FNSドキュメンタリー大賞
第二次世界大戦の最中に出版されたある俳句集のルーツを探る取材を通して、自然と故郷を大切にする心を改めて訴える心温まるドキュメンタリー!

第11回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『一句、命再び〜大東亜戦争 第一俳句集〜』 (制作 鹿児島テレビ)

<2003年1月21日(火)深夜26:33〜27:28放送>
 大阪の俳人・田原憲治さんは、15年間毎年、鹿児島県の南の島々を仲間と吟行していた。そのことをニュース取材した時、体が震えるような話を聞いた。話はこういうものである。

 田原さんは、佐賀市の古本屋で戦争中の俳句集を単なる趣味で購入した。家に置いたままにしておいたが、俳句を始めた妻が偶然にもその中に、田原さんの亡き兄の一句を見つけたという。田原さんの兄は、昭和19年に宮崎の病院で戦病死した。兄が26歳、田原さんは小学校6年の時だった。俳句をしていたことさえ知らなかった兄との奇跡的な出逢いである。田原さんは、同じ思いをする家族がいるに違いないと、復刻本を作りたいと話したのが、今回の番組をつくるきっかけとなった。
 その俳句集は「大東亜戦争 第一俳句集」。昭和18年に3000部だけ出版されている。その後第二、第三の句集は出ていない。兵士や傷痍軍人の1000人あまりの三千句が収録されている。
 ほとんどが俳号で、出身地や所属部隊名も載っていない。たまたま田原さんの兄は実名で出ていて、俳句が故郷を思った句だったことから兄だとわかったという。戦争中の俳句だから戦意高揚の句が多いと思ったが、三千句のほとんどが「花鳥諷詠」に心を寄せた句だったことも興味を抱いたひとつであった。
 「番組の当初の構想としては、本のルーツを探りながら復刻本の完成までを完結としたいという考えがあったんですが、取材が始まるとその構想は大きく崩れることとなりました」と番組を取材した鹿児島テレビの松元修二ディレクターは話す。
 復刻本を作る場合、通常は本の編集者から許可を得れば出版が可能であるが、俳句や短歌、詩などは、それぞれの作品ひとつひとつに著作権が存在することがわかったのである。つまり「第一俳句集」の場合、千人あまりの権利者から、復刻本を出す許可を取らなければならないというのである。死亡してから50年間は権利が守られているため、戦死していない人からは、その家族の許可をとらなければならないのである。
 文化庁に相談に行くと、今回のようにすべての著作権者を捜すことが不可能な場合に、特別な措置があることがわかった。文化庁長官が、著作権者の代わりに許可を出すという形態をとるもので、一定の保証金を納めれば復刻本を作れるというのである。ただし、そこには「著作権者を捜す、相当の努力」をしたこと証明しなければならないという条件がついている。

 田原さんは、大阪で制作プロダクションを経営している。東京オリンピック、よど号ハイジャック事件などを撮影してきた記録カメラマンでもある。取材は去年の夏から始めたが、田原さんの仕事の合間を縫って撮影した。どうすれば、この本に投句している人たちを捜すことができるのか、全くワラをもつかむ思いであった。まず、本のルーツをさぐるため出版社があった跡や、俳句雑誌「ホトトギス」の事務局を訪ねた。そして幸運なことに、この句集の編集者、吉田冬葉が主催していた「獺祭」(だっさい)という俳句雑誌が今も続いていることと、句集の中に載っているひとりが、今も健在で「ホトトギス」に投句していることがわかった。
 「獺祭」の今の主宰者を川崎市に訪ねると、掲載されている俳人の親戚が鹿児島県の阿久根市にいることもわかった。ドキュメンタリーのおもしろいところである。取材の中で次々に新しい発見が出てくる。吉田冬葉の子孫を千葉県の柏市に訪ね、今も健在な中尾さんを岡山県に訪ね、阿久根市にいる俳人の親戚を訪ねた。そして、田原さんの兄が俳句を始めた原点が、どうも中国の上海であることが浮かび上がってきた。そこで東京新宿区にある俳句文学館で、昭和16年から18年にかけて、当時出版されたさまざまな俳句雑誌を調べた。しかし、そこに田原さんの兄の名前はひとつも見当たらなかった。この一句しか見つからないのである。
 そして取材班は最後に上海へ渡り、そこで田原さんの兄がいた海軍陸戦隊の跡を捜すことに・・・。

 松元ディレクターは、「上海は、当時10万人以上の日本人が移り住み、“若竹吟社”という俳句結社もありました。田原さんの兄は上海で俳句を始めたようですが、どうしても証拠をつかめるまで取材ができなかったのが心残りでした。また、上海では、“漢俳”(かんぱい)という漢詩式の俳句に出会いました。昔、中国の漢詩から日本で短歌や俳句といった文化が生まれましたが、今、日本の俳句から“漢俳”という新しい文化が生まれていることが非常な驚きでした。そして、これを番組の“新発見”にする構成を考えたんです。俳句の愛好者は、国内に1000万人いると言われています。番組のテーマは、取材を進める中で“平和”と“故郷”にしたいと思っていました。田原さんの本のルーツを探る旅の流れで、テ―マを浮き彫りにしながら、俳句の魅力も引き立てたいと思います。つまり、俳句をしている人以外の視聴者も楽しめるような、ソフトタッチのドキュメンタリーとしたかったんですが、果たしてそのような作品に仕上がったかどうか・・・。この番組で、俳句の魅力を感じ、自然や故郷を大切にする心が少しでも伝われば幸いです」と話している。


<番組タイトル> 第11回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『一句、命再び 〜大東亜戦争 第一俳句集〜』
<放送日時> 2003年1月21日(火)深夜26:33〜27:28
<スタッフ> 原    案 : 堂脇 悟
制    作 : 藤田充良、久見木英雄
取材・構成・編集 : 松元修二
撮    影 : 西村智仁、木原健次郎
音    声 : 川畑公二
音    効 : 伊地知宏和
技    術 : 藤本 文
C    G : 平石健輔
<制作・著作> 鹿児島テレビ

2002年12月11日発行「パブペパNo.02-333」 フジテレビ広報部