フジテレビジュツの仕事
もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう
2025年10月~12月放送 毎週水曜日 22:00~22:54
- 美術プロデュース
- 三竹 寛典
- アートコーディネーター
- 竹田 政弘/藤野 栄治
- 大道具
- 内海 靖之
- 大道具操作
- 坂井 貴浩/原 卓也
- 建具
- 岸 久雄
- 装飾
- 稲場 裕輔
- 持道具
- 髙木 稜子
- 衣裳
- 髙橋 志織
- スタイリスト
- 服部 昌孝
- メイク
- 和田 奈穂
- アートフレーム
- 曽根原 潤
- 電飾
- 佐藤 信二/須藤 希
- アクリル装飾
- 鈴木 竜
- 植木装飾
- 後藤 健
- 生花装飾
- 牧島 美恵
- 小道具印刷
- 石橋 誉礼
- フードコーディネーター
- はらゆうこ
デザインのヒミツ
ー1980年代の世界観が話題です。
あの時代を描くのに、演出サイドからは「“汚し”で時代を再現するのではなく、当時の“ギラギラした勢い”を表現したい」という話があったので、思い切ってデフォルメしてリアルよりは派手にデザインしました。しっぽりした街として落ち着いてしまわないよう“ショービズ感”を意識して、特にナイトシーンには力を入れました。あとは「あの時代の空を見せたい」という強いこだわりに応えるべく、今回は久しぶりのオープンロケセットで「八分坂」をまるごと作ることになりました。大掛かりになったので、その場所を1980年代にするのはかなり大変でしたが、そのあたりの苦労はアートコーディネーター(美術進行)が全身で感じていると思うので、今回は彼らに語ってもらおうかと。
ーということなので、アートコーディネーターの竹田さんと鳥山さん、お願いします。
竹田
大変なことになりそうでしたので、今回はフジアールとしては異例のアートコーディネーター4人態勢で臨みました。最初は打合せが始まる随分前に監督から「80年代半ば」「渋谷」「ストリップ」というキーワードだけ投げられて、「とにかく勉強しておいて」と言われたんです。その時代は私もまだ小さかったですしリアルには経験していないので、とにかく資料集めから始めました。当時の東京を撮った白黒の写真集など、その時見つけた資料がスタッフ間のイメージの共有に役立ったと思います。
WS劇場ステージ
WS劇場
ー当時を知るスタッフは少なかったのですか?
竹田
40年前ということは今5~60代の人が若者だった頃ですので、スタッフの9割は体感としては知らない世代です。もちろん棈木デザイナー含めベテランの人はアドバイスしてくれるのですが、身に染みたのは「鵜呑みは危険」ということ。個人的記憶はかなり曖昧で間違いも多く、きっちり調べて裏付けを取らないといけませんから、当時をよく知らないスタッフが調べた方が正確という側面もあります。視聴者の中には当時の渋谷を知っている人もいるでしょうから、美術としては「突っ込まれることを前提で作る」ということになります。そういう意味では、江戸時代の方がやりやすいかもしれません。演出サイドも、細かな点まで完璧に再現することよりは、「あー、あったあった」と思ってもらえることを大事にしよう、と言ってました。
ジャズ喫茶 テンペスト
ー美術部門としては、どういうところが大変でしたか?
竹田
全部です(笑)。もちろん装飾スタッフはえらいことになっていましたが、棈木デザイナーの話にもあったように、実は今回「電飾」パワーが重要でした。当時はLEDが実際になかったということもありますが、今回は“ビカビカ感”を出すためにあえて大部分の電飾に「電球」を使っています。LEDのように色が変えられないので、一個一個の球の色を決めて配置するというデザインになります。球から発する光は強烈で、かつてテレビ番組で見たような“ビカビカ感”は表現できたと思います。「八分坂」オープンロケセットのナイトシーンでは美術の主役ですので、全体を飾る物量がすさまじく、電球の在庫を探すのにかなり苦労しました。
ーこれほど大掛かりなオープンロケセットは久々だったのでは?
竹田
ドラマのメイン舞台ですから、制作サイドの候補地探しは大変だったと思います。当初はちょうどいい傾斜の「坂」がなかなか見つからなくて、「スキー場のゲレンデ」はどうかという話もありましたが、奇跡的に道幅も程良い場所が見つかり、急ピッチで作業が始められました。いつものセット設営と大きく違うのは、まず「土木作業」ありきという点です。重機だけを稼働させる日程を組み、セットを支えるイントレの足場を作ったり、のり面を削ったり、追加でアスファルトを敷いたりとまさに工事現場でした。続いてはセットの位置決め。スタジオのように簡単に移動ができないので神経を使います。模型を作って撮影スタッフと打ち合わせを重ね、「八分坂」のアーチ看板、「WS劇場」と向かいの「アパート」の位置関係など重要なセットの配置にはほぼ丸一日かかりました。
竹田
今回の緻密な脚本を頼りに、「劇場」から出て「アパート」の外階段を登るまでに言うセリフ、「スナック」や「喫茶店」へのストロークで言うセリフなど一連の演技にマッチした距離にするように配置しないと演技に影響が出てしまうんです。
ーそしていよいよ、とんでもないことになった装飾の作業になっていくわけですね。
竹田
室内を飾る装飾とは違い今回は街を飾るので、物量も時代考証も気が遠くなる作業でした。たとえば街ですから街灯があるわけです。調べたらレトロな街灯を今でも作っている会社があったので、急遽発注して10セット製造してもらいました。「エロ本の自動販売機」を残している業者が見つかったので三重県まで取りに行ったり、当時の公衆電話ボックスを運んだり、実物が残っているものはできる限り取り寄せましたが、ないものは作りました。「うどん・そばの自販機」は新たに作ってエイジング処理をしています。あとは途方もない量の出力アイテムを製作しました。
「八分坂」街灯
うどんそば自販機(当時再現作りもの)
ー出力アイテムは鳥山さんの担当です。
鳥山
はい。私は当時生まれてもいないですし、「ストリップ」とか「テレクラ」とかその方面のアイテムが多いのでとにかく勉強でした。電話ボックスにびっしり貼られている名刺サイズのチラシなどは、当時の写真集などを参考に新たにデザインして50種類くらいは作りました。デザインとか、キャッチコピーのテイストとか、時代を気にしながらの作業でした。
鳥山
変わったところでは「道路標識」。プラスチックボードに出力して、支柱に「ひの字型金具」で固定するという本格的なものなんですが、実は当時の標識は今より二回りほど大きいという情報があったんです。ネットで調べても分からず、結局標識を作っていた会社のルールブックを図書館で見つけて、1984年当時の寸法が再現できました。「八分坂」には店先の看板やダンサーのポスター、役所の注意書きなど出力アイテムが溢れています。その時代になかったものが紛れてはいけないので、たばこの銘柄もそうですし、当時使われていない言い回しとかとにかく一つ一つ調べないといけない。必要ならば許可どりも。楽しいと大変が半々くらいでした(笑)。なので「懐かしいねえ」とか「当時あったよねえ」と思ってもらえたら嬉しいです。
ー1年違っただけで、使われるものや言葉が変わっていく時代でした。
竹田
現代の時代考証は本当に難しいですよね。今回の設定は「風営法の影響で経営が傾いたストリップ劇場」ということなので、そのあたりの整合性もある程度は意識しています。たとえば「無料案内所」は今のように専門化されておらず、当時は喫茶店や雑貨屋さんで何となくおすすめの店を聞く、答えてくれる店の人がいるということだったらしく、それが今回の占いもやる雑貨店のマダムという設定につながっているそうです。
無料案内所
無料案内所
ー衣裳やヘアメイクにも気を遣いますね。
鳥山
「八分坂」は通りなのでエキストラの人たちも大勢です。その一人一人に衣裳・ヘアメイク・持道具が関わりますから、毎回バックヤードにはトラックが何台もいました。若い女性スタッフも多い分野ですが、みんな勉強して1980年代には詳しくなっていました。
竹田
衣裳についていえば、加えて今回は「舞台の衣裳」に苦労したと聞いています。なかなかテレビドラマであのような衣裳を作ることはありませんから。
ー苦労の甲斐あって「八分坂」は独特の空間になりました。
竹田
実はオープンロケセットのナイトシーンを監督がチェックする日が、たまたま雨だったんです。電飾の光が濡れた道に反射していたのを見て、監督が「このテカリがいい」ということになり、毎回ナイトシーンは散水車で道を濡らすことになったんです。そのために、坂の上と中腹に簡易プールまで作ることになってしまいました。でも、そのおかげで「八分坂の夜」のじめっとした生々しさが増したように思います。それに合わせて空き缶や吸い殻、ゴミを使って道を“飾り”、濡れ感を際立たせる方向で装飾プランを作りました。通りの植木がこの「カオス空間」の中で、いい味を出すかどうかも植木装飾の腕の見せどころです。
WS劇場
ー美術として注目してほしいところは?
竹田
第1話の冒頭近く、主人公が初めて「八分坂」に着いたシーン。手前から順番に電飾がついていき、「八分坂」の全容が夜の中に浮かび上がるんですが、あのワンカットがうまくいった時はうれしかったです。最終話近くでもまたあのようなシーンでのワンカットが使われているはずですので、注目していただきたいです。
WS劇場
WS劇場 事務所
WS劇場 楽屋
ジャズ喫茶 テンペスト
ジャズ喫茶 テンペスト
スナック ペログリーズ
スナック ペログリーズ
(2025年12月)






