FNSドキュメンタリー大賞
戦争に直接加担した世代、自分の親が戦争に関わりを持った世代、戦争とは全く無縁の世代…
それぞれの世代が、その世代なりの思いを込めて続ける草の根レベルの“日韓交流”を通して、「新しい時代の日韓関係」を考えていく。

第8回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『鏡の中の自画像 〜在日教師と94翁〜』 (制作 岡山放送)

<6月2日(水)深夜26:20放送>

 FNS28局がそれぞれの視点で切り取った28通りの日本の断面。先月5日にノミネート作品の放送が始まった『第8回FNSドキュメンタリー大賞』は、月が変わった6月には、一気に5本の放送が予定されている。その第一弾は、今なお“近くて遠い国”といわれる韓国に関わりを持つ様々な世代の人たちの活動を通して、新しい時代の日韓関係を考える『鏡の中の自画像 〜在日教師と94翁〜』(岡山放送制作)だ。<6月2日(水)深夜26:20〜27:15>

 この番組の主人公といえる岡山市の私立明誠学院高校の国語教諭・全 円子(チョン・ウォンジャ)さん(33歳)について、取材に当たった岡山放送報道部の笠見武男ディレクターがこう説明してくれた。
 「全さんは岡山県下でただ1人の在日外国人教諭です。韓国出身の父親と日本人の母親の間に生まれた在日韓国人2世ですが、朝鮮語は全く話せません。われわれは去年夏の終戦記念日特集の取材を通じて、全さんの存在を知りました」
 全さんは幼いころから日本名の『田中円子(たなか・かずこ)』を名乗ってきた。しかし『田中』という姓は、済州島出身の父が創氏改名で押しつけられたものと知って、奉職10年になった去年春から本名で教壇に立っているという。
 「国籍が韓国ということで、全さんはかなり不愉快な思いをしたこともあったようです。全さんの卓球の実力は高校の頃から全国でもトップクラスだったのですが、国籍を理由に全国大会への道は閉ざされてしまいました。かなり落ちこんだようです」(笠見D)
 と書くと、何か“反日”とか“民族問題”の闘士のようなイメージが浮かんでしまうのだが、全さんにはそんなところはないという。ただ自分のルーツにこだわり、出自を大切にしただけなのだろう。こんなエピソードを聞いた。全さんは兄1人姉1人妹1人の4人兄弟だが、兄は母の姓・杉田を名乗っている。そのため同じ家の中に『田中』『杉田』、それに父の本名である『全』という姓が入り乱れているそうだ。
 「うちの家族は何なんだろう、何か悪いことをしたかしら、というような気にさせられたものです」(全 円子さん)

 去年夏、ある新聞記事が、全さんの目に留まる。
 「戦時中、朝鮮半島から日本へ強制連行され亡くなった人たちの慰霊・供養を一緒にしませんか」
 この呼びかけは、岡山市に住む日蓮宗の僧侶・大隅実山(おおすみ・じつざん)さん(94歳)が出したものだった。
 大隅さんは戦時中、仏教精神に基づく反戦思想を唱えていたことから思想犯として逮捕された経験を持つ。さらに執行猶予中に朝鮮半島に渡った際には、朝鮮総督府が現在のソウルに開設した思想矯正施設「大和塾(やまとじゅく)」に、短期間ながら収容されてしまう。大和塾には朝鮮の人に対する「日本人化教育施設」という性格に加え、「思想犯保護観察所」のような性格もあったという。塾生の中でただ1人の日本人であったことから、大隅さんは韓国・朝鮮人の収容者たちに、お経や座禅を指導することを強いられたことを、今も悔やみ続けている。その思いから、終戦後は戦時中日本に強制連行され亡くなった韓国・朝鮮人の慰霊と遺骨の返還運動に乗り出し、90歳をとうに越えた現在まで続けている。これまでにも倉敷市内の高校生たちと協力して、岡山県内で亡くなり身元が判明した3人の方の遺骨を故国に帰した。
 「一時的ではあったものの、意に反して戦争の加害者の立場に立ったことは、矛盾以外の何物でもない。一生かけても罪の償いをしていく。生きている限り…」(大隅実山さん)

 新聞記事がきっかけで全さんは大隅さんの存在を知り、遺骨返還運動に関わるようになる。その交流が、全さんが顧問を務める明誠学院高校社会部の生徒たちレベルにまで広がるのに時間はかからなかった。今、明誠学院高校社会部は「日韓交流」をテーマに様々な活動をしている。去年夏には、これまで明確な記録がなかったソウル市内の「大和塾」の所在地を生徒たちが突き止めるなど、新たな発見もあった。
 全さんは、「韓国を知ることが、自分の生きる道」と位置づけ、社会部顧問としての活動以外に、個人的に積極的に日本と韓国の歴史を勉強したり、毎年本籍地(父の故郷)である済州島を訪ねている。名乗ってきた姓が、日本の植民地政策に由来することを知ったのも、それによってのことだ。そして爽やかにこう語る。
 「(日本に)帰化していたら、今のような幸せな気持ちにはなれなかったと思います。後悔はありません」

 「2002年、日本と韓国は、ワールドカップサッカーを共同開催します。本当の意味で近い国になりつつある両国ですが、韓国併合以来のわだかまりは、人の心や制度の中に今も残っています。全さんと大隅さんの生きる姿を、『韓国』という鏡に映し出してみると、そこには、これからの日韓関係を考える上で忘れてはならない大切なメッセージが見えてくるのではないでしょうか。番組のタイトルも、そんな思いを込めて決めました」笠見Dはこう語る。
 さらに番組の見どころについては、「ソウル市内の『大和塾』がどこにあったのか、明誠学院高校社会部が見つけだしたんです。元々キリスト教系大学だった建物をそのまま使っていたようなのですが、その後身の大学の70周年記念誌に載っていた昔の校舎の写真や、『小高い丘を登ったところにあった』という大隅さんの記憶をもとに、生徒たちがデジカメを片手に歩き回って探し出しました。日韓交流史の中では“負の遺産”として、ほとんど知られていなかった『大和塾』に、スポットが当たるきっかけになるかも知れません」

 あの戦争から、すでに半世紀以上の月日が過ぎ去った。戦争に直接加担した世代、自分の親が戦争に関わりを持った世代、戦争とは全く無縁の世代…。それぞれの世代が、その世代なりの思いを込めて続ける草の根レベルの“日韓交流”。番組ではそれらを通して、「新しい時代の日韓関係」を考えていく。


<番組タイトル> 第8回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『鏡の中の自画像 〜在日教師と94翁〜』
<放送日時> 1999年6月2日(水)深夜26:20〜27:15
<スタッフ> プロデューサー  : 岡阪美佐夫
ディレクター : 笠見武男
撮影・編集 : 山崎 誠
ナレーション : 佐々木 功
<制 作> 岡山放送

1999年5月14日発行「パブペパNo.99-163」 フジテレビ広報部