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中学生でお笑いの世界に入った山田花子さん。しかし、観客の反応は散々…一度はお笑いの道を諦めたそうです。
実は、花子さんには他にやりたいことがあったのです。それは女子プロレス。
きっかけは、小学生の頃に夢中になっていた『全日本女子プロレス中継』(1984.4〜1986.9)。クラッシュギャルズの大ファンだった花子さんは、入場時の空手着に憧れ、空手を習いに通ったこともあったそうです。そしてなんと!高校を卒業した花子さんは女子プロレスJWPに入門!しかし、そこで待ち受けていたのは、華やかな世界の裏にある厳しい現実。ハードな練習にいつも気絶していたそうです。それでも、精一杯がんばり続けた花子さん。結果的には、あまりのケガの多さを心配した社長さんから「頼むから辞めてくれ」と言われ、半年でクビに…。でも、本気で、とことんがんばった経験は、大きな財産になったと言います。
「お笑いも女子プロレスも人を喜ばせることは一緒」──再び、お笑いの世界に舞い戻った花子さん。“クラッシュギャルズ”も厳しい練習の末に栄光を掴んだんだ”──華やかさの裏には厳しさが付き物だと身をもって知った花子さん。今度は本気でお笑いに向き合い、あの頃のクラッシュギャルズのように声援を受ける側になったのです。その人気の裏には、体を張ったきっかけがあったんですね。
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山田花子さんが、一度は諦めたお笑いの世界で“本気になる”きっかけとなった番組とは?
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