FNSドキュメンタリー大賞
7件10人、うちアベック3組が忽然と消え、いまだ行方不明
進展を見ない北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国による拉致疑惑
「わが子に会いたい」という老親の願いは果たして…!

第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『会う日まで 〜拉致疑惑被害者の家族は今…〜』 (制作 鹿児島テレビ)

<11月28日(水)深夜26:55〜27:50>
 今年5月、成田空港で1人の男に大勢の報道陣の視線が注がれた。男の名は「金正男」。北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記の地位を継承する、金総書記の実の息子と言われている。日本政府はこの男が金正男であることを認めていない。パスポートに書かれていた男の名は「パンシオン」。男は、偽造パスポート行使の疑いがあるとして入国管理局に2日間拘束された後、男の希望した中国へと強制送還された。6人の事務官に付き添われ、飛行機の2階を貸し切るという異例の待遇だった。
 日本政府はなぜ異例の対応をとったのか?

 金正男とみられる男の強制退去に怒りの声を上げる人々がいた。北朝鮮による日本人拉致疑惑の関係者だ。強制退去から10日後、行方不明者の家族とその支援者は、「拉致解決の好機を逃した金正男退去に怒る集会」を開いた。
 男の身柄を押さえることができたのは、国際情報機関から提供された情報によるもので、関係者はこの情報提供は、これまでの拉致疑惑解決に向けた運動の成果だとしている。
 拉致被害者の家族は「なぜ北朝鮮との交渉に男を使わなかったのか」「国はこれまでの運動を無にしてしまった」と政府への怒りを訴えた。
 日本政府が北朝鮮による拉致の可能性があるとしているのはアベック3組を含む7件10人。年老いた家族は救出運動を展開してきたが、疑惑は何の進展もないまま新しい世紀を迎えている。家族にとっては時だけが空しく過ぎた20年あまりだった。

 11月28日(水)放送の第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『会う日まで〜拉致疑惑被害者の家族は今…〜』(制作 鹿児島テレビ)では、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致疑惑を取り上げる。
 取材を担当した鹿児島テレビの加治屋潤ディレクターは
 「今回のテーマで、番組制作が決まったのは、2001年に入ってからでした。事件が発生してから23年、家族が救出活動を始めてから4年が過ぎ、具体的な進展はありませんでした。毅然とした態度を示さない政府の対応に、苛立つ家族は老い、残された時間はあまりなく、活動を始めたころの世論の盛り上がりもなくなっている。『事件を風化させてはいけない、新しい世紀を迎えても家族の思いは変わらない』。これが番組制作の主題でした。
 まずは、この拉致問題について視聴者に知ってもらおう、と北朝鮮による犯行という疑惑の検証、これまでの経緯を盛り込んだ。取材を進めるなかで家族は、国際社会への訴えという新しい試みも始まり、この問題を通して日本という国について考えるきっかけにもなると思いました」

と語る。

 当時の電電公社に勤めていた市川修一は鹿児島市に住む姉の家の離れに間借りしていた。勤めはじめて1年が経ったばかりの修一の仕事は順調だった。修一(当時23歳)とともに北朝鮮に拉致された疑いが持たれている増元るみ子(当時24歳)は修一の家のすぐ近くに住んでいた。
 交際を始めて3ヶ月が経った1978年8月12日、2人は初めてのドライブで東シナ海に面した吹上浜に夕日を見に出かけた。その後、2人は消息を絶った。
 修一とるみ子に失踪する理由はなかった。帰ってこない2人に、家族はおかしいと思ったが「若い2人のことだから」とすぐに警察へは届けず、捜索が始まったのは2人が家を出てから2日後の8月15日のことだった。吹上浜の駐車場では修一が乗っていたコロナマーク2が発見された。カギのかかった車の中には2人の荷物がそのまま残っていた。修一のサンダルの片方も海へと通じるあぜ道で見つかった。捜索は警察や消防団なども加わり、その規模はのべ2000人にも達したが、このほかに2人の痕跡は何一つ見つからなかった。
 現場を管轄する加世田警察署には、修一のサンダルと車の中に残っていたるみ子のカメラが今も保管されている。カメラには吹上浜のすぐ近くの湖で撮影した2人の写真が残っていた。初めてのドライブで少しはにかんだ表情を見せる2人。この撮影の後、2人の、そして家族の一生に関わる何らかの事態が起こったことは間違いない。2人が元気でいれば修一が46歳、るみ子が47歳になる。
 年老いた家族は子供に会う日を夢見ている。
 当時、「神隠し」と騒がれた2人の失踪。今では、家族の救出運動や日本政府が公式に認めたことにより、北朝鮮による日本人拉致疑惑として知られるようなっている。日本政府が北朝鮮による拉致の疑いがあるとしているのは7件10人。被害者は当時の年齢で13歳の少女から52歳の男性までと幅広いが、3組のアベックは年齢や発生時期などの状況が類似している。

 3組のアベック行方不明に脚光が当たるのは、事件から9年後の北朝鮮によるテロ事件によってだった。1987年、乗員乗客115人を乗せた大韓航空機がミャンマー沖上空で爆破され、日本人のパスポートを持っていた北朝鮮の女性工作員、金賢姫が逮捕された。この金賢姫が自分にスパイ教育をしたのは日本から連れてこられた女性であると証言したのだ。教育係の日本人は誰なのか?3組のアベックの中の女性が金賢姫の言う「李恩恵」ではないか、という報道が日本じゅうを駆けめぐった。
 翌1988年の参議院予算委員会では、この「李恩恵問題」から、国が初めて拉致疑惑を認める発言を行っている。
 政府が認めた疑惑。北朝鮮による犯行という根拠はなんだったのか?3組のアベック行方不明に共通しているのは、発生時期、年齢、失踪する理由がないということ、それに失踪場所が挙げられる。しかし毎年、数多くの行方不明者が出るなか、これだけの共通点だけでは北朝鮮による犯行と結びつけることはできない。この問題を国会で取り上げるために尽力した橋本 敦 参議院議員(共産)の元秘書、兵本達吉は、国が表に出していない犯行の根拠があるのだと語る。
 「警察に内々に聞いた話だが、警察は北朝鮮からの電波を傍受している。当時は乱数表で数字で暗号電文をやっていたが、日本の警察が解読して、3件の拉致事件に関しては日本へ何月何日何名工作員が上陸するというような連絡があったということを傍受していた」
 拉致の根拠について警察庁は、これまでの一連の捜査を総合的に検討した結果として具体的な根拠を示していない。

 さらに事件から17年後、残された家族を救出運動へと突き動かす原動力となった人物が現れる。男は北朝鮮の元工作員「安明進」。スパイ教育のなかで民主主義への憧れを抱いた安明進は、1993年に工作活動のため韓国に潜入した際に亡命した。その後、新潟で行方不明になった横田めぐみの目撃情報を伝えた人物である。警察も安明進の証言を北朝鮮の犯行という根拠の一つに挙げている。安明進は市川修一のこともはっきり覚えていると証言し、鹿児島の家族は疑惑が確信となった。

 一方、北朝鮮は拉致疑惑について全面的に否定している。国の広報を兼ねる朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」では「日朝友好を妨げようとする謀略であり、全くのでっちあげだ」と反論している。
 本人が希望して北朝鮮へ渡ったのか確認がとれず、犯人が検挙されないままでは一連の行方不明事件は疑惑のままである、と警察関係者は言う。国交のない国への捜査の難しさ、北朝鮮側の全面否定で事態はいっこうに進展していない。

 沈黙を続けてきた家族が名前を公表して国や世論に訴えを始めたのは、事件発生から19年後のことだった。失踪から19年が経った1997年3月、全国の拉致被害者の家族は立ち上がり、沈黙を破った。当初、名前を出すと家族が殺されるかもしれないという不安もあったが、ここまで来たからにはできる限りの手を打つべきだ、という思いから参加した家族は全て実名と写真を掲げた。
 総理大臣との面会など着実に運動を進める家族は北朝鮮に対し、毅然とした対応を見せない国に怒りを募らせていった。
 家族が怒りを向ける政府は、拉致疑惑についてどのように北朝鮮との交渉を進めてきたのか?日本政府は、1991年に始まった北朝鮮との国交正常化交渉で李恩恵問題を持ち出すが、北朝鮮側は事実無根と怒り、8回目の交渉で決裂していた。一方、食料危機に陥った北朝鮮は、交渉が決裂して4年後、日本からの援助を求めて7件10人の調査を約束したが、その回答は<存在しない>というものだった。
 北朝鮮の回答に対し政府は遺憾とする声明を発表するが、その一方では国交正常化交渉の再開に向けた準備が進められていた。そして去年、政府は交渉再開の手だてとして北朝鮮に人道支援という形でコメを送ることを決定する。<なぜ国民を救わず、北朝鮮を支援するのか>。家族の怒りは頂点に達した。

 支援決定の翌月、日朝交渉は再開された。しかし、拉致疑惑をはじめ、過去の清算などをめぐり、平行線をたどっている。
 1998年、北朝鮮のミサイルが放たれたとき、日本政府はすぐに経済制裁を科した。この件に対しても家族は<ミサイルで被害はなかった。私たちには実際に被害が及んでいる拉致で、なぜ制裁措置を取らないのか>と怒りをあらわにしている。コメ支援、ミサイル発射問題、そして金正男退去と、家族の思いとは裏腹の政府の対応に、家族の感情は怒りからあきらめ、情けなさへと変わり、家族の訴えは国際社会へと向けられていった。

 去年6月、戦後初めて北朝鮮と韓国の首脳会談が実現した。シドニーオリンピックでの南北同時行進など近年、統一のムードは高まっている。しかし、その韓国でも北朝鮮の拉致事件が存在する。韓国政府が発表した北朝鮮による拉致被害者の数は452人で「拉致被害者の家族の会」も結成されている。この韓国と日本の家族の会は、今、合同で国際社会への訴えを始めている。

 今年2月、アメリカを訪問した日本の家族の会。疑惑解決に協力するというアメリカ政府関係者の言葉を得た。 今年の5月には、国連人権委員会に拉致被害を提訴し、委員会は拉致疑惑を本格的に取り扱うことを決めている。
 家族を支援している東京基督教大学の西岡 力 助教授は一つの条件を挙げ、国際社会への訴えは解決の契機になるかもしれないと語る。
 「この問題を否定することによってくるマイナスと、認めたことによるマイナスを比べたときに、否定し続けると国際的にも非難を受ける。北朝鮮にとってマイナスはあるけれども、より大きなマイナスを防ぐために拉致問題について何らかの処置をとるということを北朝鮮に決断させる契機ができるかもしれない。それも日本政府が強い態度をとるということが絶対条件だと思っています」
 拉致疑惑に対する国際世論の高まりが国際社会に歩み寄りをみせている北朝鮮にとってマイナスになることは間違いない。先月、イタリアで開かれた主要8カ国の外相会議では田中真紀子外務大臣が日本人拉致疑惑の解決を北朝鮮に求めることを表明した。国際会議の場で日本が拉致疑惑を取り上げるのは、これが初めてのことだった。
 日本人拉致疑惑は今、人権問題として国際社会、国際世論のなかで真相究明へと向かっている。

 明るい兆しの一方で家族は不満を口にする。なぜ、日本人として他の国に助けを求めなければならないのか…と。

 23年目の夏、鹿児島の家族は繁華街での署名活動を今年も行った。恒例の署名活動だが、会が結成された4年前ほどの盛り上がりはない。声を挙げる家族の前を大勢の人が通りすぎる。
 「あの時、状況が変われば拉致されていたのはあなたの家族だったかもしれない」
 そんな思いを浮かべながら家族は素通りする人々を見ると言う。
 「あなたが拉致されなかったのは偶然です」
 ある関係者はこの問題はひとごとではないのだと語った。

 取材を終えた加治屋潤ディレクターは、
 「難しいテーマでした。様々な要素、個人のイデオロギーも絡んでいましたし、家族以外の関係者に話しを聞くと戦後の帰国運動、日朝交渉、戦時の責任問題なども話題に挙がり、北朝鮮をめぐる問題の多様さ、根深かさを痛感しました。
 この番組は、途中経過をまとめたものです。残された家族は23年間、毎日が現在進行形で、今もその苦しみは続いています。早い時期に、この問題が全面解決を迎え、家族にとって、そして日本という国にとって、この問題が何だったのかを問いかける番組を制作したいと痛切に思います」
と語っている。

 北朝鮮に拉致された家族を救う会の調査では、政府の認める7件10人以外に少なくとも60人の日本人が拉致されたのは間違いないとしている。

(文中敬称略)


<番組タイトル> 第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『海は潮干て 諫早湾干拓と民主主義』
<放送日時> 11月14日(水)深夜26:55〜27:50
<スタッフ> ナレーション : 古井千桂夫
カ メ ラ : 平石健輔、金 昇鎮
アシスタント : 由井薗 進
デ ザ イ ン : 鎌田兼広
M    A : 伊地知宏和
ディレクター : 加治屋 潤
プロデューサー : 堂脇 悟
<制 作> テレビ長崎

2001年11月14日発行「パブペパNo.01-377」 フジテレビ広報部