2008.11.11

第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『日はまた昇る 〜野村のおっちゃんが残したもの〜』
(制作:テレビ新広島)

ガンと闘いながら、“青少年多目的広場”建設に情熱を注いだ男性と、かかわってきた少年たちの姿を3年間にわたり追いかけたドキュメンタリー


 2008年11月12日(水)深夜2時39分〜3時34分放送予定(荒天プロの場合)の『日はまた昇る 〜野村のおっちゃんが残したもの〜』(制作:テレビ新広島)は、ガンと闘いながら、“青少年多目的広場”建設に情熱を注いだ男性と、かかわってきた少年たちの姿を3年間にわたり追いかける。

(企画意図)

 2006年4月、広島県廿日市市にスケートボードやインラインスケートが楽しめる“青少年多目的広場”が完成した。この場所は、「子どもの居場所をつくりたい」と地域の人などが、ボランティアで1年半をかけて建設した手作りの施設だ。このスケート場建設に情熱を注いだのが、野村洋一さん(2007年7月1日死去・享年55歳)。ガンと闘いながら子どもたちのために、と夜の街で声かけの活動を続けてきた。野村さんが命を懸けて訴えた思い。そして、かかわってきた少年たちの姿を3年間にわたり追いかけた。

(番組内容)

 ガンの告知を受けながら「自分の命を子どもたちにささげたい」と夜の街で声かけを続けてきた1人のおやじがいる。広島県廿日市市の野村洋一さん。これまで多くの子どもたちを暴走族から脱退させてきた。また、「子どもの居場所をつくりたい」と2006年4月、廿日市市にオープンしたスケートボード場の建設に力を注いできた。その野村さんから、「僕を撮ってほしい」と言われたのは、2007年6月のことだ。この時、野村さんの体は、ガンが全身に転移し医師からは、余命1ヵ月と告げられていた。お見舞いに行った僕たちスタッフに、野村さんは「僕がボロボロになっていく姿を通して子どもたちに命の大切さを知ってもらいたい」と話された。6月30日。野村さんは、依頼を受けていた講演会に向かう。酸素ボンベを持ち、車イスに乗って出かける野村さん。車イスを押すのは、元暴走族の子どもたち。講演翌日、野村さんは、静かに息を引き取る。父のように慕う野村さんの死に直面した子どもたちは、悩み迷いながらも一歩一歩前へ進んでいった。大人もまた、その遺志を引き継ごうと動き始める。
 野村さんが僕たちスタッフに託した思いを番組で表したい…ディレクターたちは考えた。

<ディレクター・船田興起コメント>

 スケボーパークが完成するまでを取材してきた私たちスタッフは、入退院を繰り返していた野村さんが退院したと聞き、自宅へお見舞いに行った。その時、野村さんから唐突に「僕を撮ってほしい。子どもたちに僕の姿を見せて命の大切さを知ってもらいたい」と言われる。
 以前の姿とはかけ離れた野村さんは、まるで別人のようで、それなのに「僕を撮ってほしい」と言った時の迫力、眼光の鋭さに圧倒され、そのとき「やります」とは、到底言えなかった。
 しかし、野村さんの姿が頭から離れなかった。「やらせて下さい」と言った時は、再入院した病室。「野村さんに託された」という思いは、「自分に出来るのだろうか」というプレッシャーに変わっていく。悩み、もがきながら進めていった取材が、こうして番組という形になったのをうれしく思う。


<番組概要>

◆番組タイトル

第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『日はまた昇る 〜野村のおっちゃんが残したもの〜』

◆スタッフ

プロデューサー
伊勢隆昭(テレビ新広島)
ディレクター
船田興起(TSSプロダクション)
音響
広瀬康詞(TSSプロダクション)
構成
上海五郎(TSSプロダクション)
ナレーション
原田美枝子
制作
テレビ新広島

2008年11月11日発行「パブペパNo.08-316」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。