FNSドキュメンタリー大賞
行政は、眠れぬ夜の孤独を救ってはくれない…。

第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『ひとりぼっちにサヨナラ』
(制作:新潟総合テレビ)


<10月22日(金)3時5分〜4時放送>
【10月21日(木)27時5分〜28時放送】


ある福祉サービスシステムの生みの親でもある河田珪子さんが、
去年、新たに新潟市粟山の空き家を利用した
「うちの実家」という名の空間を立ち上げた。
人々の記憶の中にある大切なもの、“実家のぬくもり”…。
行政だけでは埋められない“新しい地域社会”のありかたを追う。



 新潟総合テレビ制作、第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品『ひとりぼっちにサヨナラ』<10月22日(金)3時5分〜4時放送>では、高齢化社会の行政システムの隙間を埋める河田さんの活動を通し、孤独を抱える老人、そして地域社会のありかたを考えます。

<企画意図>
 高度経済成長の時代を経て、私たちは、物質的な豊かさや個人の自由を少なからず手に入れました。それは同時に、プライバシーを主張し、周囲に無関心になることで、近所づきあいや家族の絆さえもを失うことになっています。
 
福祉サービス「まごころヘルプ」の生みの親・河田珪子さんは、自身の介護体験や、現場で起きている介護される人や介護をする人の思いを積み重ねた結果、去年、新潟市粟山の空き家を利用した『うちの実家』という名の空間を立ち上げました。そこには、記憶の中にある“実家のぬくもり”を再現したいという思いがあります。『うちの実家』には他人同士が擬似的な家族として集い、手芸や昼寝など、それぞれが好きなことをして過ごしています。特に、配偶者との死別により一人暮らしをするお年寄りは、何気ない会話や仲間と食べる昼食でいいようもない孤独感から逃れることができ、また生きる目的をあらためて持つことで元気になると言います。
 河田さんは「行政は、排泄やお風呂の世話をしてくれても、眠れぬ夜の孤独を救ってはくれない」といいます。私たち自身が地域社会のありかたや付き合い方を再構築していかねば、コミュニティーは崩壊し、将来大きな社会問題を引き起こすに違いありません。

<取材内容>
 新潟市の有償の福祉サービス「まごころヘルプ」。
 「市民相互の助け合い」を合言葉に、小さなボランティア団体として平成2年に誕生しました。その後新潟市が支援に乗りだし、現在は約1,000人の利用会員と、約1,100人のサービス提供会員が活動しています。提供会員の派遣の調整をしている「まごころヘルプ室」には、“ヘルプ”を求める電話がひっきりなしにかかってきます。
 福祉サービスというと、老人の入浴や食事の介助…といったものを想像しますが「まごころヘルプ」は、水まきや窓拭きなど、小さな“ヘルプ”にも答えます。最近では「話し相手」「囲碁の相手」という項目のサービス内容もあります。「“何でも屋”“便利屋”と変わらないのでは?」と思ってしまいますが、例えば、外出の少ない高齢者が庭の草花に癒されているなら、寝たきりの人が窓から見える青空を求めているのなら、つまりサービスに「まごころ」を添えられるものに、提供会員は駆けつけます。介護保険では賄えないことでも、介護保険の対象外の若い人に対しても「まごころヘルプ」は活動します。
 また活動の中に、夕食の弁当の宅配サービスがあります。この宅配には、一人暮らしの高齢者の安否確認や、提供会員との世間話を楽しんでほしいという意図が隠されています。また、握力の弱くなった人に対しては“お味噌汁の蓋を少し緩めて渡す”など、小さな心配りを提供会員に徹底させています。

 「まごころヘルプ」の創設者、そして室長の河田珪子さん(60)は
「心で考える」人。河田さんの活動には、ハッとさせられる理由が隠されています。
 河田珪子さんは、自らの介護体験から、このシステムを作りました。創設の理由を「四六時中の両親の介護から、私が“鬼嫁”にならないために作ったの」と話します。1、2時間でも介護を交替することで、介護する側が笑顔でいられることも大切な狙いです。

 そんな河田さんが、
平成16年の3月をもって「まごころヘルプ」を退職しました。次の目標である「うちの実家」という、空き家を利用した空間の立ち上げに専心するためです。
 河田さんは
人の孤独を知っています。彼女が30代後半から特別老人養護施設の寮母をしていた時には、寂しさから用事が無くてもナースコールをしてくるお年寄りがいました。また、彼女自身が子宮ガンになり死に直面した時「ガラスの中に閉じ込められたように孤独だった」と話しています。孤独とは、人がいるから埋められるものではなく、人と心を通わせることで初めて解消できるものなのです。
 
彼女の孤独を巡る体験から「うちの実家」は生まれました。月に一回しか開かれない「地域の茶の間」とは違い、常設のみんなの家。そして、寂しい夜は泊まっていくこともできるのです。
 「ひとりぼっちにサヨナラ」の中では、
一人暮らしをする竹村修一さん(仮名)という69歳の方が登場します。竹村さんは体調を崩し、ほとんど外出しません。そして「生きていても仕方がない。死んで、泡になりたい」と語るのです。病気がちで人付き合いもなく、アパートで毎日を過ごす孤独。しかし核家族化が進み、近所づきあいもない現代では、誰もがその孤独と隣り合わせなのだと思います。
 「行政は、排泄や食事や入浴の手伝いはしてくれても、眠れない夜の孤独を救うことはできない」と話す河田さん。行政サービスの隙間を見つめ続けてきた河田珪子さんの活動を通して「高齢者の孤独」そして「地域社会のあり方」を見つめます。

<制作者の思い:新潟総合テレビ ディレクター 松村道子>
〜作品に必要なピースを丁寧に集めること、そのことを身をもって知った処女作です。〜
 私のドキュメンタリー
制作は去年11月に始まりましたが、周囲の心配をよそに実質的な活動をしたといえるのは、今年5月からで、ほぼ“沈黙の半年”が過ぎました。私は100日以上も、ある家のドアを開ける勇気が自分の中から沸くのを待ち、ドキュメンタリーを作る意味を考え、そして結局、何もしていなかったのです。
 「うちの実家」を立ち上げた河田さんは
「眠れない夜の孤独を行政は救えない」と言います。その見えない孤独を埋めるのが「うちの実家」なのです。当初からテーマである“老人の孤独”を取材しなくてはならないということは、決まっていました。それが、どれだけ必要な場面であるかは、私にも十分分かっていました。河田さんの周囲の方から、誰に焦点を当て取材をするのか、早々に決めなくてはいけませんでした。
 
私が半年以上も開けられなかったドアは、竹村修一(仮名)さんが住むアパートのドアでした。竹村さんに初めて会ったのは今年2月。「まごころヘルプ」という福祉サービスの中の“お弁当宅配サービス”の配達先の一つでした。
その日、私は何件かのお宅の配達について行き、高齢者の生活を玄関先から垣間見ました。お弁当サービスのボランティアが話しかけると、ほとんどの人がとてもうれしそうでした。その笑顔が見えない寂しさを表しているようで、少し胸が痛みました。
 その中、
竹村さんは私に強烈な印象を与えました。陽の当たらない玄関に猫のエサ。その奥からゆっくりと出てきた男性。はじめは70代後半くらいかと思いましたが、後から聞けば、69歳とのこと。無気力に見えるやせた身体、しかし竹村さんは、私を受け入れてくれるような目をしていました。「今度お話を聞きに来てもよいですか?」との問いに「俺でよければ」と答えた竹村さん。
この2月の出会いから実際に取材に行くまで、さらに4ヵ月かかりました。
一度しか話したことのない人のプライバシーに踏み込むという、マスコミ独自の強引さ…。
 今までも、そしてこれからも普通に暮らす人に対して、責任が取れるだろうかとひるみました。
人の生きざまを描くのがドキュメンタリーであれば、人の生活に食い込んで取材をしなくてはいけない。頭では分かっていても、足が動きませんでした。取材に行くのが嫌でした。
 そして6月。ようやく、竹村さんの家を訪ねました。スタッフに
「竹村さんには、嫌な思いをさせてしまうかもしれなけれど、この番組を作ったことで、もしかしたら孤独な思いをしている人が救われる可能性がある。だから、この壁は越えなくてはいけない」と言われ、そして私は、どうせ取材をするなら、一瞬の出会いにも何か感じるものがあった竹村さんを信じてみようと思ったのです。

 
何度かカメラ無しで彼の家に通うと、人生をあきらめたような言葉が聞かれるようになり、その言葉は「余りの人生もついでの人生も無い」と話す河田さんの信念とは真逆のものでした。だからこそ作品に取り入れる必要があるのだと、痛感したのです。
 
竹村さんの家のドアを開けることで、作品「ひとりぼっちにサヨナラ」の1ピースが埋まりました。ドキュメンタリーのディレクターは、作品に必要なピースを丁寧に集めること、そのことを身をもって知った処女作です。



<番組タイトル> 第13回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『ひとりぼっちにサヨナラ』
<放送日時> 10月21日(木)3時5分〜4時
<プロデューサー> 国上和義
<ディレクター> 松村道子
<構成> 高橋 修
<音響効果> 佐藤誠二
<ナレーション> 藤田淑子
<制作著作> 岡山放送

2004年10月14日発行「パブペパNo.04-320」 フジテレビ広報部