2011.6.08
<2011年6月15日(水)26時10分~27時5分放送>
2011年3月11日、東日本大震災。被災地では、多くの人が肉親を亡くし、住む家を失い、生きるためのすべてを奪われ途方に暮れている。そんな被災者が、いま、何を必要としているのかー。それこそが、被災地以外に住む人にとって、今回の震災に向き合う際の重要なテーマとなっている。被災地に全国からさまざまな支援の手が差し伸べられる中、富山からもいち早く駆けつけ、苦難を共に乗り越えようと活動する人たちがいる。古くから東北と富山を結び付けてきた船主、家庭薬配置業者(いわゆる富山の売薬)、そして、ボランティアの3人だ。第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『東北の富山 東日本大震災2か月の記録』(制作:富山テレビ放送)では、その3人が被災した人たちのためにできることを模索する姿を見つめた。
宮城県の気仙沼漁港では、休漁期に停泊していた富山県入善町の大型漁船2隻が津波に流された。乗組員のほとんどが三陸地方の出身者、その家族90人の安否もわからなくなっていた。船主の3代目、池田博人さん(36)は、発生直後、現地の情報がほとんど入らない中で、新聞に載った船の写真を手がかりに現地に向かう。がれきの山と化した港町で、目に飛び込んできたのは、陸地に400メートルも入ったところに打ち上げられた船。廃船を迫られる中、無事だった乗組員の生活を再建させるため、船を海に戻したいと動き始める。
富山の売薬、豊田保忠さん(68)は、宮城県の石巻市で仕事中に被災した。恐ろしい体験と父親の代から40年以上通い続けてきた街の壊滅的な被害、800軒の顧客名簿・懸場帳(かけばちょう)も流され、仕事を続ける気力を失いかけていた。そんな中、被災地から1本の電話が…「薬を待っています」。豊田さんは、被災した顧客に薬を届けるため、一人ひとりの安否を確認しながら、再出発を決意する。
NGOアジア子どもの夢の代表、川渕映子さん(61)は、貧困にあえぐベトナムの子供たちの教育支援を続けている。被災者への支援はその延長線上にあるという。発生から10日足らずで救援物資を携え、仲間と現地へ向かっていた。刻々と変わる被災者の状況にスピードを持って対応するすべを知っていた。それは、思いのほか簡単なことだという。誰かのために自分ができることをー。行動を起こした3人の富山人、その根底にある思いを感じてほしい。
東日本大震災、誰も予想していなかった事態が起こってしまい、筆舌に尽くしがたい被害が現実のものとなりました。復興へとかじを取る国。しかし、その展望はいまだ開けず、被災者の悲しみも癒えることはありません。3月11日を境に私たちは多くのものを失いました。その一方で、「がんばろう日本」と一致団結する絆のようなものが色濃く見えるようになっています。被災地以外の多くの人が、自分にできることは何だろうと考え、行動に移しています。苦しみを共にしようとする精神文化、それぞれがそれぞれの立場や思いで、未曾有の大震災と向き合おうとしているのだと思います。
第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『東北の富山 東日本大震災2か月の記録』
(制作:富山テレビ放送)
2011年6月15日(水)26時10分~27時5分
2011年6月7日発行「パブペパNo.11-122」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。