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佐々木恭子アナウンサー取材手記

佐々木恭子アナウンサー  去年のインドネシア・バンダアチェ(スマトラ沖地震の津波の被災地)に続き、今年はアフリカのマラウイ共和国に行ってきました。つくづく、世界を見渡すと、経済的に豊かな国の方が少ないのだと感じます。日本にいるとどうしても豊かな国ばかりに目を向けがちなのですが…。
 私自身、「10円あれば○○できる、100円なら△△できる」といった募金告知を呼びかけているものの、どうも押し付けがましいと違和感を感じることがあります。数字って具体的なようでいて、実はリアリティーが持ちにくいですから。しかし、実際にマラウイに行くと、たとえ10円100円であろうとどれだけの価値があるかを痛感します。
 貧しさは、想像を絶していました。電気のない家がほとんど。ダンボールで作った屋根。子供たちの学校鞄は、ビニール袋です。しかも破れても大事に使っている。出会った子供たちの多くは裸足のままでした。マラウイの65%の人が、1日1ドル以下で生活しているのです。
 そして、この貧しさがエイズの蔓延と深く関わっています。「HIV/エイズで国が滅ぶ」と言っても過言ではないと思います。車窓から風景を眺めていると、まず目に飛び込んでくる看板がコンドームの広告であり、「エイズは死に至る病気です」などと啓蒙する立て看板であり、さらには手書きで「棺桶工場」と書かれたものも多いのです。大人たちに話を聞くと、「お葬式が多すぎて、仕事ができないんだよ」と言います。その言葉を裏付けるかのように、実際、毎日のようにお葬式に参列する人の集まりを見かけました。いちばん働き盛りの世代が次々に命を落とせば、国の経済も大打撃を受けますし、残されるのは子供たちなのです。
 今、マラウイには100万人の孤児がいます。その45パーセントが親をエイズで失っています。以前は、親戚や隣近所が孤児たちの面倒を見るのが当たり前だったのですが、それも立ち行かなくなって、生きるために止むを得ず体を売る女の子もいる。ストリートチルドレンになって物乞いで生活する子もいる。良い悪いの問題ではないのです。食べられるか食べられないか、ぎりぎりのところでお金を得られる唯一の手段になってしまっている、それが現実。
佐々木恭子アナウンサー  貧しいというのは、選択肢がないことだと痛感します。私たちは日本にいて、今日食べるおかずから、着る服、住む場所、将来の仕事、果ては死に方まで様々な選択肢があり、一つ一つ決断していかなくてはなりません。選択肢・情報が多すぎて、それが迷いや苦しみにさえなります。でも、貧しい国では、「それしかない」のです。毛布も服も学校鞄に使うビニールも、代わりはない。将来の仕事だって、ちゃんと学校に行って教育を受けられない限りは、そのまま親が残してくれたいくばくかの土地を耕すことや、家を守ることしかできないのです。貧しさは結局、連鎖していきます。親が病気にかかる、薬が手に入らない、親が亡くなる、子供が働き手となるため学校を辞める、教育が受けられない…。どうやってこの連鎖を断ち切っていけばいいのか…途方もない時間と人的努力、そして政府の政策やそれに伴う予算が必要になってくるのでしょう。
 マラウイは8割の人が農業を営んでいます。貧富の格差もほとんどないせいか、農村で暮らす人々は穏やかで、どの村に行っても歌と踊りで、私たちを歓迎してくれました。彼らは、自分の家族を守り、地域の絆を大切にしています。たとえ両親をエイズで失っても、残された子供たちはお互いに身を寄せ合って「今が幸せ。兄弟(姉妹)がいるから。」と、自分のためではなく、家族のために生きているのです。自分の置かれた現実を、涙を見せることもなくしっかりと受け止めて生きているのです。
 彼らが当たり前のように話してくれる言葉に、聞いている私の方が胸が詰まってしまうことも、度々ありました。東京に戻って、「家族なんていらない」「殺してみたかったから」と10代が引き起こす事件を立て続けに聞いて、どうも心がちぐはぐになってしまいました。「豊か」であるというものさしは、一つきりのものではないのだと思います。貧しさゆえに、豊かであるがゆえに、それぞれに別の苦しみも歓びもあるのでしょう。
 マラウイには、足りないものが山積しています。薬、病院、人材、食料、清潔な家、自立できる仕事・・・。ですが、この国がどんな形で自立していくのか、今後もしっかりと見続けていたいと思います。衣食住が足りることがまず必要、しかし先進国がひとりよがりな支援をして文明化したら、彼らがあの地で太古から守ってきた伝統や共同体を壊してしまうのではないだろうか、そう感じて今のマラウイの姿に原風景を見出すのも、裕福な国に住む私の奢りなのではないだろうか、と複雑な気持ちになります。
 取材中、この世のものとは思えない美しい風景を見ました。夕日はでっかく、丸くどこまでも広がる夜空は足元まで星がきらめき、星とともに蛍がきらめいていました。人間には作れない、こんな美しいものはきっと神様が創ったんだろう、普段全く信心深くない私ですら、そんな気持ちにさせてくれるのです。
 アフリカでの体験はあまりに大きく、まだまだ消化しきれません。幸せは物に満たされることだけではないのだ、それだけは今、はっきりと心の中に刻みこまれています。自分自身がそぎ落とされていく感覚。これから、日常生活を送る中で、少しずつ、自分の血や肉になっていくような気がします。でも、余分な贅肉だけはつけたくないな、心にも体にも。
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