FNSドキュメンタリー大賞
海女の町、輪島市海士町から美しい自然に抱かれるようにして生きるそれぞれの海女の人生を描く。

第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『奥能登 女たちの海』 (制作:石川テレビ)

<2004年1月14日(水)3時23分〜4時18分【1月13日(火)27時23分〜28時18分】放送>
 全国屈指の海女の町、輪島市海士町(あままち)。夏場だけでなく雪の舞う日もウニや海藻を求めて潜る働き盛りの60代の海女がいる。大きな心臓病の手術を受けて海に入るのを迷っている78歳の海女もいる。そして、今春高校を卒業してプロの海女を目指す18歳の海女も。舳倉島や七ツ島の美しい自然に抱かれるようにして生きるそれぞれの海女の人生を描いていく。

 石川テレビ制作、第12回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品『奥能登 女たちの海』<1月14日(水)3時23分〜4時18分放送【1月13日(火)27時23分〜28時18分放送】>では、輪島市海士町に暮らす海女たちの生活を通して、江戸時代に九州の玄海町から漁場を求めて北上してきた海の民たちの体をはって額に汗をして生きるたくましさ、助け合って生きる町の人々の絆と信頼、3世代同居の生活で孫が受け継ぐ暮らしの心と海女の技術や自然に寄せる畏敬の念を紹介する。

<あらすじ>
 平成14年の7月1日、サザエ、アワビ漁の解禁日。石川県輪島市海士町(あままち)では夜明けと同時に女たちがたらいを抱えて船に集まってきた。舳倉島や七ツ島の漁場に着くと、海女たちはすばやくウエットスーツに着替えて海に飛び込んで行く。水深10メートル以上も素潜りで潜り、海藻や岩陰に隠れているサザエやアワビをすばやく見つける。輪島の海は、磯笛が響く「女たちの海」だ。今も10代から80代まで220人の海女がいる。親子3代で暮らす中、孫娘が祖母から潜り方を教わり、自然に海女の道を歩むことも少なくない。

 中野良美(18)もその一人。中学生の時、祖母から海女の手ほどきを受けた彼女は、成績優秀で学校から進学を薦められながらも、この夏プロの海女になった。ほとんど1年中海に潜り、雪の降りしきる中でもウニを採り続ける働き盛りの北出一美(60)。今年大きな心臓の手術をし、医者から潜りを諦めるよう言われながらも潜りつづけているベテラン磯野シズ(78)。彼女たちは道端で平気で着替えたり、漁を終えサザエでズシリと重いカゴを肩に担いだり、とにかくたくましい。医者に止められているタバコを吸い続ける姿までも、頼もしく感じられる。そして「海はもちろん好きだけど、海にお金が落ちているから好き」と、飾らずに話すところに海女たちの本音で生きる姿が浮かび上がる…。


<制作担当者のコメント:赤井朱美>
 能登半島の舳倉島(へぐらじま)。輪島市から日本海沖へおよそ50キロ。海女たちが暮らす舳倉島へ行くには輪島から一日一便の定期船で1時間半。石川県民であっても舳倉島を訪れたことがある人はほとんどおらず、取材現場に身を置くディレクターの私にとっても日本海の孤島の舳倉島は、ただただ遠い存在だった。

 そんな舳倉島を初めて訪れたのは、3年前の夏。海女が暮らす島を一度は見てみたいと休日に訪れたのが初めての出会いだった。その時の印象が強烈だった。定期船で島に近づいていくと、島の沖には小船が何艘も浮かんでいる。その周りには、タライを浮かべた海女たちが海に潜ってはサザエやアワビなどを採りつづけている。真っ青な海に浮かぶタライと海女たち…。6月から9月いっぱいまでの夏の間、この島は輪島からの季節移住で人口が500人にも膨れ上がるのだ。定期船が港に着くと、待っていたとばかり島の人たちが船に押しかける。本土の輪島からの食料や日常用品、プロパンガス、新聞などを待っているのだ。島民たちはそれらを自転車の荷台に載せると、それぞれの家へ急ぐ。そう、この島に自動車は走っていないのだ。島民の足はすべて自転車かリヤカー。日本海の孤島という理由だけではなく自動車が走っていないため、確かに空気が違う。磯の香りが強く、汚されていない風が全身を洗ってくれるような気がした。

 長さ約2キロ、幅約1キロほどの小さな島。1時間もあればぐるっと島を一周出来る。道の真中を自動車に気遣わなくて大手をふって歩いていける快感。

 島の北西の断崖には、社が点在している。この小さい島だけで8つもの社があるのだ。自然の中で信仰にすがって生きてこなければならなかった島民の暮らしの厳しさが伝わってくる。そんな島を歩きながら、私はいつのまにかこの島や海女たちに魅せられていた。島には民宿が2軒あるだけで他には自販機はもちろん、店もない。何にもない…という心地よさ。海女たちの暮らしを一年間記録してみることで現代の日本人が見失っている何かが見えてくるのではないかと思っていた。

 ところが取材が決まり、走り出したのはいいが、それから苦労が待っていた。なかなか私たちを受け入れてくれる海女さんがいなかったのだ。舳倉島の海女さんの映像はこれまでも見たことがある。しかし、夏にサザエやアワビを採っているだけのニュースのスケッチ的な映像で、彼女たちの暮らしにまで入っていった映像はこれまで見たことがなかった。実際に取材に入ってその理由がすぐに理解できた。海女さんたちは、閉鎖的でよそものが入り込むことを極端に嫌がるのだった。気軽に挨拶をしても私たちがテレビの取材スタッフだと分かると無視される。カメラを向けると「撮らないで」と怒られる。こんな冷たい視線の所で本当に取材が出来るのだろうかと悩みながら、まず私たちを受け入れてくれる取材対象者を探すことに半年以上が費やされた。

 祭りに一緒に酒を飲んだり、夜明け前から一緒に船に乗りこみ漁の模様をみたり、何しろひんぱんに足を運ぶうちに顔見知りになる人が出てきて、やっと私たちを信用してくれるようになった。ようやく見つかった海女さんは70代、60代、10代の3人。彼女たち3人を主人公にして本格的な撮影が始まったのは平成14年の6月の終わりだった。

 たくましい輪島の海女たちの1年の暮らしを、能登の自然とともに描いていくドキュメンタリー番組「奥能登 女たちの海」はこうしてスタートしたのだった。

 ただ、取材には最後まで苦労がつきまとった。なにしろ取材の多くは海の上。番組では数分の映像であっても何十回も船に乗り、海女さんが海に潜る表情を撮ったり、水中撮影に挑戦した。ところが撮影しようと海に出て行った日が青空や青い海、水中が濁っていないという何拍子ものタイミングが合うことがなかなかないのだ。スタッフは船酔いと戦う日々が続いたが、それでも最後にはなんとか神様が味方をしてくれた。

 大きな手術をした78歳の磯野さんが今年、本当に海に潜れるのだろうか…。最後までやきもきさせられた。やっと磯野さんが「今日は潜りたい」と言い出した日、海は青く、波もなかった。彼女の体調もなかなか良かった。そして、磯野さんは、ちゃんとサザエもたくさんとってくれた。ちょっとやそっとでは海から離れない海女の心意気を見事にここで証明してくれたのだ。

 待ちに待ったラストシーンはなんとか撮影できた。

 私は、島を去る前に歴史ある奥津姫神社を訪れ、お世話になった島の人々に心から感謝しつつ、海女たちを何百年と守ってきた美しい女神に手を合わせた。




<番組タイトル>第12回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『奥能登女たちの海』
<放送日時>1月14日(水)3時23分〜4時18分放送【1月13日(火)27時23分〜28時18分放送】放送
<ナレーター>田中好子
<ディレクター>赤井朱美
<構成>岩井田洋光
<撮影>森 修
村上長生
堀口祐子
<水中撮影>杉本英宣
小又一聡
<編集>黒田道則
<タイトル>高倉園美
<MA>青木伸次
<音効>高田暢也
<制作著作>石川テレビ

2003年12月10日発行「パブペパNo.03-378」 フジテレビ広報部