FNSドキュメンタリー大賞
「明日への希望が神々を創った。明日への不安が神々を必要とした…」
四国山地の奥深い山村・物部村に古くから伝わる「いざなぎ流」
過疎高齢化の中、民間信仰はほろびゆくのか

第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『辺境の神々〜土佐・奥物部 いざなぎ流の宇宙〜』 (制作 高知さんさんテレビ)

<11月7日(水)深夜26:55〜27:50>
 明日への希望が神々を創った。明日への不安が神々を必要とした。
 四国山地の奥深く、阿波徳島と境を接する過疎の山里、高知県物部村(ものべそん)。「ものべ」の呼び名は、大和朝廷に滅ぼされ辺境の地へ離散した物部氏を思わせる。かつてお米が年に2度穫れた高知平野を潤す一級河川・物部川の最上流域にあるため、そう呼ばれる。
 この村には古くから「いざなぎ流」という民間信仰が伝わっている。「いざなぎ流」は物部の里に伝わる祭儀、祈祷、占いなどを総称した呼び名だ。「いざなぎ」といえば、国産みの神話に描かれる神を連想するが、ここでは祭文の中で「天竺にいるいざなぎの神様」というキャラクターで登場する物語の一構成要素であり、宇宙的広がりを思わせる体系である。土佐・奥物部の僻地性が奇跡的に守り続けてきた独特の山村文化と言えよう。
 企画・構成を担当した高知さんさんテレビの鍋島康夫報道制作局長
「過疎高齢化のトップランナーである高知県は、10年前、全国に先駆けて、オギャーと産まれる赤ちゃんの数より、柩に納められる老人の数の方が多い、人口の「自然減」に陥りました。中山間地域の“スクラップ化”がますます、過疎に拍車をかけています。物部の山里もその例外ではありません。
『いざなぎの神々』は、過疎高齢化の中でだんだんその存在空間が狭められています。この番組では、『太夫』になろうと決意した30歳の女性を追ってみましたが、800年の伝統を継承してきたこの祭礼も、地域社会の崩壊で“有効需要”を失って滅びてしまうのではないか、という思いが何度もよぎりました。
ならばこそ、いま、カメラを向ける必然性と使命感を確信しました」
と語る。

 いざなぎ流は、平安末期から中世にかけて仏教、神道、陰陽道、修験道など種々の宗教や習俗が混ざり合って原型が形作られ、バリエーションを広げながら継承されてきたといわれる。祭儀は「太夫」と呼ばれる宗教者によって執り行われる。太夫は世襲でもなく、特定の教団もない。男女の性別も問わない。ただ、地域の中の“適格者”と認められた人が膨大ないざなぎの祭文と祭礼の様式を伝承する。
 太夫たちは、それぞれの家や地域のお祭りを主宰する。今回、取材したのは、平成13年2月の奥物部・別府(べふ)地区の由緒ある小松家「日月祭(にちげつさい)」と、「20世紀最後の祭り」といわれた平成11年3月の市宇(いちう)地区・十二所(じゅうにしょ)神社の「日月祭」の模様である。旧暦1月17日の月の出を拝み、祖先を神として敬い、地区の繁栄を祈願するお祭りだが、里人にとっては、“非日常的祭礼空間”を共有する一大イベントなのだ。
 「いざなぎの宇宙」は、科学と呪術、祈祷などが未分化だった時代の痕跡をとどめる。また、太陰暦の支配する世界でもある。森羅万象をすべて科学的に説明する術を持たなかった時代、祈祷や呪術が幅を利かせた。伝えられているいざなぎ流のもうひとつの側面がそれだ。“裏の顔”といっても差し支えない。怨霊との格闘やスソ(災い)払いを中心としたまじないの系譜、病を祈祷によって治そうという秘術などである。

 近年の陰陽道ブームのせいか、いざなぎ流も女性週刊誌などで取り上げられる頻度が高まっている。だが、呪術的側面をことさらクローズアップすることによって、刺激的なその場限りの俗物的話題に仕立て上げようという底意も感じられる。私たちは努めて、人と自然の交歓のありようをメーンテーマにして構成を試みた。
「この番組では、あえて西洋音楽のたぐいは一切用いませんでした。800年前の里人たちも多分同じ音を聞いていたであろう『いざなぎ太鼓』のトントコ・トントコ・トントントンのリズムを基調としてみました。『天突く地突くトントントン』と聞こえ始めた人は、いざなぎの宇宙を彷徨しているそうです。
それに、山里の急斜面を通り抜けていく風やせせらぎ、虫たちの鳴き声など、そこにある自然音を非加工で追加しました。オーバーステートメントにならないよう気をつけながら。太陽や月など自然のリズムとそこに住む人間の日常的、非日常的リズムがシンクロするように企図したのですが、想いのみが空転してしまったかも知れませんが…」
(鍋島局長)

 非科学的要素を含みながらも、「山のものは山へ、川のものは川へ戻さんといかん」という「いざなぎ流の掟」などは注目に値するものだ。自然を過度に加工した文明人の反省としてのエコロジーや循環型社会の喧伝などではなく、「いざなぎの世界観」それ自体の中に環境哲学を内蔵している。西欧文明の恩恵にどっぷりつかってなお不平不満たらたらの私たちに、いにしえの日本人の知恵を見せつけられる思いだ。
 また、この地域には平家落人伝説も数多く伝わっている。僻地の山里は、乏しくとも互いに支え合い、食糧を分かち合う。都からの逃亡者をも心温かく迎え、そっと匿う優しさを身につけていた。それはまた、都の文化を僻地が吸収していくための貴重な回路であったのかもしれない。

 鍋島局長は番組を作り終えた感想をこう語る。
「時間がゆっくり、ゆっくり透過する山里のたたずまいと、ほろびゆく祭礼のコントラストを描きたいと思いました。語りは排他的ローカル色のある表現を貫きたくて、この地域で用いられる“土佐弁”にこだわってみました。ほろびゆくものへの共振を体のどこかで感じていただければ、制作者としてうれしいですね。取材を終えて感じたのは、無神論者が神の存在=自然の摂理?を認めるようになったということです」


<番組タイトル> 第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『辺境の神々 〜土佐・奥物部 いざなぎ流の宇宙〜』
<放送日時> 10月17日(水)深夜26:55〜27:50
<スタッフ> ナレーション : 射場哲之進(いば・てつのしん=フリー)
構   成 : 鍋島康夫(高知さんさんテレビ)
撮   影 : 小林一行、林 寛、森本光行(以上、高知さんさんテレビ)、中屋慎二(フリー)
編   集 : 田村倫子(フリー)
<制 作> 高知さんさんテレビ

2001年10月19日発行「パブペパNo.01-351」 フジテレビ広報部