2015.8.19
<8月26日(水)26時50分~27時45分>
昭和20年6月20日。静岡の街に10万発余の焼夷弾が降った。街は火の海と化し、人々は逃げ惑った。あの体験を忘れない、繰り返してはならないと語り継ぐ小さな資料館があった。「静岡平和資料センター」。空襲体験者を中心に、ボランティア約200人で運営している。大半が80代を過ぎ、元気に動けるのはごくわずかだ。19年前から静岡市がセンターの家賃を補助しているが、年会費2000円と寄付で語り継ぐには限界があった。金・土・日、週三日開館するのが精一杯。守り続けてきた約100枚の体験画も、市立図書館の地下室に眠ったままだった。浅見幸也運営委員長(77)は言う。「苦しい思いで描いた体験画こそ市の財産。常に展示できる公設の平和資料館があったら」と。ただ、公設となれば活動や展示が制限される可能性があり、公設か、民設か、別の方法か、結論を出せないでいた。空襲を受けた市町は数えきれない。
2013年3月、一人の大学生が「ボランティアをしたい」とセンターにやってきた。牧野友美さん(20)。彼女はサイパン旅行に行き、いまだ残る戦争の爪痕に驚いた。なぜこの島で戦争が起きたのか、なぜ多くの命が失われたのか。サイパン・テニアン・グアムを飛び立ったB29が、静岡・清水の街を襲ったことを知り「空襲・戦争について深く学びたい」と思うようになった。
事務局長の土居和江さん(69)は、若きボランティアの誕生がうれしかった。市民から寄せられる戦時資料は5200点以上。整理が追いつかず困っていたため、牧野さんに手伝ってもらうことにした。途中「サイパン戦記」を見つけた牧野さんは「読んでみたい」と土居さんに相談。「戦記を読む日」が設けられた。土居さんは、センターに飛び込んできてくれた彼女が成長し、体験者も、他のボランティアも、ともに成長できる場にしたいと考えた。土居さんも戦後生まれ、体験世代との間に「小さな溝」を感じていた。静岡空襲の体験を伝えるだけでいいのか、これからは、現代の紛争についても考える平和資料センターであるべきではないのか。体験世代と意見を交わす機会を増やした。必ず分かり合えると信じ、年上の体験者にも意見した。
「空襲展」や「親子戦跡めぐり」を担当するようになった牧野さん。「体験者が教えてくれたことを私で止めないで下の世代に伝えないと。戦争を、空襲経験者がいない日本が来るから。」と話す。
“伝えられるはずがないと思うのではなく何かできるのではないか”とぶつかっていった若きボランティア。ともに悩み支えるスタッフたち。高齢化が進み、存続が危ぶまれたセンターが徐々に元気を取り戻し、前に進む姿がそこにあった。
「静岡平和資料センターは、戦争体験者の話を聞くことができる、貴重な場だったため、新人記者の頃から訪れていました。いつかこの活動を番組にできないか模索していましたが“体験していない自分に何が伝えられるのか”正直、自信がありませんでした。しかし、体験者は減っていく、話を聞くことができなくなる、いまこそ、何かしなければと思いました。その時、ボランティアをしたいとやってきたのが牧野さんです。彼女は“学びたい”という一心でセンターに通い、6回もサイパンへと足を運びました。私は、その懸命さに魅かれ、同時に何もしていない自分が情けなくなりました。そして、空襲・戦争を伝える難しさを、日本の歴史教育がいかに中途半端なものかを突き付けられました。
戦時体験を聞く、歴史の本を読む、旅行先で戦争の爪痕を見る。視聴者の皆さんが、自分にできる何かを見つけてもらえるよう、この番組自身が“つなぎ手”になればと思います」
第24回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『つなぎ手~週3日の平和資料館~』
(制作:テレビ静岡)
8月26日(水)26時50分~27時45分
2015年8月19日発行「パブペパNo.15-284」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。