2011.11.09
<11月9日(水)26時10分~27時5分>
秋田県有数の観光地ともなっている田沢湖は水深423.4メートルと日本で最も深く、ルリ色に輝く美しい湖面から神秘の湖とも呼ばれている。そこには想像もつかない時代の真実が隠されていた。
その真実をひも解くきっかけとなったのは“クニマス”。世界中で田沢湖にだけ生息していた淡水魚だ。その由来については、はっきりとしていない。その昔、ベニザケの祖先が産卵のため川を遡上(そじょう)し、田沢湖までたどりついた。そして、何らかの理由で湖に残り、湖の環境に適合するかのように独自の進化を遂げてクニマスとなったとする説が有力とされている。江戸時代、殿様に献上するにあたって「お国産のマス」ということでクニマスと名付けられたともいわれ、昭和天皇にも献上された特別な魚だった。祝い事など特別な日や病人の見舞い用として珍重された魚は、漁師にとって大きな収入源となっていた。今となっては味わうこともできず、味を知っている人も限られている。「あっさりした味だった…」子どものころ、田沢湖を遊び場としていたという老人は証言する。
生態もはっきりと解明されないまま、クニマスが湖から姿を消すのは、今から約70年前。戦争を背景とした国の政策によって湖の水質が激変したためだ。
田沢湖の北に位置する玉川温泉からは強酸性の温泉水が大量に吹き出している。酸性、アルカリ性の度合いを示すpHは1.3と全国でもまれな強酸性の温泉が玉川に流れ込み、下流の農家を長年苦しめてきた。水量も多く、本来、恵みとなるはずの川の水は農業用水にも生活用水にも適さず、流域の開発を妨げてきたことから「玉川毒水」と呼ばれた。そこで対策として持ち上がったのは、玉川の酸性水を田沢湖の水で薄め、農業用水を確保すると同時に田沢湖をダム湖として水力発電を行おうというもの。食糧増産と電源開発を推進する国策で昭和15年、玉川の水を田沢湖に導入すると瞬く間に魚たちは死に追いやられた。その後、玉川の酸性水を中和処理する施設も稼動し、田沢湖の水質は徐々に改善されてはいるものの、クニマスに適した環境に戻すのは難しい状況だ。
「絶滅したはずの幻の魚が、遠く離れた山梨県西湖で発見!」とのニュースは全国的に反響を呼んだ。クニマス発見の立役者の1人がテレビでも活躍するさかなクンとあってマスコミも注目した。なぜ、田沢湖にしかいなかった魚が他の湖にいたのか…。その答えは、代々クニマス漁を営んでいたという家に伝わる古い文献に隠されていた。全国のいくつかの湖に送られていたクニマスの受精卵。富士山のふもとにある小さな湖で清らかな水に抱かれながら人知れずクニマスが繁殖を繰り返していたと思うと生命の神秘としたたかさに驚かされる。
玉川と田沢湖の水を活用した発電と農業開発を両立させる国の一大プロジェクトは、美しい田園風景が広がる穀倉地帯を生み出した。そして豊かな現代生活をもたらした。「水をめぐる争いも多かった」と、未開の荒地で井戸を掘りながら米づくりを始めた老人が語るように、水を手に入れるための苦労が絶えなかった時代、地域振興のためにはどうしても必要とされた政策だったのだ。
人間の歴史は、犠牲の上に成り立っている。何事においてもすべて都合よくとはいかない。奇跡的に現代によみがえったクニマスがとかく脚光を浴びる中、その背景にある光と影について当時を知る人々の証言を交えて明らかにしていく。田沢湖の美しい映像と音楽にのせて「われわれには何が必要で、どうするべきか」そして「過去は変えられないが、未来は今を生きるわれわれの手に委ねられている」とのメッセージを送る。
「突然、舞い込んだクニマス発見のビックニュースに全国的にも反響が広まる中、田沢湖を抱える地元関係者も歓喜に沸きました。しかし、取材を進めると次第に手放しでは喜ぶことができない時代の背景があることが分かってきました。クニマスか、それとも豊かな現代生活か…。答えを出すことは難しいことです。当時を知る人は80代から90代で、貴重な証言をこの段階で得ることができたことはとても幸運でした。画期的な湖の水質改善策によってクニマスが再び田沢湖に戻って来るのを信じながら、今後も湖の将来の姿を追い続ける必要があると感じています」
第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『クニマスがいた湖 ~時代の真実と未来~』
(制作:秋田テレビ)
2011年11月9日(水)26時10分~27時5分
2011年11月8日発行「パブペパNo.11-272」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。