FNSドキュメンタリー大賞
益田市競馬の55年間とともに生きてきた藤原厩舎の家族、関係者の激動の1年を追い、
家族の夢を阻んだ不況の現実と競馬関係者の人間模様を描く渾身のドキュメンタリー!

第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『日本一小さな競馬場の最期〜藤原厩舎の選択〜』 (山陰中央テレビ)

<7月15日(火)深夜26:43〜27:38放送>
「時代の流れだから…」。それだけの理由で、多くの人々の夢と希望が絶たれた。
 不況のあおりを受け、衰退する地方経済。その影響は民間企業だけに止まらず、行政機関(地方自治体)にも及んでいる。人口5万人の地方都市、山口県との県境に位置する
島根県西部益田市。万葉の歌人「柿本人麻呂」の生地、水墨画の画僧「雪舟」ゆかりの地として知られる。
 この地で55年間の歴史を歩んできた「
益田市営競馬」。入場者数も売上高も賞金も、競馬場自体の大きさも、すべてがケタ違いに小さい。文字通り「日本一小さな競馬場」だ。所属する競走馬は約300頭。その多くは、中央競馬では約10年に廃止されたアングロアラブと、各地を転戦した末に益田にやってきた老練のサラブレットばかりだ。10歳を超える高齢馬は当たり前、体のどこかに故障を持つ爆弾を抱えている馬ばかり。「競走馬の終点、墓場」とも呼ばれている。ここで最後の花を咲かせなければもう他に行き場はない。良くて乗馬クラブに引き取られるが、多くは処分され馬肉になる。
 かつては市の財政にも貢献してきたが、近年は赤字続きで累積赤字は15億円に迫る勢いだ。年間の財政規模が100億円余りの中小都市益田市にとっては危機的数字に膨れ上がっている。数年前から競馬事業の存廃問題は論議されていたが、ついに今年2月になって市の諮問機関である行政改革審議会から廃止勧告を受けた。これ以上の赤字額増加は、国の直轄管理を受ける「財政再建団体」への転落が危ぶまれるというのだ。これを受け、廃止検討委員会が設置され、市長は8月をもって競馬事業を廃止する最終決定を下した。現在の経済状況、また限られた経済圏域では競馬事業復興には限界があり、度重なる改善処置、関係者の努力も焼け石に水だった。
 長期にわたる地方経済の不況、不景気のあおりを受け、近年公営ギャンブル(競馬場、競輪場)の廃止が相次いでいる。2000年には大分県の「市営中津競馬場」、翌2001年には新潟県営競馬「新潟競馬場」「三条競馬場」が、競輪では西宮市の「西宮」「甲子園」、北九州市の「門司」競輪場が2002年をもって廃止されている。
 2000年度に競馬、競輪などの地方公営競技(ギャンブル)を主催した全国151団体のうち約4割、62団体が赤字。自治体への繰入額は過去9年間で約10分の1に減り、累積赤字は北海道営競馬の129億円を最高に、24団体合計は500億円を超えている。本来、自治体の財政を潤すことを目的としていた公営ギャンブルの存在が、今やお荷物的存在となっているのが現状だ。
 しかし、人口5万人の益田市にとって、最大の雇用企業(関連を含めると約300〜500人)としての役割を果たす競馬場の廃止は、市の経済事情の悪化(経済効果32億円)、人口の減少、そして過疎化へ拍車をかけることが予想される。番組では、これらの影響に最も直面する、競走馬を管理する厩舎関係者(調教師、騎手、厩務員、その家族達)、競走馬(約300頭)の混迷する様子を、現在の不況が生む象徴的姿としてとらえ、その人間模様に迫る。

 番組の舞台となる益田競馬場には、若者の働く姿が目立つ。12の厩舎があり、約100人の関係者が競走馬と共に生活している。そのうちのひとつ、
「藤原厩舎」は親子3代に渡り益田競馬で競走馬の管理をしている。3代目の長男、智行(ともゆき)君。幼い頃から競走馬を目の前にして育ち、いつしか物心のつく頃には騎手に憧れていた。夢をかなえるべく騎手学校にも通ったが、体調を崩し、騎手への夢を断念。競走馬のお世話をする厩務員として、親子二人三脚で競馬に取り組んでいる。
 その智行君の果たせなっかた夢を実現させ、騎手となった
末田秀行(すえだ ひでゆき)君。中学校卒業時には中央競馬の騎手に憧れるが、両親に反対され地元の高校へ進学。しかし、騎手への夢を捨てきれなっかた秀行君は、やはり中央競馬で…と再挑戦を考えるが、身長・体重制限が厳しく断念。それでも競馬に関わる仕事を求めて、山口県豊浦郡から益田市にある藤原厩舎の門をたたいた。ここで半年間の修行をつみ、中央競馬より制限の緩い地方競馬の騎手学校を受験。2年間の学校生活の末、益田競馬で念願の騎手デビューを果たす。
 そして、藤原厩舎にはもうひとり、調教師の娘婿、
大谷真史(おおたにしんじ)君が厩務員として働いている。かつては長距離トラックの運転手として働いていたが、家族との時間を大切にしたいと、この仕事に転職した。藤原厩舎は、約30頭の競走馬を調教師夫婦と彼等で管理する、益田競馬場では典型的な家族経営の厩舎だ。

 彼らの1日は、夜も明けきれぬ午前3時に始まる。朝靄のなかで一頭ごとに約30分の時間をかけて調教を行う。30頭のすべてが終わるのはお昼前だ。しかし、これで終わりではない。2〜3時間の休憩をはさんだ午後には、馬小屋の掃除、餌やりがまっている。すべての作業が終わるのは夕方だ。汗だくになり、糞にまみれての重労働をする姿からは、競馬の華やかさは微塵も感じられない。調教師も騎手も厩務員も、誰もが一緒になって同じように働く。中央競馬での分業制では考えられないことだ。
 
「こんなきつい仕事に、黙々と取り組む若者たちは何に魅力を感じているのだろう」。取材はこんな素朴な疑問から始まった。
 「手応え」。答えはこの言葉に象徴されていた。益田競馬では、たいていの馬が1週間おきにレースに臨む。調教師・騎手・厩務員、誰もがさまざまなかたちで1頭の馬に関わり、それぞれが果たした責任において、着順という結果が示される。そんな手応えを若者たちは求めていた。実際ここ近年、競馬場で働く厩務員の平均年齢はかなり下がっている。先行き不透明な経営状況にも関わらずだ。
 番組では、そんな夢を追い続ける彼らが、手の届かない領域で議論される存廃問題に翻弄される姿を追う。不況の世の中で、経済弱者と呼ばれる彼らはどのような運命をたどるのか。彼らの夢や、喜び・葛藤を通して閉塞感漂う現代に生きる姿を追う。

 
山陰中央テレビの宍道正五ディレクターは、「“日本一小さな競馬場”、“西日本初の女性ジョッキー・女性最多勝ジョッキー・吉岡牧子さん”など話題になることの多い益田競馬場に興味をもったのは、私自身が単なる競馬好きだったからです。放送エリアでも西端にあり、なかなか取材に行く機会はありませんでしたが、一度は実際に見てみたいと思っており、5年ほど前にプライベートで競馬場を訪れました。それまで、華やかな中央競馬のイメージでしかとらえていなかったため、目の前にした益田競馬場の様子はカルチャーショックとしか言い様のないものでした。トラックは1周1000メートルのダートコース、もちろん芝生なんてどこにもありません。コースとスタンドの間には市道が走り、通学途中の小学生は、すぐ隣りを走る競走馬の姿をさも当たり前のように見ながら歩いている。手を伸ばせば触れる程の距離だ。正直、ホントにここで競馬をやってるの?と疑ったくらいです。テレビで見る中央競馬しか知らない人には、想像もできない光景だろうと思います。そんな競馬場で行なわれるレースを見て、ますます興味が湧いてきました。ぜひ裏側が見てみたい…。コース同様、競走馬が暮らす舞台裏(厩舎)への距離もないに等しい感覚でした。一見閉鎖的な感じに思われがちですが、そこは『来る者は拒まず、去る者は追わず』といった言葉がぴったりなオープンな環境でした。特に予想以上に若者が多く、当時入社3年目の私に対しても気軽に接してくれる人々ばかりでした。そこで彼らと話すうちに、実に生き生きとした目をして働く表情に、“現代の若者”と呼ばれる世間の同世代にはないものを感じました。これまでは、競馬の華やかさ、ギャンブル性だけをみてきましたが、舞台裏で繰り広げられる人間と馬のドラマに素朴な生活感をおぼえました。3Kともいえる環境で、競走馬とひたむきに向かい合う若者たちが何に魅力を感じ、何を考えているのか…? そんな姿を少しでも伝えたい。そして、経済弱者とも呼ばれる彼らが、世の中の流れに翻弄される様子をありのままに伝えたい。そんな気持ちで取材に取り組んだ4年間でした」と話している。

 
7月15日(火)深夜26:43〜27:38放送の第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『日本一小さな競馬場の最期〜藤原厩舎の選択〜』にご期待下さい。


<番組タイトル> 第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『日本一小さな競馬場の最期〜藤原厩舎の選択〜』
<放送日時> 7月15日(火)深夜26:43〜27:38
<スタッフ> プロデューサー : 野津富士男(山陰中央テレビ)
デレクター・編集・撮影 : 宍道正五(TSKメディアワーク)
撮    影 : 杉谷俊洋(P・S・T)
M    A : 宮地 亨(ギャラック・レイ)
ナレーション : 福寿 淳(関西芸術座)
<制  作> 山陰中央テレビ

2003年7月4日発行「パブペパNo.03-186」 フジテレビ広報部