2013.11.19
<12月11日(水)26時29分~27時24分>
40年前、沖縄への原発建設を阻止したのは沖縄戦を体験した先人たちの「海を守らなければ」という切迫した思いだった。この海を守る闘いの歴史を掘り起こし記録する輿石正さんに出会ったのが事の始まりだった。
輿石さんは新たな米軍基地の建設予定地とされる沖縄県名護市辺野古の海を守るため地道な活動を続けている。その海で、福島の原発事故で傷ついた親子が救われたことを知り、心を揺さぶられ密着取材をスタートさせた。放射能の影響から逃れるため父親と離れ、沖縄で暮らす少年・村重空くんの姿を目の当たりにして、「原発事故によって傷つきながらも懸命に生きる姿を伝えたい」と心から思った。4カ月ぶりに父と再会した空くんは、体全体からその喜びがにじみ出ていた。その分、別れの日は、声をかけられないほど体いっぱいに悲しみがあふれていた。
なぜ、子供がこんな悲しい思いをしなければならないのか。なぜ、親子が引き裂かれなければならないのか。やりきれない思いが募った。そんな親子を見守る輿石さんの「原発は福島にあるんじゃない、空の悲しみの中にあるんだよ」と絞り出すように言った、その言葉が胸に突き刺さった。
ほかにも2組の親子を取材した。取材を通してショックを受けたのは、避難した人と、故郷に残った人々の間に大きな溝が生まれているという事実だ。子供を守りたい。親として当然の思いが、国が帰村の流れを強く打ち出すことによって非難され、人々を分断するという結果を招いている。番組で描いたのは、原子力推進という国策を押し付けられ傷ついた人々。その姿に重なるのは、本土復帰後も国策として米軍基地を押し付けられてきた沖縄の人々だ。この国に逃げ場はあるのか。この国の厳しい現実に直面しながらも、懸命に生きる人々の姿を記録しなければという思いで制作した。
最後に、県外から避難してきた親たちが沖縄の現状に目を向けてくれたことは、沖縄県民として正直、うれしかった。でも逆に、私は原発地域のことに、これまで目を向けたことがあったかと問うてみると、申し訳ないがほとんど無関心だった。
番組には私自身の後悔と反省をこめたつもりだ。「原発・基地」から派生する事件・事故は、まさに人災でありながら結果はいつも個人が背負わされてきた。こうした構造が見直され、辛い思いをしている子供たちに少しでもましな明日をつくることが私たち大人の責任ではないだろうか。
「番組で描きたかったのは、原発、米軍基地があるがゆえに、理不尽な状況に追い込まれながらも懸命に生きる人々の姿です。この番組に向き合う以前、私は基地問題を抱える沖縄の報道現場に立つひとりとして、沖縄からの声に決して耳を傾けようとしない政府を前に、どう報道を続けていけばいいのか…、むなしさを感じていました。そんなとき、取材で出会った男性の言葉にハッとさせられました。“記録することが大きなあらがいになる。声をあげ続けることをあきめてはいけない”この言葉に、今すぐに不条理な現実は変わらなくても、人々の今を記録し伝えることに意義は必ずある。そう信じられるようになり、気づけば番組作りに没頭していました。原発・基地の問題を考えるとき、番組で紹介した親子の姿や言葉が心のくいのようになってほしい、そんな願いを込めて制作しました」
第22回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『おなじ空の下で』
(制作:沖縄テレビ)
12月11日(水)26時29分~27時24分
2013年11月18日発行「パブペパNo.13-466」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。