2013.8.22
<9月9日(月)26時30分~27時25分>
世界農業遺産に認定された「能登の里海」。里海は、人々の暮らし、とりわけ漁師の生活と自然の営みとが、深く結びついている。しかし、水産資源の減少や魚価の低迷で漁業に見切りをつける漁師が多い。しかも、漁師の仕事は、「板子一枚下は、地獄」とたとえられるほど、危険に満ちている。それでも、船を出し、漁を続ける人たちがいる。海と共にある彼らの暮らしとはどんなものなのか?なぜ海から離れられないのか?あるベテラン漁師の一年を通して、その答えを求めていく。
富山湾に面した石川県七尾市能登島長崎町には、24世帯72人が暮らしている。能登の海岸線には、かつて半農半漁の村が点在していた。しかし、会社勤めがほとんどの今は、どこも半農半サラの集落に変わってしまった。
長崎町でも、専業の漁師は、中山利則さん(70)だけになった。漁師歴55年の中山さんは、冬はカワハギ、ほかの季節はタイを捕って生計を立てている。妻の美根子さん(63)と未明に船を出し、戻ってくるのは午後3時ごろという生活をずっと続けてきた。漁師仲間の多くが、きつい労働と収入の不安定さから船を降りた。しかし中山さんは、値段の高い魚に狙いを定め、漁師として生き残ってきた。
漁の合間には、小船を出して集落から目と鼻の先の海で、魚やイカも捕まえる。95歳の父親と3人で囲む食卓には、海の幸が並ぶ。中山さんは、「体さえ動かせば、食べるものは自給自足できる。海があるから心にゆとりを持てる。」と話す。また漁師の間では、「海には、銭が落ちている」と言い習わされている。漁師としての経験と勘、仲間との競争心によって、生活をかけた漁に出る。体力と知力を注げば、それだけ見返りのあるやりがいと狙い通りに魚が揚がるかというおもしろさから、中山さんは、漁師を辞めようとは思わない。漁師の暮らしは「稼ぐに追いつく貧乏なし」ということわざ通りの生活だ。日々、体を張って働き、つつましい暮らしではあるが、決して貧乏におちいることはない。日本人が失った勤勉さがそこにある。
その中山さんは、海で遊び自然に漁師になったという。父と手押しの小舟に乗り、子供のときに、ヤドカリを餌にメバルを釣った楽しさが忘れられない。やがて、父から船を任され、魚の取り方を真剣に覚えたという。子供のときから、遊びながら魚との駆け引きを覚え、一人前の漁師に育ててくれた海。中山さんにとって、海は「育ての親」。その親元からは、一生離れられない。番組は、海と人との深いつながりを通して、里海とは何かを描く。
「中山さん夫婦は、刺し網なら午前1時、はえ縄なら2時に起床し、家に戻るのは午後3時ごろという生活を繰り返す。さらに競りが休みの日や夕方も、小舟を出してイカやエビ、魚を捕る。ある日、漁を終えた漁師の中山さんが、“ひどい仕事やろ”とぽつりと言った。確かにそうだが、本人は忙しくこせこせしているかというと、いつも悠然と構え、体を動かすことをいとわない。その余裕がどこからくるのか不思議だった。働けば働いただけ見返りのある漁師仕事のやりがい、自分たちが口に入れるくらいの魚なら、磯辺でたやすく捕れる豊かさといったものが中山さんに余裕を生む源泉だと、やがて分かった。中山さんは、“自分から海を取ったら何も残らない”とも語る。取材を振り返って、漁師と海は、不可分の間柄なのだろうと確信した」
第22回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『この海に 幸あり』
(制作:石川テレビ)
9月9日(月)26時30分~27時25分
2013年8月22日発行「パブペパNo.13-325」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。