FNSドキュメンタリー大賞
現代社会が農村に突きつける現実とは?
農民詩人の綴る詩と家族を通じて、彼の胸の奥にある「敗北感」とはなんだったのかを探る…。

第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『我、美田に生きる〜農民詩人のうた〜』 (制作:新潟総合テレビ)

<12月10日(水)3時23分〜4時18分【12月9日(火)27時23分〜28時18分】放送>
 豪雪の山間部での過酷な農作業、開拓、米作り、炭焼き、出稼ぎで一家を支える農民の半生をたどりながら、現代社会が農村に突きつける現実とは何かを伝える。厳しい自然環境で若者が集落を離れ過疎化がつづく中、農民詩人の綴る詩と家族を通じて、彼の胸の奥にある「敗北感」とはなんだったのかを探る。

 新潟総合テレビ制作、第12回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品『我、美田に生きる〜農民詩人のうた〜』<12月10日(水)3時23分〜4時18分【12月9日(火)27時23分〜28時18分】放送>では、山奥にある過疎化の波にのまれる集落で暮らす一家の24年間の記録を通して、生活が豊かになり戦う相手を失った脱力感ではなく、向かっても向かっても届かない社会への「敗北感」、農民の魂の叫びを紹介する。

<あらすじ>
 新潟県・北魚沼郡守門(きたうおぬまぐん・すもん)村、新潟県の中南部に位置する県内でも有数の豪雪地です。

 岡部清(おかべきよし)、72歳。岡部は、守門村のさらに山奥にある集落・二分(にぶ)で暮らす農民詩人です。この村にも例外でなく過疎化の波が押し寄せ、岡部の住む二分では、昭和30年代に51世帯だった家が、14世帯にまで減ってしまいました。
 岡部は、時代の波に翻弄される二分の農業をじっと見つめ、詩で心情を叫び続けてきました。そして、守門村のいちばん山奥の田んぼを守り、炭を焼きながら妻のマサと共に3人の子供を育ててきました。

 農民としての魂の叫び、そしていつも家族のために社会と正面からぶつかってきた岡部も、今は72歳。今年の冬、久しぶりに会った岡部からは、14年前に出稼ぎ生活を取材した時の、少年のような強いまなざしは感じられませんでした。その中で岡部が口にした言葉は、「敗北」という一言。向かっても向かっても届かない社会への「敗北感」…。

 「社会への叫びを詩にあらわしたい」、かつてそう語ってくれた農民詩人、岡部清の熱い思いを描きたい。そんな構想は、最初から崩れてしまいました。
 しかし、厳しい自然環境で若者が町へと離れ過疎化がつづく二分にありながら、生まれた村に対する岡部の思いに変わりはありませんでした。その思いを岡部の詩と家族を通じて描き、岡部が言う「敗北」の根底にあるものに触れなければ、とても私達の中で岡部の「敗北感」を共有できないのではないか…。そして、春耕を待つにはまだ早すぎる冬の二分で、私達の取材が始まりました。

 出稼ぎ、米づくり、炭焼き、まっすぐに生きてきた両親を見つめながらも、家を離れていく子供たち。岡部の、そして子供たちの、それぞれの複雑な思い、葛藤…。
 年とともに落ちていく体力、豪雪の山間の地での過酷な農業に向かっていく岡部の気力は、少しずつ殺がれていったのかもしれません。

 番組は、岡部一家の24年間の記録です。祖父母、岡部夫婦、そして3人の子供たちの7人家族。賑やかな生活は、年を追うごとに形を変えていきました。

 長女の伸子。「お金は無い。就職するか、高校は地元の定時制」。高校進学をきっかけに父が語ったこの言葉で、2人の間には大きな溝が出来てしまいました。突きつけられた現実を前に、父娘の反目が生まれてしまったのです。そして、伸子は15歳で親元を離れて自立し、東京の定時制に通うという道を選びました。家に電話しても父と話すことはなく、年越しに姿を見せないこともありました。

 その後、伸子は父の許しを得ないまま韓国の男性と結婚し、今は韓国の釜山市で暮らしています。社会運動に情熱を注ぐ父、そんな父を伸子は見つめながら、実は伸子も社会に対する疑問を若い頃から抱いていました。しかし、その瑞々しい視線は父には受けとめてもらえず、2人の関係は知らず知らず遠いものになっていたようです

 長男の茂義は、両親と同居しながら配管の仕事についています。32歳を迎え、両親の事を気にしながらも、一人暮らしの準備をすすめています。冬の間、岡部家の玄関から県道につづく道は、雪で完全に閉ざされてしまい、大雪の日は、会社に出勤することさえ難しいことがあります。茂義は冬の生活を考え、以前から家を出る準備をすすめていました。

 そして、ようやく手に入れた中古の家。自分で家電製品を買い揃えたその家は、守門村の役場近くにあり両親が暮らす家からは車で15分ほどの距離です。茂義が家を出るのをいちばん気にかけていたのは、母親のマサでした。その思いは茂義には十分通じていて、なかなか一人暮らしに踏み切れなかったのも、マサのことを心配していたからです。
 「炭焼きの長男だから」と、茂義は父の炭焼きや米づくりを手伝います。守門村から離れずに両親のすぐそばで暮らす茂義。茂義もずっと父・岡部清の生き方を見てきました。

 次男の義広は、昨年、隣村・広神村の女性と結婚して新居を構え、家を出ました。新居は、やはり実家から車で20分ほどのところにあります。長男の茂義とともに岡部の農作業を手伝い、その仕事ぶりは、岡部もすっかり信頼しきっています。「結婚して改めて親に感謝している」と語り、休みの日にはよく実家を訪ね、両親を街のレストランでの食事に誘います。

 妻のマサは、守門村の隣の村・入広瀬村から嫁いできました。「新婚旅行は田んぼと炭焼きの窯の前」と笑いながら話します。以前岡部が出稼ぎに出ている間に、降りしきる雪の重みで家の一部がつぶれてしまいました。大雪には慣れているはずのマサですが、この時から雪が怖くなりました。深い雪の中、夫のいない家で3人の子供たちを守る。マサは、誰よりも早く起きて雪かきをし、子供たちが学校へ向かうための道をつけました。早朝は急な坂道の雪を踏みしめ、日中は家の周りや屋根の雪下ろしです。その重労働がマサの体に大きな負担を強いた結果、マサは腰を痛め、もう岡部と一緒に田んぼや炭焼きのため山に入ることはありません。家の周りの畑に植えた作物の生長が楽しみです。長女が韓国で暮らし、次男も結婚で家を離れ、今度は長男が一人暮らしを始めようとしていました。

 「寂しくてしょうがない」。マサは賑やかだった当時を懐かしそうに話しながら、そっとネコを抱きしめます。岡部の叫びが届かぬまま、村は過疎化が進み、家族は妻と2人だけになろうとしています。肉体の衰えは、いっそうの「敗北感」を岡部に迫ります。

 「田んぼが家族を結びつけてきた」。そう語る岡部は、自らの手で切り拓いた田んぼに通いつづけます。大切な家族のために。そして「ありったけの汗を染み込ませ、離れられなくなった」、それほどに大好きな故郷・守門村二分(すもんむら・にぶ)のために。


<制作担当者のコメント:報道制作部 酒井昌彦>
 「『いつも何かに向かって叫んでいたいんだよね。んー。そうかもしれない。』こんな言葉をさりげなく話す岡部さんは、私にとってずっと気になる存在でした。『叫び』の気持ちを忘れそうになる度に、岡部さんのことを思い出していました。
 しかし、かつての闘士は次第にペンを置く間隔が長くなってきました。突きつけられた現実を跳ね返すだけの気力と体力を、二分の厳しい自然と時が岡部さんから奪っていきました。今、72歳の岡部さんが綴る家族と二分への『詩』は、『叫び』のエピローグだったのでしょうか?生まれたところ、そして家族のことを考えるたびに岡部さんのことを思い出します。やはり岡部さんは気になる存在なのです。」


<番組タイトル> 第12回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『我、美田に生きる〜農民詩人のうた〜』
<放送日時> 12月9日(火)3時23分〜4時18分【12月10日(水)27時23分〜28時18分】
<プロデューサー> 酒井昌彦
<ディレクター> 渡辺一弘
<構成> 倉田ひさし
<音響効果> 加藤宏昭
<ナレーション> TARAKO
<カメラ> 長谷川隆之
韮澤由紀夫
<編集> 佐藤誠二
<デスク> 江見 円
<制作著作> 新潟総合テレビ

2003年12月2日発行「パブペパNo.03-366」 フジテレビ広報部