしろ、HIV感染者の方々にインタヴューすると、皆涙を流すのです。これには最初驚きました。大体、取材のときって、聞く側も後ろめたいものです。「どうやって感染したの?」「そのとき何を感じた?」「薬は飲めてるの?」「収入はどのくらいあるの?」初対面なのに、次から次へと矢のような言葉を放っているのですから。でも、今回出会った人たちは、皆「話を聞いてほしい。どんな思いをしたか聞いてほしい」と訴えかけてきました。そして、「これだけ話を聞いてくれて私は幸せだ」とも。
絶句しました。彼らは、所詮私たちが日本から来た一介の取材者であり、一時的な滞在者であることもわかっています。が、初めて自分の心を打ち明けられたというのです。彼らのそれまでの日常がいかに孤独だったのか・・・それを想像するにつけ、何度も何度も胸が痛くなりました。取材で話を聞いていて、思わずこちらも涙がこぼれてくる、初めての経験もしました。

佐々木アナ パプアニューギニアは、ワントクという大家族システムがあります。困ったもの同士、親戚縁者集まって、お互いに助け合う暮らし。だから、あまりストリートチルドレンは見かけません。が、逆に言うと、このワントクから排除されてしまうと、途端に行き場がなくなるのです。
私たちが出会った少年ジュニアは16歳。まだ小学生のように小さな体の彼は、親をエイズで亡くし、3人の兄弟とともに親戚に引き取られています。兄弟のうち、彼だけがHIVに感染。兄弟との扱われ方の差がすさまじかった。ジュニアは一人、離れの家に隔離されています。片面、壁もない家。雨は吹き込み放題。眠るためには、汚れて重くなったクッションとゴザ、布が一枚だけ。食べ物も、3日に1度くらいしかもらっていない。時折、ローソクを売って収入がある以外は、やるべきこともない。他の兄弟はといえば、肩身の狭い思いをしながらも、親戚に一応の面倒は見てもらっています。兄弟もジュニアのことを心配はしています。だけど、親戚に「離れに近づくな。病気が感染する」そうきつく言われているので、表立ってジュニアに優しくすることができない。他の兄弟たちにとっても、親戚の家が最後の居場所、そこを追い出されたら彼らを救ってくれる場所はないのです。親戚にしてみても、スラム街でのぎりぎりの生活。大家族。生き残れる可能性の高い子を優先するのも当然、といった理屈なのでしょう。それが現実なのです。

ジュニアとのお別れの日、最後にジュニアに言われた言葉が突き刺さりました。「みんないなくなったら、僕の幸せは・・・終わっちゃう」。私は、ぼろぼろ出てくる涙をコントロールできないまま、涙だけでは何も解決しないことに、気持ちの行き場を失いました。青臭いかもしれないけど、無責任かもしれないけど、僭越かもしれないけど、私は彼をぎゅぅっとしたかった。既にエイズの症状が皮膚に現れている彼を、周りは誰も触ろうとはしなかったから。あまりに細い手足と、ただれた皮膚の姿が周りの人から恐れられているのを、彼自身よく知っていたから。「僕はゴミのように扱われて生きてきた」と度々言っていた彼に、せめて人として当たり前に、人として受け入れられることを知ってほしかった。それが何なのだろうと自問自答しながら、私にできるのは、それくらいのことでした。その後、雨が降る中を、ジュニアは私たちの乗る車まで手を引いて連れて行ってくれた。ここは水溜りだから気をつけて、と教えてくれたり。16歳とは思えない小さな手に胸を衝かれながら、あの瞬間の光景を、日本に戻っても何度も思い出します。

佐々木アナ アフリカは、世界の目が向けられ、支援も入っています。が、パプアはまだまだこれからです。どちらかというと、これまで見向きもされていなかったのかもしれません。800もの部族がそれぞれの言葉を話し、教育も行き届かず、陸の輸送路もない、女性の地位はあきれるほど低い。取材した女性たちがレイプによってHIVを移されたり、夫から移されたにもかかわらず、夫が逃げてしまったり、辟易するような事実もたくさん見聞きしました。
つくづく思うのは、幸せとは人と人との関わりの中で初めて成り立つのだということです。マラウィでは、貧しくても人の支えがあったからこそ、口々に「幸せ」と話してくれた。しかし、パプアニューギニアで出会った人たちは、皆、隔絶させられたり、身近な人から傷つけられたり、「人」との関わりで苦しんでいた。教育の不足や情報の伝達の難しさなどが原因で、HIVという病気への偏見も根深い。HIVに感染したことで、生活の全てを奪われた人も、少なくないのです。人との関わり。1番難しい問題なのかもしれません。

パプアで出会った大人も子供も、「生き残るために闘うんだ。だから強くなりたい」と話してくれました。「どう生きるか」の次元ではない、「生き残れるかどうか」なのだと。そういえば、学校に通える子供たちに「将来の夢は?」と聞くと、皆きらきらとした目で即答してくれるのに、親を失い、貧困が理由で学校に行けなくなった子供たちに夢を聞くと、一瞬戸惑うのです。その日生きることに必死な子供たちに、遠い将来の話を聞くのは、酷なことなのかもしれません。ですが、皆なんとしても生きる力を持っています。ジュニアですら、私たちに何度もファイティングポーズを見せてくれました。「僕は強くなきゃ、1人でも強くなきゃって、毎日言い聞かせてる」と。
人それぞれ、できることはあると思います。それが何かは自分自身が探していくしかないけれど。少なくとも、毎日生死にさらされるわけではない日本にいて、衣食住足りることへの感謝をかみ締めたいと、そんな当たり前のことを何度も味わう2週間でした。正直なところ、気持ちの整理がつかず、私の中もまだ混沌としています。

BACK
このページに掲載されている写真はすべて著作権管理ソフトで保護され、掲載期限を過ぎたものについては削除されます。無断で転載、加工などを行うと、著作権に基づく処罰の対象になる場合もあります。 なお、『フジテレビホームページをご利用される方へ』もご覧下さい。
フジテレビホームページをご利用される方へ