7月28日、インドネシア・スマトラ島最北端バンダアチェの上空。GA198便の左窓からはるか眼下を見下ろした時、息を呑みました。海岸線から内陸へ3〜4kmに渡り何も無くなっていたのです。空港到着前のわずか30秒程の間でしたが飛行機の窓から見えた惨状でした。バンダアチェ到着後、見上げた真っ青な空は、一瞬、惨状を忘れさせてくれました。しかし、市内へ向う途中、インドネシアの国旗色に塗られた赤と白の柵に囲まれた余り広くない広場前に案内されたとき、今度は耳を疑いました。その場所は、何と、津波被害者『30,000人』が3層に埋葬された共同墓地であったのです。言葉も出ず、どう写真に収めればよいのか、構図が決まらずシャッターが押せません。長い沈黙をのせて車は上空から見たばかりの被災地へ向いました。そこはまるで空爆にあったような一面瓦礫の山。近年の戦争の空爆や東京大空襲を生で見たわけではありませんが、まさにその有様。『これが恐ろしいほどの津波の威力なのか。』『えっ!なに?』と思うのが精一杯でした。
取材を続けるうちに次々眼に映るバンダアチェの現状。うちあげられた4万トンのタンカー。共同墓地で涙を流す若い女性。なかなか進まない復興。人間の眼の視野の広さを実感しながら、映像やファインダーにおさまりきれず、日本に伝えきれない実情にただただ驚愕するばかりでした。そうした中、親を亡くした子供たち、親に会えない子供たちの取材を進めましたが、インドネシアの義務教育の就学率は、小学生で93%、中学生ではたったの63%という数字を知らされ、被災地バンダアチェを含めたインドネシア全体の子供たちの厳しい実情を理解させられました。様々な理由を抱えながら学校に行けない子供たち。『恵まれない子供たち』の数の多さに、FNSチャリティキャンペーンの使命を強く痛感した13日間でした。最後になりましたが、今回の取材で、現地バンダアチェで全面協力をいただいたユニセフジャカルタ及びバンダアチェの皆さん、日本から同行していただいた、日本ユニセフ協会の二見武氏の尽力に心から感謝いたします。
FNSチャリティキャンペーン事務局 田中亮介
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