2015.10.5
<10月7日(水)26時40分~27時35分>
長野県小谷村に住む、かやぶき職人の松澤朋典さんは、2014年2月からおよそ半年間、安曇野市にある民家のかやぶき屋根をふき替えた。古いカヤを取り除くと、すすが立ち上り、顔まで真っ黒になる。また松澤さんの父、敬夫さんは、かやぶき職人歴50年以上という大ベテランで、伊勢神宮の屋根のふき替えにも携わった。父の跡を継ぐいきさつや、その時の父の思いはどうだったのか?番組では、かやぶき屋根のふき替えとあわせて、松澤朋典さんの人となりを追った。
北アルプスの麓、長野県安曇野市で、ある民家の屋根のふき替え工事が始まったのは、2014年2月。屋根をふき替えていたのは、長野県小谷村に住む、かやぶき職人の松澤朋典さん。当時35歳という若さだった。この工事は、全面ふき替えのため、屋根に使われていた古いカヤを、すべて取り除くことから始まった。古いカヤに付着したすすが立ち上るので、仕事中は顔まで真っ黒になる。それでも松澤さんは、黙々と屋根の仕事に集中する。ふき替えに使う、およそ1万把のカヤは、すべて長野県小谷産。特に、軒の部分は、雨や雪に耐えるよう厚くするので、たくさんのカヤを使う。
かやぶき屋根のふき替えは、60年に1度と言われる。そのため、職人は、長い年月屋根を保たせる技量が求められる。屋根の表からは見えないが、実に多くのカヤが使われていた。
松澤さんは、「小谷屋根」という会社の代表取締役で若い職人を育てている。若者がこの仕事に就いた理由は様々だ。ひとりの職人は、「自分の家がかやぶきで、あまりにも古くなったので、技を身に付けて、自分の家の屋根を自分で直したい…」という。国立大学の大学院を卒業した職人もいる。家族からは反対されたが、「やったもの勝ち」と思い、松澤さんと一緒に仕事をしながら、かやぶき職人を目指しているという。
松澤さんは、かやぶき職人3代目。松澤さんの父、敬夫さんは、かやぶき職人歴50年以上という大ベテランで、当時、伊勢神宮の屋根のふき替えのため、家を留守にしていた。時々、小谷に帰っては、松澤さんの仕事ぶりを確かめていた。安曇野市の民家の屋根をふき替える時、松澤さんは、父・敬夫さんから現場の棟りょうを任された。この仕事に就いて10年という時期だった。松澤さんは、地元の高校を卒業後、東京にある専門学校に進学し、都内の建設会社に就職した。しかし、勤めて3年後に会社が倒産。これからの人生に迷っていた時、父・敬夫さんから電話がかかってきた。敬夫さんの言葉を聞いて、松澤さんは生まれ故郷の小谷村に帰り、かやぶき職人になることを決断。その時の父の思いとは?
屋根のふき替えのクライマックスは、刈り込みである。松澤さんの目つきは真剣そのものだ。屋根ハサミから聞こえる歯切れのいい音は、刈り込みが順調に進んでいることを物語っていた。秋になると、松澤さんはかや場のカヤを刈る。小谷村では地元の人たちが管理するかや場があり、松澤さんはこのかや場のカヤを使っている。「品質の良いカヤがあるから、かやぶき屋根が残る」と松澤さんは言う。
去年の2月から始まった安曇野市でのふき替え工事は、半年後に終わった。棟りょうとしての仕事を終えた松澤さんだけでなく、ともに仕事をして10年になる父・敬夫さんと松澤朋典さんにはそれぞれの思いがあった。
「すがすがしいというのが、かやぶき職人・松澤朋典さんの第一印象でした。そして“会う度に、松澤さんの魅力に引き込まれていく”。そんな気がしました。取材したのは主に夏場で、屋根の上は灼熱地獄。スタッフは暑さにバテてしまいそうでしたが、松澤さんは元気そのものでした。そして、いちばん驚いたのは、松澤さんの手の大きさ、厚さです。並べたカヤを整えるために、職人は手でカヤの束を叩くのですが、ふき替えの仕事を続けているうちに、手が分厚くなったのだそうです。“この手なら仕事が出来るだろう”と見込まれて、仕事を受けたこともあると松澤さんは言いました。勤めた会社が倒産したことが、松澤さんの人生のターニングポイント。“偶然”か?“運命”か?と聞かれれば、私は“運命”だったと思います。今、文化財保護の機運が高まりつつあり、かやぶき屋根のふき替えの仕事自体は、増えているとも言われています。日本建築の技を30代半ばの若者が担っていると思うと、この職人さんに巡り合えたことは、大変な幸運だったと感じます」
第24回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『天に上がった茅~茅ぶき職人・松澤朋典~』
(制作:長野放送)
10月7日(水)26時40分~27時35分
2015年10月5日発行「パブペパNo.15-361」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。