2008.7.11
<2008年7月12日(土)深夜2時50分〜3時45分放送>
2008年7月12日(土)深夜2時50分〜3時45分放送の第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『バッケンレコードを越えて』(制作:北海道文化放送)は、練習中の事故で記憶を失ってしまったスキージャンプ選手と、その妻が互いに支えようと奮闘する姿を通じ、「共に生きる」意味を問う。
大倉山ジャンプ競技場の“バッケンレコード”を持つ金子祐介選手。彼はトリノ五輪代表候補の一人であった。しかし、練習中の大転倒で運命が大きく変わる…。脳挫傷による高次脳機能障害で記憶を失った。自分の名前も家族もわからない。そんな彼を救ったのは最愛の人の存在、彼女の支えによって、奇跡的な回復をみせる。そして二人は結婚。しかし、その幸せの絶頂で、更なる悲劇が二人を襲う…。最愛の人の支え、最愛の人の危機…。互いに支えようと奮闘する2人を通じ、「共に生きる」の意味を問う。
バッケンレコードとはスキージャンプの競技場最長不倒記録のこと。ジャンパーにとっては、そのジャンプ台で最も遠くに飛んだ証しとなる輝かしい勲章だ。国内に2つしかないラージヒル競技場の1つ大倉山のバッケンレコードは145メートル。長野県白馬の137メートルを8メートルも上回る国内最長記録でもある。その脅威のバッケンレコードを樹立したのが金子祐介選手、トリノ五輪前年の2005年3月25日のことだった。
破格の記録を打ちたてた金子祐介選手だったが、トリノ五輪のシーズン直前に、こつ然とシャンツェから姿を消した。ジャンプには珍しい「命」に関わる大ケガが原因だった。シーズンインを前にした海外合宿でのこと、空中でスキー板と体をつなぐ金具が外れるというアクシデントに見舞われる。板が外れ翼を失った彼は、そのまま顔面からランディングバーンに突っ込み、上下アゴの骨を粉砕骨折したほか、目から下のほとんどを骨折した。頭蓋骨の底部で脳を支えている無数の小さく薄い骨も折れ、溢れるほどの出血があった。一命は取り留めたが、ジャンプの再開どころか一般の社会復帰さえ危ぶまれた。
金子選手が表舞台から消えている間の様子を、婚約者の長井ひとみさんが写真やビデオ、ノートに記録していた。UHBアナウンサーの近田誉は、ひとみさんが撮影した当時の写真やビデオを見せてもらい驚く。そこに映っていたのは、精悍なジャンパーだった金子選手とは別人のような痛々しい姿だった。ビデオの中で金子選手は、「自分の名前はカメヤだ」と他人の名前を名乗る。恋人の名前を尋ねられ「今は分からない」と言う。ヒントをもらい、何度も聞かれて、「長井ピース」と指を指して答える。間違っていた。自分が誰かも分からない。家族も最愛の人の名前も分からなくなっていた。言葉や記憶が失われていた。
脳に障害が残り、生き甲斐を失い、失望感に苛まれ苦しんだ金子選手を救ったのは「ジャンプへの思い」と「最愛の人の支え」だった。2006年7月、金子選手は再びジャンプ台に立つ。その年のジャンプシーズンが到来すると選手として復帰。「奇跡的」とも言える復活を果たす。そして、悪夢から2年、2007年11月、2人は結婚する。試練を乗り越えたアスリートの取材は結びとなるはずだった。しかし、復帰2シーズン目、金子夫妻と食事の約束をしていた近田のところにひとみさんから電話が入った。内容は2つ。「今季が夫、祐介の現役最後のシーズンになるだろう。そして、私(ひとみさん)は悪い病気らしく治療のため北海道を離れることになった」というものだった。UHBの取材は続くことになった…。
スポーツ実況のアナウンスにおいて記録やデータはコメントを構成する上でとても重要な要素です。私はアナウンサーとして15年以上もジャンプ競技に関わってきて、常に「記録」を意識していたつもりでした。しかし今回の番組をスタートするきっかけにもなった「記録」は、私がそれまで扱ってきた「記録」とは意味が違っていました。
「写真の1枚でもあれば…」そのくらいの気持ちで訪ね見せられた記録、ひとみさんが撮影したビデオの内容は強烈でした。記録することの大切さ、記録のもつ重さ、メディアの役割を取材相手に教えられ、愕然としました。
「記録」と「記憶」は番組のキーワードでもあります。バッケンレコードという記録には、たくさんの深い「おもい」が寄せられていると感じています。今回、取材対象者の持つ力、素材の力を思い知らされました。不思議な出会いの数々にただただ感謝するばかりです。
第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『バッケンレコードを越えて』
2008年7月12日(土)深夜2時50分〜3時45分
2008年7月8日発行「パブペパNo.08-187」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。