2008.8.27

第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『家路
 〜海を渡った孤児たちは今〜』
(制作:フジテレビ)

日本からブラジルへの移民が始まったのは今から100年前の1908年。その後25万人の日本人が海を渡り、現在では150万人という日系人社会を形成しました。そんな中、今から43年前の1965年、ある“異色”のグループがアマゾンに向かいました。18歳そこそこの青年たち。多くの移民が今より「少しでも豊かな生活を」と新天地を目指したのに対して、彼らには違う目的がありました。「差別のない国」を目指す…。

<2008年8月29日(金)深夜2時50分〜3時48分放送>


 日本からブラジルへの移民が始まったのは今から100年前の1908年。その後25万人の日本人が海を渡り、現在では150万人という日系人社会を形成しました。そんな中、今から43年前の1965年、ある“異色”のグループがアマゾンに向かいました。18歳そこそこの青年たち。多くの移民が今より「少しでも豊かな生活を」と新天地を目指したのに対して、彼らには違う目的がありました。「差別のない国」を目指す…。

 海を渡った若者たちは神奈川県大磯町にある養護施設「エリザベスサンダースホーム」で育った子供たちでした。戦後、駐留軍と日本女性の間に生まれ、捨てられたり、何らかの理由で育てられなかった“孤児”たちを一手に引き受けた施設。創立者は三菱財閥創始者の孫娘・澤田美喜さん(1980年没)。強烈なカリスマ性を発揮しホームをけん引しました。しかし「敵国」との間に生まれた子供たちを受け入れられない日本社会。ホームの一歩外に出れば子供たちは好奇の目にさらされ、容赦ない言葉を浴びせられ、そして石をぶつけられたのです。何年経っても園児たちに残る心の痛み。澤田さんは敷地内に学校を設立するなど、極力子供たちを世間から隔離する方針を立てました。しかし子供たちがホームを巣立つ年齢に達すると新たな壁にぶちあたりました。就職先が見つかりません。社会の偏見は戦後20年が経とうとしても依然強かったのです。若者たちのブラジル行きは「差別のない理想郷」をつくる、そして卒園児たちに安定した仕事につかせるという澤田美喜さんの願いを込めたプロジェクトだったのです。

 はじめの7人がブラジルに渡ったのは1965年。日本は高度経済成長による未曾有の好景気に沸いていました。一方のブラジルはまだまだ発展の途上にあり、日本からブラジルへの移住熱も徐々に冷め始めていました。やがて未開のジャングルを切り開いていた子供たちに関する情報は次第に届かなくなって行ったのです。それから43年。奇しくも今年はホーム設立60周年。60歳を過ぎた彼らはどうしているのか。そして何を考えているのか。私たちは限られた情報を頼りに彼らの消息を辿りました。

■ 高橋龍二さん(62)

 終戦の翌年生まれ、ホームの“一期生”高橋龍二さんは千葉県成田市に住んでいました。ブラジル料理店を開店。早くに一団を離脱した18歳の高橋さんは、小動物や爬虫類などを食べながらアマゾンの奥地でひとり牛の世話をするという仕事を見つけました。その後、町に出てバーテン、モデル業、画家見習いなどを経て航空会社に入社。1996年に日本へ転勤になりました。年を追うごとに自分の生まれた国に対する思いが強くなる中、おととし定年を迎えました。そしてある決断をしました。日本を「終の棲家」にする。

 しかし、その国は母に「捨てられた」場所でもあります。いまだに母に手を引かれてホームに連れて行かれた時のことが忘れられません。長い間、その光景が悪夢となり眠りを妨げたと言います。現在は、離婚を経てマンションに独り暮らし。子供たちも大きくなりました。

 最近、衰弱した子猫を拾った高橋さん。スポイトでミルクを飲ませる日がつづきます。

■ 藤島富さん(60)

 皆が入植した聖ステパノ農場は1975年に澤田美喜さんの判断で閉鎖されました。藤島さんは農園の最後を見届けた人です。ブラジルの政権交代で後続のビザが発給されず、日本側の経済状況がひっ迫、人的・金銭的後ろ盾がなくなったという人もいます。

 藤島さんは農園を他人に引き渡した後、バスの運転手や製材所のメカニックなどをし、ブラジル国内を転々としました。出稼ぎの形で日本に帰って来たのは18年前。子供の教育のためと言います。当時の安定した仕事を投げ打っての決断でした。還暦の誕生日の日。長女は父親との歩みに思いを馳せ、父の横顔を見つめました。父親の想像を超える苦難の人生。その中で健やかに育ててもらったことを長女はかみしめました。

■ 中川純二さん(61)

 ブラジル・パラ州トメアスー。アマゾン河口の町ベレンから車で4時間。かつては船で丸一日かかった場所に聖ステパノ農場はありました。そのすぐそばに今も卒園生が一人住んでいました。中川純二さん、61歳。ブラジルに渡った若者たちの中で、ただ一人今も農業をしています。中川家の交通手段は原付自転車一台。作物の価格の変動が大きく、そして労働者たちへの労賃が高騰。生活のために車を売らざるを得ませんでした。最近、二男が出稼ぎをしていた日本から帰って来ました。赤道に近い太陽光が突き刺す大地に親子が鍬を入れます。機械はなく、労働者も居ません。ふたりきりの作業です。大規模農場で機械化が主流のブラジルにあって毎月の生活費がようやく稼げる程度ですが、中川さんはブラジルに来て良かったと言います。子供のころからずっと“ひとりぼっち”だった自分が結婚をして、そして、子供が生まれ、家族が出来たのです。

 カリスマ園長の下で育った若者たち。しかし同時に深い悲しみも背負って生きてきました。第二次世界大戦後の混乱の中でこの世に生を受け、そしてブラジルに渡って行った彼らの旅は、自分たちの「生まれてきた意味」を問う彼ら自身の心の旅でもあり、そしてそれまで経験することのなかった「家族」を求める旅でもありました。


<番組概要>

◆番組タイトル

第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『家路〜海を渡った孤児たちは今〜』

◆放送日時

2008年8月29日(金)深夜2時50分〜3時48分

◆スタッフ

制作
フジテレビ
ディレクター
川上大輔
プロデューサー
岡田宏記
ナレーター
神奈延年
編集
芦垣 均
撮影
望月あずさ
高川順子
中村公俊
音効
佐古伸一
EED
塚本博道
MA
中丸 拓
ブラジルコーディネーター
稲原ネルソン

2008年8月27日発行「パブペパNo.08-232」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。