江戸時代から鉱山の町として発展を続けて来た秋田県小坂町。鉱山の従業員の娯楽施設として明治43年「康楽館」が誕生した。明治から大正そして昭和へと、町のシンボルとして親しまれてきた康楽館だったが、やがて鉱山資源の枯渇とともに昭和45年、「廃館」同様になる。
しかし、町民の情熱の結集で、昭和61年、ついに「復興」する。そして、常に芝居が上演される「常設公演」の芝居小屋として新たなスタートを飾った。常設公演の座長は、東京浅草育ちの伊東元春(64)で、昭和61年の初演以来、毎年、舞台をつとめ、今年で18年目、上演回数はまもなく9000回を迎える。伊東座長率いる「小坂剣誠会」は、役者のタマゴたちで構成されていて、メンバーは毎年入れ替わる。
今年も舞台にあこがれる4人の若者たちが、伊東座長とともに小坂町にやって来た。12月10日(水)放送の第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『命あるかぎり〜私は明治の芝居小屋〜』(秋田テレビ)<12月10日(水)2時28分〜3時23分【12月9日(火)26時28分〜27時23分】放送>では、康楽館を「私」として擬人化し、「私」康楽館の目を通して、舞台に賭ける一座の泣き笑いのドラマを織り交ぜながら、「私」の物語をお届けする。
(あらすじ)
国内有数の観光地・十和田湖を持つ秋田県最北の町「小坂町」は、古くから鉱山の町として栄えてきた。江戸時代に発見された鉱山は、明治に入って製錬技術と、大規模な露天掘り技術の確立によって「日本三大銅山」の一つに数えられるまでに発展する。町には電気・水道・鉄道・病院など国内でも最先端をいく施設が整備され、最大時には3万人を超える人々が暮らしていた。
その娯楽施設として、明治43年8月、モダンな洋風外観を備えた和洋折衷の芝居小屋「康楽館」が誕生した。歌舞伎から落語、映画に至るまで康楽館のにぎわいは明治、大正、昭和へと続く。
しかし、昭和45年、資源の枯渇とともに町は衰退の道を歩みはじめ、康楽館も「廃館」同然の状態に陥る。外観の傷みも激しく、往年の面影が次第に薄れていった。
この状態を無念に感じたのは、この芝居小屋とともに育った町民たちだ。「康楽館を復興させて、町の活性化につなげよう!」と有志の結集が町を動かし、さらに国の「ふるさと再生事業」の予算獲得にまでつなげる。1億3千4百万円の事業費がかけられて昭和59年から復興への取り組みが始まった。
さらにこの間、「康楽館」の生みの親「同和鉱業」が、維持管理費5千万円を付けて康楽館を町に無償譲渡した。
こうして昭和61年、康楽館は新たなスタートを飾った。そしてこの新たなスタートの目玉が、常に芝居が上演されている「生きた芝居小屋」の証である常設公演だった。
常設公演の役者として白羽の矢が立ったのは、浅草生まれの浅草育ち・生粋の江戸っ子・伊東元春その人。小さい頃から芝居に親しみ、少年時代、芸の道に飛び込んだ伊東は、殺陣から台詞・舞台演出までもこなす、まさに大衆芸能とともに生きてきた人物だ。伊東は初めて出会った康楽館にすぐさま惚れ込んだ。「活性化の拠点にしよう!」と。
伊東は自ら座長をつとめるとともに、「小坂剣誠会」と称する役者のタマゴたちの育成にも康楽館の舞台を活用する。メンバーは毎年年明けのオーディションで決める。
伊東座長18年目の今年も1月に東京でオーディションが開かれ、4人のメンバーが決まった。
リーダーは埼玉県出身の丸山睦実(とものり)27歳、声優志願の東京都東日暮里出身・鈴木豊28歳、早稲田大学時代チアリーダーを経験している佐賀県出身の富永真由美24歳、東京都八王子出身で最年少18歳の原真司の4人。
4人は2月1日から浅草の稽古場で、伊東座長の厳しい特訓を受ける。中でも鈴木豊は動きが今ひとつ鈍く、座長の集中砲火を浴び続ける。
特訓のさなか、一行を迎える小坂町では定例町議会が開かれ、康楽館に関わる予算を可決・成立、さらに役者の宿舎改造などが行なわれた。
そしていよいよ4月2日、一行が秋田に向けて出発。満開のサクラに見送られて、高速道路を北上した。やがて8時間後、一行の車が小坂町に到着。康楽館と初めて対面した感動が声になって表れる。しかし、感激もつかの間、翌日から厳しい舞台稽古が始まった。あいも変わらず座長に叱られ続ける鈴木の姿が痛々しい。
4月12日、小雨が降りしきる中、いよいよ初演を迎えた。満員の場内は初演の熱気に包まれている。座員の緊張も頂点に到達、そんな中で鈴木の表情はなぜか自信にあふれていた。やがて大きな拍手とともに初演の幕が開いた。演目は「隅田の夕映え〜左京之介江戸の闇を正す」、幕府目付役の双子の弟・左京之介が悪をこらしめる痛快時代劇だ。4人の若者たちは、満員の観衆を前に一つのミスもなく無事つとめあげた。こうして初舞台は成功を収め、4人の表情に明るさがよみがえった。
しかし、翌日から1日3回の厳しい舞台が待っていた。修学旅行の学生たちも連日続々と詰めかけた。初めての舞台、初めての小坂町、若者たちの戸惑いや心の葛藤が続く。
6月初旬、小坂町はアカシアの花に包まれた。毎年50万人が訪れる「アカシアまつり」開催中、康楽館も超満員の盛況ぶり。この日の夜、宿舎で夕食をとりながら座長が芸の道について座員に諭す。座長の貫いてきた精神に触れて、若い座員たちは鉄槌を下された思いに駆られる。「芸の道とは一体何か…」「自分は今何をしているのか?」「将来はどうすれば…・」など、個々に思いが交錯する。
そしてこの夜を境に、何かが吹っ切れたかのような表情が4人に浮かび始める。
そんな中、鈴木の母が息子の舞台にかけ付けた。一番前の客席からじっと舞台を見守る母の姿。懸命に斬られ役をつとめる鈴木。舞台終了後、楽屋に母が息子を訪ね、久々の親子の会話が交わされた、
3ヶ月近く離れていた「わが子」は着実に成長していた。母のうれしい表情が、それを物語った。
そして、また新しい1日の始まり。清々しい朝の空気をいっぱいに吸い込んで、康楽館前の明治100年通りを歩く座員たち。明治の芝居小屋にやさしく見守られながら、座長と4人の若者たちの生活は12月まで続く。
<追記>
全国には今に残る古い芝居小屋が10ヶ所あり、連絡協議会を作ってサミットなどの交流を深めている。茨城県の「共楽館」、広島県の「翁座」、九州の「嘉穂劇場」など。そして四国の香川県には江戸時代の芝居小屋「旧金毘羅大芝居・金丸座」、それに愛媛県の「内子座」が残る。いずれも地域の活性化に大きな役目を果たすとともに、芸能文化の伝承に役立てられている。この中の最北が「康楽館」だ。番組では古い芝居小屋の魅力と各館の共通点についても探っていく。
<取材のねらい等>
通常の「スーパーニュースあきた」で毎年一座の来県〜舞台稽古〜初演、そして千秋楽公演を報道している。こうした中で、18年も続けて小坂町に通う座長の情熱と、若い座員の「芸の道」にかける姿を追いかけ、なおかつ一行を迎え入れる小坂町の思いを紹介したいと考えた。座員の稽古や本番だけを追いかけてもドキュメンタリーにはなるが、「明治の芝居小屋」を「私」に仕立てて、少し違った目から見た番組構成とした。
およそ半年で着実に成長した4人の若者と、芸にかける座長の「生き様」が、少しでも表れれば…と考える。
●プロデューサー
鈴木陽悦(秋田テレビ報道部)
●ディレクター
京野康則(秋田テレビ報道部)
●語り(康楽館)
黒田龍夫
●ナレーション
鈴木陽悦
●構成
鈴木陽悦
京野康則
●撮影
清水 聡
金 由貴男
京野康則 ほか
●編集
本間和久
●音効
二木嘉之
伊藤直人
2003年12月3日発行「パブペパNo.03-368」 フジテレビ広報部