FNSドキュメンタリー大賞
先天性難聴の少女が「音」を獲得できた!!
内耳機能障害で音の聞こえない人たちにとって大いなる福音の「人工内耳」とは?

第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『お母さんの声が聞こえる 〜人工内耳の子どもたち〜』 (制作 テレビ長崎)

<8月2日(水)深夜26時25分放送>

 人間は生まれながらにして言葉を知っているわけではない。お母さんの声をたくさん聞くこと、これが赤ちゃんが言葉を覚える第一歩だ。しかし、不幸にして聴覚に障害を持って生まれてくる子どもたちは、軽度のものを含めると一説では1000人中およそ1人いるといわれている。これに中途失聴者が加わると、音のない生活を余儀なくされている人達は、思った以上に多い。
 「人工内耳」は内耳機能の障害で音が聞こえなくなった人たちに、聴覚を取り戻させることができる夢のハイテク装置だ。国内では成人の中途失聴者を中心におよそ1400人がこの装置で音を取り戻している。
 この人工内耳は音の記憶を持たない先天性難聴の子どもたちが、言葉を獲得する有効な手段として今注目されている。しかし、人工内耳は手術が回復への第一歩に過ぎず、言葉の習得には心の教育と連携した長いリハビリが必要になる。

 8月2日(水)放送の第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『お母さんの声が聞こえる 〜人工内耳の子どもたち〜』(制作 テレビ長崎)では、1年前、国内最年少で人工内耳の手術を受けた2歳の少女の成長の様子と、リハビリを支える母親や学校、病院の医師とのふれあいを優しく暖かく描くとともに、この分野の先進国ドイツの取り組みなども紹介し、今後の人工内耳の可能性について考える。
 取材に当たったのはテレビ長崎の松本祐明ディレクターだ。
「3年前の11月に、ニュースの特集で、中途失聴のナースが手術を受ける姿を放送しました。しかしこの時、伝えきれなかった内容がありました。それが、人工内耳が音の記憶を持たない先天性難聴の子どもたちにとって、音と言葉を獲得する有効な手段である点でした。補聴器の性能の進歩で、最近では多くの子どもたちが補聴器によって音と言葉を獲得しています。しかし内耳の障害により、単純に補聴器で音を大きくしても聞き取りが難しい子どもたちも多くいます。そんな子どもたちと、その家族が人工内耳の存在を知って、将来の選択肢の一つになるような情報が提供できればと思い、今回の番組を企画しました」(松本D)

 長崎県東彼杵町(ひがしそのぎちょう)の池田優里(ゆうり)ちゃん(2歳)は、1歳の時、重度の難聴と判明、補聴器での聴覚教育を始めたが効果はなく、両親は優里ちゃんの将来に不安を感じていた。そんな時、人工内耳存在を知り、「補聴器で効果が得られないなら、音を取り戻す可能性が高い人工内耳に賭けてみたい」と両親は、国内最年少となる手術を優里ちゃんに受けさせようと決心した。
 耳の側の小型マイクが拾った音声が音声処理器で電気信号に変換され、それが内耳に埋め込まれた小さな電極を通して聴神経に流れる、というのが人工内耳の大まかな仕組みだ。体外の装置は磁石を利用して内耳の電極とつながる。一見すると、補聴器と変わりはない。この人工内耳の手術が国内で最初に行われたのは1985年とごく最近のことで、その臨床例のほとんどは中途失聴の大人だ。
 精密機械のような私たちの耳には、およそ1万5千本の神経があるといわれ、この神経をわずか22本の電極で肩代わりするのが人工内耳だ。このため自然な会話音声とは異なるが、音が聞こえるとはどういうことなのか脳が覚えている人は人工内耳の音に慣れるのが比較的早い。これは脳の発達との関係からで、専門家によると3歳から4歳までに音を知っておかないと、その後の言葉の習得に倍以上時間がかかるといわれる。難聴の子どもたちを早く見つけ、補聴器や人工内耳で残された聴力を活かしながら早く教育を行うこと、これが大事なのだ。しかし手術を伴わない補聴器とは違い、人工内耳手術を小さい子どもに受けさせるのは容易なことではない。
 優里ちゃんの母親・厚子さんはこう語る。
「子どもに人工内耳の手術を受けさせるかどうかは親の決断次第ですが、“後押ししてくれる人”がいなければ不可能です」
 人工内耳の手術を受ければ即、音を得られるわけではない。手術後のリハビリで、音とはこういうものだと脳に認識させなければならない。「後押ししてくれる人」とは、このリハビリに携わってくれるスタッフのことだ。優里ちゃんは、長崎大付属病院と聾学校の連携したリハビリのおかげで、音を認識できるようになった。
「今は、優里に音が聞こえていると感じられます。補聴器を使っていたときはそういう実感はありませんでした」(厚子さん)

 長崎市の村崎由佳(むらさきゆか)ちゃん(7歳)は、小学校に上がる直前に手術を受けた。もっと早い時期に受けたかったのだが、リハビリなどの環境が整わなかった。しかし言葉の学習は丁寧にやってきたので、リハビリそのものに慣れるのは早かった。今は普通の公立の小学校に通っている。人工内耳にして言葉の聞き取りが良くなった由佳ちゃんは、持ち前の明るい性格でクラスにとけ込み、ピアノや水泳など人工内耳をした子どもには難しいといわれることにも果敢に挑戦、自分の可能性を広げている。
「障害があることを人に言えるような子に育てたかったのです。周囲の子どものように完全ではありませんが、それでも人工内耳でこんなに聞こえるようになった、と分かっているようです」(母親の浩子さん)

 番組では、日ごとに音の世界が広がっている二人の少女の成長の様子と、リハビリを支える母親や学校、医師との関わりなどと合わせ、人工内耳の先進国・ドイツの取り組みなども紹介する。
 取材を終えた松本Dは、
「優里ちゃんと由佳ちゃん、この二人の女の子のお母さんは普段の生活で子どもたちに丁寧に接しています。子どもと真正面から向き合う2人の姿から『言葉を教えることはその子の心を育てること』という子育ての原点を見る思いがしました。そして難聴の子どもたちの成長と家族を側面から支える学校や大学病院の存在は、とかく人間関係の希薄さがいわれる昨今、まだまだ捨てたものじゃないとも感じました。人工内耳で音を知った二人の幼い女の子が言葉と心を育むために大切なのは、家族や周りの人達の愛情だったのです。
実は5歳と2歳の娘の父親でもある私、『自分は娘達に丁寧に接しているだろうか』と自分自身考えさせられる取材でした」
と振り返る。

 そして、こんなことを付け加えた。
「実は、この番組の元となったニュース番組の特集を作るきっかけになったのは、人工内耳で音を取り戻したある女性です。熊本市に住むこの人は、1997年の初め頃、社に訪ねてきました。『この春に、長崎大学付属病院で人工内耳手術の取り組みが始まります。聴覚障害を持つ人達にとっては朗報なので、地元マスコミとしてニュースで取り上げ、人工内耳の存在を多くの人に知らせて下さい』との話でした」
 40代前半のその人は、10年以上の失聴期間があったそうだが、会話を交わしていても全く支障がない様子に松本Dは驚かされた。そして以前、難聴をテーマにした番組を制作した経験もあり、この難聴者のための先端医療の存在にたいへん興味を引かれたそうだ。
「取材を受けて頂いた二組の家族には『難聴を抱えている子どもたちを持つ人たちの励みになれば』という共通の思いががありました。人工内耳は手術が最終段階ではなく、その後のリハビリ(言葉を獲得していく過程)が大切な要素です。子どもたちが少しずつ成長していく姿に親は根気よく接していくことが必要で、そのことを理解しないと結果だけを先に求めてしまうことになりかねません。
 番組を通じ人工内耳という医療の進歩と教育の連携が今、重度の難聴を抱える子供達の未来の可能性を広げつつあることを感じて頂ければと思います。子どもの重度の難聴を知り、これからどうやって育てていこうかと悩んでいるご両親たちにとっていい情報提供に、そして番組に登場する二人のお母さんの姿が多くのお父さん、お母さんたちの子育てのヒントにもなれば幸いです」
(松本D)
 最新の医学の進歩も、心の通ったアフターケアなしでは人を救えない。わが子を思う親の心情がひしひしと伝わってくる感動のドキュメンタリーだ。


<番組タイトル> 第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『お母さんの声が聞こえる 〜人工内耳の子どもたち〜』
<放送日時> 8月2日(水)深夜26:25〜27:20
<スタッフ> ナレーター : 竹下景子
撮 影・編 集 : 原 和則(テレビ長崎報道部)
M    A  : 大江善保(ビームテレビセンター)
効    果 : 二瓶志のぶ(第一音響)
ディレクター : 松本祐明(テレビ長崎報道部)
プロデューサー : 大石堅二(テレビ長崎報道制作局長)
<制作・著作> テレビ長崎

2000年7月27日発行「パブペパNo.00-213」 フジテレビ広報部