2008.8.15
<2008年8月17日(日)深夜3時05分〜4時00分放送>
「限界集落」という言葉を近ごろテレビや新聞でよく聞いたり見たりする。「限界集落」とは、65歳以上の高齢者が人口の50%を超え、共同体としての機能が果たせない集落を指す。
佐伯市宇目大字木浦鉱山もその限界集落の条件である65歳以上の高齢者が50%を超えている。ただし、共同体としては、立派に機能を維持している。それどころか、木浦鉱山に住む高齢者たちは、みんな元気だし、なによりも口をそろえて「木浦が一番いい」という。
番組では、この木浦の厳しいが豊かな自然の中で穏やかに過ぎていく高齢者たちの日常にスポットを当て、限界集落という言葉のもつ意味と実態を探ってみた。
それゆえにこのドキュメントでは、特別の事件が起きるわけでも、集落の人間関係の葛藤を描いてもいない。ただ、淡々と木浦の人たちの穏やかに助け合って生きて行く姿を写し取っているだけである。
とはいえ、木浦が「限界集落」という時限爆弾を抱えているのも事実である。「限界集落」から「消滅集落」へ…。5年経ったら…10年経ったら…そのとき果たして木浦はどうなっているのか、誰もが心の内にその思いを抱いているのも否めない。
今年の2月、木浦は3年ぶりに復活した奇祭「すみつけ祭り」で、一時マスコミの脚光を浴びた。祭りには、街へ出ていた子どもたちや孫たちが帰ってきてにぎわった。しかし、祭りが終わると集落は元の静けさを取り戻した。
番組は、その祭りの終わりから始まる。子どもたちが帰って行った寂しさと、祭りのにぎわいの余韻を体の内に秘めて、人々はまた静かな日常へと戻る。
厳しい冬から芽吹く早春、そして花咲く桜の季節、浅緑のさわやかな茶摘みの頃へと、木浦の季節は移り変わる。その移ろい行く季節の中でお年寄りたちの生活もまた自然の一部のように移ろって行くのである。
カメラは、その人たちに寄り添う。季節の移ろいを彩る祭事―ひな祭り、お彼岸、花見、茶摘み、とその度に子どもや孫たちが帰ってきて集落は一時にぎわいを見せては、また元の静かな集落に返る。
子どもや孫たちの世代は、自分たちは木浦を出て行ったが、「やっぱり木浦はいい」という。だが、定年になったら戻ってくるかと問えば、答えられない。彼らにとっていい木浦というのは、故郷としての木浦なのである。
しかし、帰っていく彼らを見送る側、お年寄りたちには暗いイメージはない。何故なのだろうか…。番組はそのお年寄りたちの心象風景に迫る。そこには行政的な言葉としてある「限界」から「消滅」というマイナーなイメージとは程遠い、年齢に関係なく、生きるという生業に精を出す。生き生きとした人々の姿がある。
集落の通りには人影も見えない。でも、半日も姿を見せないと「どげぇしよるかえ」と声を掛け合う。道を歩いているところへ車が来る。警笛など鳴らさない。側で止まって、「足の具合はどげぇかえ?」と問いかける。カメラはそのような人々の日常を丹念に追いかける。行政のいう「一共同体として機能しない」という定義へのそれは裏返しの答えになっているのではと思える。
「木浦がいい」という一つに水の豊かさがある。集落のどこにいても絶えず水音が聞こえてくる。渓流の音、それにも増して湧水池より湧き出る水が集落を縫って流れ落ちている音。何百年とこの地を潤してきた水は、人々の生活の豊かなリズムのように伝わってくる。何事もなく穏やかに過ぎていくだけの日々がこんなにも美しいとは…。番組はそのことを語っている。
大分県佐伯市に木浦という地区があります。別名「木浦鉱山」と呼ばれるこの地では、古くは錫や銀など多くの鉱石を産出してきました。
この春、その木浦に伝統の奇祭「すみつけ祭り」が復活するというので、早速取材を始めることにしました。市街地から林道を走り約1時間半。ひっそりと佇む静かな山村には、わずか32世帯のお年寄りだけが暮らす、いわゆる「限界集落」の姿がありました。
ここのお年寄りたちには、限界という言葉には程遠い、たおやかな暮らしの姿があることに気づきます。「木浦が一番いい」そう言って一人で暮らす人の多くが今日も元気に野良仕事に精を出しています。木浦の人たちを見ていると、人生の価値観とまで言わずとも、「生きる」という意味の本質が見えてくる気がするのです。
高齢化の時代、地方はますます厳しい状況の中にいますが、この里は私たちに生きるための知恵を教えてくれている気がします。
第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『限界集落に生きる〜旧木浦鉱山かけがえのないふる里〜』
2008年8月17日(日)深夜3時05分〜4時00分
2008年8月15日発行「パブペパNo.08-216」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。