2012.8.7
<8月19日(日)26時50分~27時45分>
全国的に過疎の進行が止まらない。そうした中、山村に生まれ、一度は町へ下りながら、再び山へ戻ろうとする人たちがいる。彼らは、先人からの知恵や山の暮らしを受け継ぎ、自然環境や景観を守ろうと懸命に取り組む。しかし、すでに通いの住民だけになった集落は、消滅の危機にひんしている。 住民がゼロになった究極の限界集落は、廃村に至るのが必然なのか、それとも存続の道を切り開くことができるのだろうか。
石川県加賀市山中温泉大土(おおづち)町は、市内で最も高い大日山から流れる動橋川の上流部にある。豪雪地ながら明治時代には製炭業や焼畑農業で栄え、住民は300人近くもいた。戦後しばらくは、木材の搬出などでにぎやかさを取り戻すが、石油への燃料転換や昭和38年の豪雪、漆器産業の低迷、小中学校の統合などによって、仕事や教育を求める住民たちは、主に加賀市の中心部や団地へ出て行き、通いの住民だけになった。町には、屋根に赤瓦をふき、いろりからの煙を逃す独特の煙出しを設けた10軒の農家が残り、まわりの自然と一体となった山里らしい景観を作っている。また、地区には雪崩を防ぐため伐採を禁じてきた山がある。その「斧入らずの森」には、樹齢300年以上のケヤキやブナが林立する。そして、一年を通して一定の水温を保つふもとの大土生水には、市外からも水くみの人が訪れる。
この地に生まれ育った二枚田昇さん(58)は、2枚の田んぼから始めて、いまでは25枚の棚田を復活させた。父親から炭焼きを教わり、固有種の太キュウリの生産にも取り組む。二枚田さんの一家も30年ほど前に山を離れ、現在は、山代温泉に近い団地で両親、妻と生活し、子どもはいない。しかし、大土の自然や古い民家が残るたたずまい、山里の暮らしを将来に残したいと考えている。そうした思いから、ほぼ毎日、大土地区に通う。冬場も、カンジキをはいて1時間半の山道を登り、頼まれもしないのに他人の家まで屋根雪を下ろし、地区に居ついた猫にエサを与える。いわば村の守り役だ。二枚田さんは、父親の時代と同じ造りのかまを使った炭焼き、子どものころと同じ手植え、手刈りの米づくり、代々受け継いできた種で育てる太キュウリの栽培など「昔ながら」の営みを大切にしている。大土町を含む加賀市「ひがしたに地区」は、平成23年11月、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。しかし、貴重な建物を残す手立てが講じられても、大土町が廃村寸前という現状は変わらない。
大土町から峠を越えた杉水町で集落再生をめざすのが霜下照夫さん(59)。霜下さんは、実家を活用して15年前から週末だけそば屋を開いているが、ここも今は、住民ゼロ。霜下さんは、移築した土蔵を宿泊ロッジに改修した「蔵宿」を23年夏にオープンさせるなど、人を呼び込もうと懸命だ。さらに、耕作放棄で田んぼが消えたふるさとに水田の復活を試みる。
最奥の村に生まれ育った2人は、時に語り合い、農作業を手伝い合う仲間。2人は、愛着と誇りを持つ生まれ故郷を残すため、山に戻る決意を固めている。そして、自分たちの努力でUターンや移住による新たな住民を掘り起こし、ふるさと再生の突破口を開こうと取り組む。
「番組の舞台となった大土町と杉水町は、取材に入る前年の秋に、どちらも最後の住民が高齢のため、山を下りてしまいました。しかし、通いの住民や都会に住む出身者らで町内会も存在していますし、祭りなど行事も続いています。取材を通して深く心に刻まれたのは、ふるさとを残そうとする二枚田さんや霜下さんたちの粘り強さでした。二枚田さんが、棚田の復活を始めて10年、霜下さんがそば屋を開いて15年の歳月が流れました。さらに、他人の家を除雪したり、他人の畑を耕したりとその行動が“利他の精神”で貫かれていることにも頭が下がりました。こうした人たちの踏ん張りが続く限り、住民ゼロという究極の限界集落が、直ちに消滅、廃村というシナリオにはならないと思っています」
第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『最奥のむらを守る』
(制作:石川テレビ)
8月19日(日)26時50分~27時45分
2012年8月6日発行「パブペパNo.12-282」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。