越野幸栄スペシャルインタビュー

プロフィール

東京都出身 舞台・テレビ美術デザイナー

代表作
『MUSIC FAIR』『FNS歌謡祭』
『HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP』
『僕らの音楽』『LOVE LOVEあいしてる』『堂本兄弟』他

現在イギリス在住

―これまでの主な担当番組を教えてください

私は長寿番組ばっかりなんですけど、最初は『MUSIC FAIR』。1988か89年頃からアシスタントみたいなので始めて、去年までやってました。その次が『FNS歌謡祭』、他に『ヒットパレード』『MJミュージックジャーナル』『HEY!HEY!HEY!』など主に音楽番組ですね。その間に『とんねるず』をやるようになって、「食わず嫌い」を延々と。

―フジテレビの番組に関わる前は?

舞台やコンサート、あと芝居もやってました。フジテレビでも、外の仕事をやってもいいという契約だったので、並行してコンサートや芝居の仕事も続けていて。10年以上やっていた沢田研二さんとか、日生劇場の舞台なんかですね。
でもテレビを始めたら、芝居の人たちが「お前、テレビ屋になったんだからもうできないよな」みたいな感じになっちゃって。昔は両方やってる人が殆どいなかったんです。なおかつ女の人もいなかったから。
うちの師匠(注:妹尾 河童さん『MUSIC FAIR』『夜のヒットスタジオ』などの初代美術デザイナー。フジテレビ開局当時に美術部に在籍)ですら、最初は「女は無理」って。でもそんなことで諦めるのは悔しいじゃないですか。だから「やってみなきゃ分からないでしょ」みたいなところから入っていきました。
舞台の女性デザイナーでは朝倉摂さん(有名な舞台美術家)はいましたが、河童さんのアシスタント時代に会った時「アシスタントも15年は下積みやらないと」、「それでもデザイナーになれるか分からない」と言われて、一度はやめようかと思いました。当時私は23歳くらいだったので、15年間下積みをやって、38歳で無理って言われたらその先どうするんだろうなと思って。
でもその時に河童さんが、「1年ごとに考えればいいじゃねえか。15年も先を見ないで、今年1年やって来年やれるかどうか、お互いにやろうや」って言ってくれたんです。「俺のところにもう1年いてもいいかどうか、毎年それをやっていって、3年か4年やってダメだったら言ってやる」って(笑)。じゃあその時に考えればいいかなと思って、続けようと思ったんです。

―デザイナーを目指そうと思ったきっかけは?

えーっと、たまたま河童さんに会っただけなんです、実は(笑)。
最初はディスプレイをやろうと思って、専門学校に行ったんです。そしたらそこで空間デザインをしてる先生がいて、面白いなぁと思って。卒業する時は、ディスプレイやインテリアをやる会社がデザイナーとして採用してくれたんですが、でも何だったんだろうなぁ、行く気になれず入社式の前日に断って(笑)。会社からも学校からもすごく怒られたけど、入社してたらもうやらざるを得なくて、何年も辞められない、でも私のやりたいことと違う、という気がしてたんじゃないかと思います。
何もあてがなかったんだけど、テレビで何かできないかなって漠然と思ってました。知り合いにタレントのマネージャーをやっている人がいたので、「今、職を探してるんだけど何かありませんか」って聞いたら、教えてくれたのが河童さんだった。すぐ電話で「こんな子いるんですけど、どうですか」って聞いてもらったら、「そんなのダメに決まってんだろ!」って言われたんだけど、その時たまたま河童さんが『MUSIC FAIR』の収録中で。昔はすごく収録時間が長かったので「今から来るんだったら会ってやる、断ってやるから」って言われて、断られてもいいからとりあえず行こうと思って、フジテレビ横の「喫茶ふじ」で会ったんです。河童さんからは「やめたほうがいい」って散々言われたんだけれども、「でもやめたほうがいいと言う河童さんはやってるよな」って思って(笑)。仕事の内容は分からないながらも面白いんだろうなぁと思って、「やってみなきゃ分かんないですよね、でもやれたらいいと思います」とずっと言ってました。
「じゃあ、最近何か見たことあるのか?」
「『ピピン』っていう芝居を見ました。友達が出てたんで」
「どうだった?」
「面白かったですよー」
「セットは誰がやってた?」
「誰だったか分かんないんですけど、でも面白かったと思います」
「俺だ!」
それが最初の出会いです。「こいつ、面白いんじゃないかな」と思ったみたいで。河童さん、ヘソが曲がっているから(笑)。
「なんだ、何も知らないくせに来やがって、お前絵とか描いてんのか?」
「描いてます」
「それを全部持ってこい。明日は俺ヒマだから明日来いや」
「わかりました」
ということで、絵をかき集めて持っていって見せました。
河童さんは「どうだ?」って奥さんに聞いて
「うんいいんじゃない別に。とりあえず」
「じゃ明日から来いや」ってことになり、それからずっと居ついちゃいました。デザイナーを目指すってことよりまずはそこに行って、ひたすら河童さんの仕事を見せてもらってたという感じですね。

―そこで河童さんに出会うってすごいですね

すごいでしょう、そう。もともと舞台のデザインをやりたいと思っていたわけじゃないですけど、河童さんの仕事にくっついて色々モノを見る度に、すごいな、いいなと思うし、尊敬していました。
けれど、まあ、すごく不遜なんですが「私ならこういう感じにはならないだろうな」と思ってたんです。そう思ってるうちに声かけてくれる人がいて、アシスタントをしながらちょっとずつ自分でもデザインをやるようになりました。
アシスタントでは石を描くとか、そういうのを延々とやらされてました。寸法なんか分かんないから、寸法は河童さんが大体描いて「ここんとこ板目な」とか言うんです。
で、私が描いてるのを見て
「お前、板目の目(模様)はな、板の気持ちになって描けよ」
「すいません」とか言って直すみたいなことを延々と。
何回も何回もそれがあって、板だのレンガだの石だの。後になって分かったんだけど、全部描かなくたって良かったんです。半分ぐらい描いて以下同文みたいなことで(笑)。でも「そういう気持ちで描くことが大切なんだよ」っていうのを教えてくれたと思うんだけど。

―舞台の道具帳だから色を着けて描くんですか?

そうそう色を着けて。でも最初は色なんか着けさせてくれなくて、しばらくしてからやらせてくれたけど。板目の様な細い部分の作業の次は「もうちょっと大きい部分まで考えて」という作業をやらせてもらえるようになって、道具帳の寸法も描かせてもらえるようになったのは、かなり後になってからですね。3年後くらいかなぁ。
あとは模型作りもよくやってました。模型を作るのは大好きだったから、河童さんの展覧会があると、模型作りで何日も徹夜したり。芝居の『マクベス』では、縮尺1/40で障子とか細かいもの全部作ってたんですよ。バルサ材を切って障子の紙を貼って、人形まで作って。何度かそういうの作ってましたけど、『マクベス』が一番大変だった。障子がいっぱいあるワケ。釘隠しの部分も全部、一個ずつ切り抜いて描いて貼って、ピンセットの世界で何日間もそれにかかりっきりで。仕事行って、河童さんち帰って、またそれをやるみたいな(笑)。もう着たきり雀だから、奥さんに服を借りて洗濯機に入れて。そういう感じでした。
でも『マクベス』の模型は、本当に力を入れて作ったので楽しかったです。実は出来上がって持ってかなきゃいけないって日に、「出来上がったね」ってことで壁にもたれたら、そのまま意識を失いました。寝てなかったから(笑)。気がついたら、河童さんの息子の部屋のベッドに寝てた。今と違って、時間なんて関係なくやるだけやる、っていう感じだったから。でも気を失ったのは初めて(笑)。

―河童さんとの楽しい思い出は何かありますか?

何だろう、楽しかったことねえ。そういえば河童さんは本をいっぱい買ってましたね。“この人向き”って本を本屋さんが持ってくるんですよ、家に。本屋さんに行く時間があまりないから、そういう専門の本屋さんがあるんです。河童さんが「どうだろうな」って言って私が選ぶ。
「これ、いいんじゃないですか?」
「お前、こんなに買ってもさぁ」
「いや、必要かもしんないですよ」と言って買って
「将来、私にくれますか」って、下の方に自分の名前を書いたりしてました(笑)。 
その後全然貰ってないんだけど。そういえば「本を処分しなきゃいけないのに、ユキエって名前が書いてあってどうすんだ」みたいな話がありました。
調べ物はさせてもらえたからすごく助かってたし、本の量はすごかった。

―その後、ヨーロッパへ行くんですね。

他の仕事をしながら文化庁の海外留学制度を受けてみたら、受かったんですよ。河童さんには「じゃあ、行ってきます」って感じで。ヨーロッパには約2年ですね。文化庁がお金を出してくれて、誰にも何も言われないから最高だった(笑)。
ミラノに行ってました。その当時700万円くれたの。普通は学校とかに行くんですが、私は学校へ行かずに個人に付いた。ミラノのスカラ座の美術監督のところに行ったんです。文化庁の海外研修は招待がないとダメで、たまたまその美術監督が日本に来て講演をやるっていうので突撃したの。「ミラノで教えてもらえませんか」って。図々しいもいいとこなんだけど(笑)。
「自分は見聞を広めたい、だからいろんなところを見たいんです」という話をしたら、「それはすごくいい、せっかくのチャンスだから学校なんか行くよりもその方がいい。今仕事をやってるんだし。その手助けだったらやってあげますよ」と言ってインビテーションを書いてくれたんです。

―イタリアで印象的だったことは?

例えば1カ所行ったとか、本で読んだだけではなく、いろんなものを見ないとセットのデザインは出来ないと思うんですよ。空気感とかその場所に行って初めて分かることがいっぱいあるから、せっかくヨーロッパにいるんだからいろんなところを見て回った。それが一番良かったと思ってます。今もそれが身になってる。学校へ行ってたらどうだったか、2年間課題与えられて作るとかそういうことをしたからって、いろいろな所を見る以上の勉強になるのかなって今でも思う。帰ってきてから文化庁に報告したら、最初は怒られましたけどね。「遊んでたのと同じじゃないですか」みたいなこと言われて(笑)。

―ヨーロッパから帰ってきて、テレビをやり始めた頃の思い出は?

最初は本当に大変でしたよ。その頃はテレビの常識というのがあって、大道具さんからは「パネルを立ててセットなんだよ。お前のはパネルがねえじゃねぇか」って言われたの。私は変なものを結構作るので。例えば『MUSIC FAIR』で太いロープがダーっと下がってるセットを作ったんだけど、そういうのはそれまでなかったから大道具さんもすごく困っちゃうんですよ、慣れてないから。「何だか分かんねえよ」って、いつも喧嘩してました。カーテンを使うといっても、普通はまっすぐ吊るものを、こっちからこっちに吊ってくれとか、金網を使ってとか。素材もちょっと違ってたりしたので「何ですかその素材、じゃあ自分で買ってきてください」って、そんなにたくさん自分で買ってこられないよ、みたいな。パネルを並べる普通のセットとのギャップがあったんでしょう。でも、それこそ造形物を作りたくてテレビに来たんですよ。制約のある舞台セットと違うものやりたいと思ってテレビに来たわけだから。現場との戦いは結構ありました。

それと私は自分の手で作りたいというところがあるんです。今でもやってますけど、なんか必ず手を出してしまう(笑)。みんなは何だか分かんないから、「やるんだったら全部自分でお前がやれ」みたいなこともあって(笑)。最初は理解してもらえないのが辛かった。でも年月を経てくると分かる人も出てきて、徐々に増えてきました。みんなによく言うんですけど、私の周りにいるのは吹き溜まりっていうのか、ちょっと偏屈な変な奴ばかり寄ってきたような感じがありますね(笑)。でもだから逆に楽しかった。毎回私がやりたかったのは「みんなで一緒に作ること」なので、全員最初から最後までいる。床を敷いたら帰っちゃう、道具を建てたら帰っちゃう、電飾は最後まで残っているけど大道具はいないっておかしいでしょう?どこがやりにくかったのかっていうのをみんなで見て、毎回反省会をしてた。終わったらすぐに反省会。

FNS歌謡祭の生放送終了後、美術スタッフ集合

―それは自分のスタッフが出来上がったから、可能になったということですか?

できないからやったの。モノが言えないっていうのが嫌だから、何でもいいから言ってください、遠慮しないで。デザイナーに対しても「俺はこのセット大嫌い」でもいいから、何でも言ってもらうって。そのうちお互いに、「こうやってくれればいいのに」とか、「何でちゃんとやってくんないんだ」とか、どんどんそうなっていって面白かった。「じゃあ次回はそうしよう」ということになってくる、そんなスタッフづくりが大事だなと思いますね。特に美術はそうだと思う。

発注打ち合わせ

 

『FNS歌謡祭』もそうなんだけど、私は出来上がったものを見てすごいと思ったりする。自分で作れないから。図面上では描くけど、実際は40倍の大きさになったりするじゃないですか、よくこんなものを作るなぁとかね(笑)。デザインがどうのこうのじゃなくて、よく作るよなって。
細かいレリーフを彫る仕事も電飾にしてもお花にしてもそうだけど、「すげぇ!」って思っちゃうのは結構ある。
セットが建った瞬間と、照明の当たった瞬間、それと思ったような画が撮れてる時ね。その時はすごくうれしい。デザイナー冥利に尽きる瞬間だと思います。自分の頭の中にあったものが、アートコーディネーターの力も借りて現実の形として立ち上がってくるっていう瞬間、やっぱりそれがこの仕事しててよかったなと思うし、本当にありがたいと思ってます。

セットが出来て照明明かり合わせ立ち合い

―これからデザイナーを目指す人に、何か一言お願いします

私は想像するっていう楽しみをずっと持ち続けて、それが最初は形にならなくても、自分の中で組み立てる、形にすることを楽しんで仕事をしていてくれたらいいかなと思う。
それと、面白いと思うことをするのは、時間とかそういうことじゃないんだよっていうふうに思ってほしいなと。やりたいんだったらやる。デザインは何時からこの時間まで働いたから出来るっていうものではないし。いつ思いつくのかわからない。寝ている間に思いつくこともあるし、時間の縛りの中でデザインを作るのは私は違うと思っているんで、そういうことに囚われないでやっていく人たちを応援したいなと思う。働く時間とかを突き詰めていくと、サラリーマンじゃないデザイナーしかあり得なくなっちゃう。それが理想なのかもしれない。でも、時間に囚われずにあれこれ考えるのって楽しいんだよって思います。

―デザイナーを目指す人が、こんなことを心がけるといいということはありますか?

まあ、人によっても違うしねー

―感性っていうのは才能ですか?努力ですか?

私は半分ずつだと思う。興味がなかったら、いくら努力をしようと思っても努力できない。だからまずは好きか嫌いかっていうことだと思っていて、そこが感性なんだと思うんですよ。ただね、そうだとしても、必ずその人がモノになるかっていったら運もある。チャンスをどう生かすかだと思うし、チャンスは努力の上に成り立つと思う。

美術大学を出ました、だからデザインができるってことではないと思うんですよ。何を作りたいか、何がしたいかが明確に自分の中で持てれば、学校なんか関係なくできるし、この世界の基礎からちゃんと努力するというのが大事。今はCADができて当たり前っていうのがあるけれども、それができたらデザイナーってことじゃないし、絵が上手ければそれがいいデザインかって、それは違うんだよね。
描いたものが現実にできた時が一番大事。デザイン画が作品ではない。そこを勘違いしないで、わかりやすくちゃんと伝えるための描き方をする。感性をどう伝えるかだから、「何をしたいのか、何を表現したいのか」ってことが一番大事で、細かいところまで描いてあるから綺麗ですねってことじゃないんですよ。道具帳もそうだと思う。例えば最初に描いてある絵がすごく綺麗でも、お金がはまらないから作れなくて、全然違うじゃんってなってはダメで、ある程度の雰囲気を作って予算に左右されないでここは守るっていうのを伝えて、予算削減でも変になっちゃったって思わせないものを作るのが私たちの技術だと思う。だからそこを目指せない人はセットのデザイナーにはなれない。自分の思ったものだけを作りたいっていうなら、それはアーティスト。デザイナーは芸術家ではないんですよ。それがなかなか分かってもらえないんだけれども、絵を見たときよりも現物を見たとき感激してもらえることが一番大事で、それを伝えるための絵や、方法がデザイナーの技術ですね。これからやる若い人はそういところを目指してほしいなって思います。あとは、若いからいいんだよってことじゃなくて、いろいろ深く考えることも必要かなって思います。

私は大先輩のスタッフに教えられたことが沢山ありました。先輩の経験は貰えばいいと思います。やはりそういうアドバイスは必要かなと思います。先輩からいろいろ言われると悔しいし、嫌かもしれないけれど(笑)。ちょっと広い気持ちでやってくれるといいかなと。

あとテレビだと、一つ一つの番組の「色」が必要だと思う。その「色」を大事にするようにセットを作っていくといいですね。何やっても全部同じような感じにならないで、この番組はコレっていう「色」をちゃんと作りながらやっていくっていうこと。
私は「残ってるからこれを使う」っていうのは嫌いなので、有り物をそのまま使うのはどうかなと。「何かあるでしょ」と思うんですよね。有り物を使うにしても、同じに見えない工夫をする方法を考えて使ってほしい。セットを見てて、「あー、あれ、あの時のあれだよね」みたいに思われるのは悔しいじゃん。例えばお金がないなら、ないなりのものを作る。それはすごく大事だと思う。材料で工夫するとか、作りで工夫するとか、言い訳しないで楽しんでほしいと思う。フジテレビで最初に深夜番組を2本ぐらいやった時、「全然お金がありません、20万くらいしかありません」って言われて、工場へ行って自分で作ってたもん(笑)。

―では最後に越野さんのインスピレーションはどこから来るのかということで、少々質問を。好きな食べ物は何ですか?

えー、寿司、とんかつ、しゃぶしゃぶ、すき焼きでしょ、外国人が言いそうな日本食かな(笑)。
イギリスだと魚の種類が少ないんですよ。サーモンとか牡蠣はあるけどね、日本に帰ってくると魚の種類が違うんですよ(笑)。あと、うなぎ!

―趣味は何ですか?

いっぱいあります。旅行もそうだし、絵も描いてるし、作り物、陶器の金継ぎもやってるし、あと散歩。イギリスには車が通らないフットパスっていうのがあって、ネイチャーウォークはいろんな場所でできるので。森の中とか農場とか川のそばとか。イギリスへ行くとそれですね。
あとコレクションはお札とかコイン。イギリスのポンドも、時代によってエリザベスさんの顔が違ったりするから、そういう珍しいのはどんどんどんどん増えていってコレクションしてます。かなりの量があって私が死んだら全部寄付する(笑)。あとは眼鏡やサングラスとかかな。いつもかけるのは決まってるけど、何だか買ってしまう。でも最近やめた(笑)。

―モノ好きですよね?

好きですよ。でも買うよりは作る方が好きで、今は帽子作りに手を染めてます。あとは何かをリメイクしたり。ミシンは必需品。イギリスでも使ってるし。

―ありがとうございました

(2019年12月)