2010.7.21
<2010年7月23日(金)26時50分~27時45分放送>
ある日突然、障がい者になった一人の青年。頚髄を損傷し首から下の自由を奪われた。想像を絶する過酷なリハビリを続け、車いす生活ができるようなった青年は「車いすマラソン完走」という大きな目標を自らに課した。7月23日(金)26時50分~27時45分放送の第19回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『今を生きる~突然、障がい者になった~』(制作:テレビ宮崎)は、さまざまな壁にぶち当たりながらも、自立への道を歩む青年の姿を通して「生きる」ということ、そして「障がい」について考える。
宮崎県日南市出身の池田泰允さん(24)は、19歳の時に友人と川へ遊びに行き、飛び込んで頚髄を損傷した。首から下が全く動かない状態で生死の境をさまよった。高校時代はヒップホップダンス部に所属し、全国大会で優勝も経験した青年の体は、事故の瞬間から動かなくなった。自分の体に絶望することもあったが「事故は自分の責任だ」と気持ちを切り替え、大分県別府市の訓練所で一人懸命にリハビリに励んだ。そして、車いすを使って日常生活ができるまでになった。そんな池田さんが苦しいリハビリを続ける中で出会ったスポーツ、それが“車いすマラソン”だった。毎年大分県で開催される「国際車いすマラソン大会」への挑戦。残存する運動機能が非常に少ない池田さんの障害レベルではマラソンに挑戦すること自体が困難なものだったが、「今の自分の限界が知りたい」と懸命に練習に励んだ。限界を知ることでまた一歩ステップアップしたいと何度も後退しながらそれでも坂を登る練習を続けた。
そして迎えた本番当日。自分が持てる力をふりしぼり、ただ必死に車輪をこぎ続ける池田さん。その姿を沿道から見つめる母。その手には父親の遺影があった。「生きているから頑張れる…」事故は自分の責任だと、いつも一人で現実と向き合い乗り越えてきた日々。池田さんは事故後、両親とうまく接することができず苦しんだ。そんな最中、車いすマラソンへの挑戦を喜んでいた父が突然この世からいなくなった。自分の限界への挑戦は、突然障がい者になった自分を陰で見守り支えてくれていた両親の存在にあらためて気づくことにつながった。
重度の障がい者を取り巻く現実社会の壁は大きい。普段われわれには当たり前の行為が池田さんにとっては容易ではない。大分県別府市で生活する池田さんはふるさと宮崎に帰郷したいと思っているが、福祉の整備面を考えると別府で自立を目指すほうが現実的な選択だった。
さまざまな壁にぶつかりながらも自立へ向かって前向きに、今の自分を大切に生きるひとりの青年の姿を通して「生きる」ということ、「障がい」ということについて考える。
誰でもいつ何時、人生を一変させるような出来事が起こるか分からない。どこにでもいるような一人の青年が突然障がい者になるという現実。しかし主人公の池田さんはそれを受け止めて受け入れて今を生きている。その姿を記録したいと2年間をかけて取材した。もちろん池田さんの車いすマラソン挑戦を取材することがメインだったが、日常の彼の姿を取材することで、障がい者が社会で生きていくために何に悩み、何が不便で、健常者はどう接すればいいのかということについても考え方に大きな隔たりがあることに気づかされた気がする。番組を観てくれた人が「生きる」ということ「障がい」ということについてあらためて考えてくれればうれしい。
第19回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『今を生きる ~突然、障がい者になった~』
(制作:テレビ宮崎)
2010年7月23日(金)26時50分~27時45分放送
2010年7月21日発行「パブペパNo.10-135」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。