FNSドキュメンタリー大賞
長野放送『われに短歌ありき〜ある死刑囚と窪田空穂〜』が
「第15回FNSドキュメンタリー大賞」の大賞作品に決定!
プロデューサーとディレクターを務めた
長野放送・報道制作局専任局長の宮尾哲雄さんに喜びの声を聞いた。

『決定!第15回FNSドキュメンタリー大賞』(仮)


<2007年1月28日(日)16時〜17時25分>

 フジテレビの系列28局が番組制作能力の向上と、そのノウハウの蓄積を図るという趣旨のもと、ドキュメンタリー作品を競い合う「第15回FNSドキュメンタリー大賞」。
 厳正な審査の結果、大賞『われに短歌ありき〜ある死刑囚と窪田空穂〜』(長野放送)優秀賞2作品に『走りつづけたい 〜ゴールへ導く黄色いロープ〜』(福島テレビ)『断罪の核心 〜元裁判長が語る水俣病事件〜』(テレビ熊本)特別賞3作品には新潟総合テレビ東海テレビテレビ新広島の作品が選ばれた。
 大賞作品を中心にした番組が1月28日(日)『決定!FNSドキュメンタリー大賞』(仮)として放送される<16時〜17時25分>
 今回の大賞に選ばれた長野放送の『われに短歌ありき〜ある死刑囚と窪田空穂〜』は「死刑を目前にして、獄中で出会った短歌に救われた死刑囚の思いがしみじみと伝わる静かな趣のある作品。哀感あふれる作品で、死刑囚と歌人・窪田空穂をはじめ、周囲の人間との関係を考えさせられる。死刑についてのさまざまな論調が飛び交う昨今、取り返しのつかない罪を犯した死刑囚が周囲の愛情に支えられながら、ここまで変われるんだということが静かに胸に迫るすぐれた作品」と審査員の高い評価を得た。


大賞 『われに短歌ありき〜ある死刑囚と窪田空穂〜』 (長野放送)
優秀賞 『走りつづけたい 〜ゴールへ導く黄色いロープ〜』 (福島テレビ)
『断罪の核心 〜元裁判長が語る水俣病事件〜』 (テレビ熊本)
特別賞 『自殺大国に潜む影…』 (新潟総合テレビ)
『重い扉〜名張毒ぶどう酒事件の45年〜』 (東海テレビ)
『明けない夜はない 〜小さなテント小屋の560日〜』 (テレビ新広島)


 『われに短歌ありき〜ある死刑囚と窪田空穂〜』のプロデューサーとディレクターを務めたのは長野放送・報道制作局専任局長の宮尾哲雄さん(56歳)。
 1972年に長野放送に入社した宮尾さんは業務部を経て、報道部に配属され、記者・デスクとしてニュース番組の制作を担当するかたわら、ドキュメンタリー番組に精力的に取り組んできた。
 1982年には中国帰国者の問題を扱ったドキュメンタリー『流離抄』を制作し、日本民間放送連盟賞優秀賞、放送文化基金賞などを受賞。
 1984年には中国帰国者のドキュメンタリー『あね いもうと』で日本民間放送連盟賞優秀賞、ギャラクシー選奨などを受賞した。
 1990年には『よみがえれ 諏訪湖〜西独の成功例に学ぶ〜』で科学技術映像祭科学技術庁長官賞、日本民間放送連盟賞優秀賞などを受賞した。
 趣味は制作スタッフと飲みながらのよもやま話という根っからの仕事人間。囲碁は30年前から続けているが、最近はもっぱらコンピューター相手の対局だという。
 「ヒューマンドキュメントが好きで、人間が持つ不思議さ、すばらしさに出会ったとき、ドキュメンタリーを作ろうと思う」という宮尾さんに死刑囚・島秋人と大歌人・窪田空穂の交流に興味を持った“きっかけ”、取材中のエピソードなどを語ってもらった。

○大賞を受賞されたお気持ちは?

 うれしいと同時に、大変びっくりしました。この作品はモノクロ写真や手紙の接写や再現シーンなどが多く映像的に地味で、テーマも重くて地味ですから、まさか大賞をとれるとは思っていませんでした。他に映像的にインパクトの強い作品が多かったので。

○死刑囚で歌人の島秋人に興味を持ったきっかけは何だったのですか。

 最初は地元の新聞記事(2005年秋)でした。大歌人の窪田空穂は長野県の松本で生まれたのですが、彼の遺品の中から青年死刑囚とやりとりした往復書簡が新たに見つかりました。二人の間にどういう心の交流があったのか。島秋人は巣鴨の東京拘置所の中にいて、高い塀を隔てての交流でしたから、二人は最後まで一度も会ったことがありませんでした。短歌を通じて、島にどんな心の変化があり、歌の才能を開花させていったのかを書簡を元に探りたかったんです。

○そもそも島秋人はどういうきっかけで短歌に目覚め、大歌人の窪田空穂と交流を持つようになったのですか。

 島秋人は学校で成績の悪い子供だったんですが、中学時代、図画を担当していた吉田先生に一度だけ絵を褒められたことがありました。島は死刑判決を受け、独房にいる時、そのことを思い出し、その図画の吉田先生に、死刑囚になってしまった自分の境遇を記した手紙を出しました。その島の手紙に対して、吉田先生と夫人の絢子さんが温かい励ましの手紙を送りました。その手紙に書き添えてあった絢子さんの短歌に感銘し、島も短歌を始めるようになったんです。窪田空穂が選者を務める「毎日歌壇」に投稿するよう薦めたのも絢子さんでした。島の短歌が空穂の目に留まって評価を受け、島が空穂に手紙を送り、二人の交流が始まりました。

○窪田空穂は島秋人の歌のどういうところにひかれ、才能を見出したのですか。

 技巧を凝らすという意味では島の歌は決してうまくはなく、未熟なものも多いけれど、素直に気持ちを詠んでいるところに空穂はひかれたんでしょうね。死が眼前に迫っている死刑囚の「生」に対する愛惜が実感として歌に現れており、空穂の心に響いたようです。

○宮尾さんは二人の交流の具体的にどんなところに興味を持ったのですか。

 私はたくさんの番組を作ってきましたが、人物を描くヒューマンドキュメントに一番、心ひかれるんです。人間が持つ不思議さ、すばらしさに出会ったとき、僕はドキュメンタリーを作ろうと思うんです。何を具体的に描きたいのかと聞かれてもテーマが先にあるわけじゃないんです。男が女を好きになるのと同じで、どこが?何が?と聞かれても困るんですよね(苦笑)。ひかれる対象としての人物を見つけたときに番組を作りたいと思うんです。その人の人間性や人生を追いかけるうちにテーマらしきものが見つかってきます。
 うーん、一言で表現するのは難しいですね。窪田空穂は早稲田大学の教授で、最上級の文化人。そして、90歳をまぢかにして、人生を知り尽くしている。そして、もう一方の島秋人は、強盗殺人を犯し、死刑という罰を受けなければならない。そんな二人が、短歌というものを通じて、本当の意味で深い心の交流があったという事実を知ったとき、人間の不思議さ、すばらしさを感じ、描く対象として魅力を感じました。


○本来、出会うはずのない二人が出会って、でも実際には会っていないというのは不思議ですよね。

 面と向かって話したことはないのですが、短歌や書簡を通じて、非常に深い交流がありました。立場、境遇、環境、育ちすべてが全く違う二人がお互いに支え、支えられた。二人には、歌の子弟関係以上の、何か共感するものがあったんでしょうね。非常に興味深いですよね。

○窪田空穂が島秋人に支えられている面もあるんですか。

 あるでしょうね。島にとって、空穂は歌の師であり、人生の師でもあります。島は空穂の支えと励ましを受けて、徐々に高みに昇り、昇華していきます。凶悪犯が大歌人の心を打つ歌を作るようになりました。島にとっては人生を決定づける出会いでしたが、空穂も島の歌に呼応する歌や、島について詠んだ短歌を作っていますから、空穂にとっても島の存在は大きく、共鳴するところがあったのだと思います。まったく境遇の違う二人が立場を超えて濃密な関係を作り得たこと、このように人間が変化し、更正しうるということを番組を通じて知りえたことは最大の喜びでした。

○田空穂は名声を極め、死を意識するようになった晩年に島秋人に出会ったからこそ、島に共鳴したのでしょうか。島に出会った空穂の年齢というものも関係あるでしょうか。

 死を間近なものとして意識し、生命への愛おしさを島は歌に詠んでいますが、生きること、死ぬことへの思いは二人にとって大きな共通項であったのでしょう。残された一日一日をどうやって生きていくかは最大の関心事としてお互いの心の中にあったのでしょう。

○島秋人を取り巻く人たちが本当に優しいのには驚きます。

 空穂をはじめ、島の養母になったクリスチャンの千葉さん、弁護士の土屋さんなど、周りの人々が本当に優しいんです。島は少年時代、勉強もできず、周囲から疎んじられる、いじめられっ子でした。貧困や病気にも苦しめられ、何をやってもうまくいかず、非行に走り、揚げ句の果てに凶悪犯罪に手を染めました。社会から疎外感を感じていた島が死刑囚となって拘置所に入って初めて、人の心の温かさを知りました。そして、短歌を通じて、人生の意味や生の尊さに気づいたんですよね。

○ある意味、皮肉ですよね。死刑囚になって初めて大切なものに出会えたわけですから…

 島は人を殺めてしまったという罪の意識にさいなまれ、ある時は死の恐怖におびえていたのですが、人生の最後で「短歌のよろこびを知って、私の人生は幸せだった」と記しています。国の法律によって命を奪われるわけですが、「死刑をたまわった」と、生への執着を持ちながらも、最後はそういう心境にたどりつきました。

○短い生涯とはいえ、死刑確定後の5年間で人生の意味を見出し、島は人生を生き抜いたということですかね。

 そうですね。島の人生が「遺愛集」として結実し、島は死んでいくわけです。生きた証として、600首以上の短歌を詠み、それが歌集として残りました。空穂は「遺愛集」に題字と序文を寄せ、「秋人の生命もその作をとおして息づきゆくことと信じられる」と記しています。尊敬した師と愛された若い歌人が一体となってできた歌集ですね。

○被害者や遺族の方が実際に存在するのですが、島は死刑囚になったから幸せになれたということが逆説的に言えるのでしょうか。

 そうかもしれません。ただ、どんなにいい短歌を作ったからといっても、強盗殺人という凶悪な罪が減じられるわけではありません。番組を作る上で、島の残した短歌はすばらしいけれど、島の人生を賛美するものにはしたくはありませんでした。

○人間の再生の物語、人間賛歌の物語ではありますよね。

 島は処刑の日の朝に初めて被害者にお詫びの手紙を書きました。自分の犯した罪に対して罰を受けるそのときでなければ、本当の意味でのお詫びにならない。いくら言葉を尽くそうと自分の命を差し出すときでなければ、被害者に詫びたことにならないと。処刑の朝に“最初で最後のお詫び”を島は書くわけです。

○最後に一言。

 この番組は企画・構成を担当した山口慶吾さんが62歳、撮影・編集をしてくれた梨子田眞さんは58歳、そして私が56歳と、シルバー世代が作った番組です。スタッフに恵まれて、大賞をいただくことができました。これからもこの3人のトリオで番組を作っていきたい。
 今は若い頃のパンチ力はないかもしれないですが、若い頃と変わらない志でがんばっていきたいです。若手も育ってきていますが、中高年もがんばるぞっ! という心意気を示したいですね。


(インタビュー後記)
 年末の慌しい時に宮尾さんにインタビューの時間をいただいた。初対面の宮尾さんの印象は、非常に紳士的で誠実。コメントも明瞭で、含蓄に富み、人間への興味、深い洞察が表れていた。「この歳で番組制作に携われることに感謝したい」と番組作りに真摯に取り組む姿勢が感じられた。人生の円熟期を迎えた宮尾さん、山口さん、梨子田さんのシルバー世代トリオが今後、どんな番組を見せてくれるのか楽しみだ。今度、一杯飲みながら聞いてみたいと思った。


<大賞受賞作品『われに短歌ありき〜ある死刑囚と窪田空穂〜』(長野放送)の内容>


 うす赤き冬の夕日が壁をはふ死刑に耐へて一日生きたり

 この短歌の作者は死刑囚である。本名・中村覚ペンネームを島秋人といった。昭和34年、故郷・新潟で強盗殺人の罪を犯して極刑を言い渡され、昭和42年、33歳で刑を執行された。
 島は獄中で、犯した罪の深さに向かい合い、逃れられない死の恐怖と対峙しながら、短歌を詠み続けた。凶悪な罪を犯したその同じ人間が紡ぎ出した歌の数々は、今も読む人の心を揺さぶらずにはおかない。
 島に短歌の才能を見出し、励ましつづけたのは長野県松本市生まれの歌人・窪田空穂だった。およそ40年前、二人の間に短歌を通した心の交流があった。その未発表往復書簡が去年、新たに発見され、昨秋、初公開された。書簡で島は、短歌に出会えた喜びをつづっている。その一方、死におびえる島に、空穂は「歌を作りなさい。死ぬことのいやなのは、人間の本能の最も大きいものだ。万人共通の情だ、裸になってそれを表現しなさい」と励ました。
 二人の師弟関係は、空穂が選者を務める新聞の「歌壇」に島が投稿したのがきっかけ。二人の間には5年間にわたって頻繁に手紙やはがきが交わされていた。子供の頃の島は、病弱で学校の成績も悪く、周囲からも疎んじられる存在だったが、空穂の温かい励ましと指導によって、心を素直に表すことができるようになり、秘められていた短歌の才能を開花させていく。
 死に直面しながら苦悩する島の周囲には空穂のほかにも、善意と人間愛に満ちた人々がいた。当時、女学生だった前坂和子さんは、島の短歌に心を打たれて文通を始め、面会に訪れては、四季折々の花を差し入れて、島の心を和ませた。
 宮城県の千葉てる子さんはクリスチャンで、島に信仰の道に入ることを勧め、角膜や遺体を献納したいという島の願いをかなえてやるため、養母となった。
 そうした人々との交流によって、島は人間的な成長を遂げ、生きることの意味を見出していったのだった。処刑が翌日と決まって、島が遺した最後の歌――。

 この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し

 処刑の1ヵ月後、「遺愛集」と名づけられた島の歌集が出版された。獄中での歌640首をおさめた「遺愛集」には、空穂が題字と序文を寄せた。
 一冊の歌集を遺して世を去った青年死刑囚について空穂は「秋人君のこの何年間も持ちえたものは、自身の思念のみであった。この思念は自己の生を大観するものとなり、極悪事の反省となり、悔悟となり、死をもっての謝罪となり、その最後が、現在の与えられている一日、一日の短い生命の愛惜となり、そして作歌となって来たのである。『遺愛集』は将来にも生き、秋人の生命もその作品をとおして息づきゆくものと信じられる」と記している。
 番組では、短歌に救いを見出した死刑囚と歌壇の重鎮との間に交わされた往復書簡やふたりを知る人たちの証言などをもとに、刑務所の高い塀を越えて、どのような心の通い合いがあったのか、人生のどん底にまで落ちたひとりの人間を変貌させたものは何だったのかを探る。

 ひとりの死刑囚の生涯は、人間の限りない可能性、教育の大切さ、命の尊さを考えさせる。

<大賞受賞作品のスタッフ>

 語り 渡辺美佐子(女優)
 出演 浅沼晋平(俳優)ほか
 朗読 上小牧忠道(長野放送アナウンサー)
 音響効果 プロジェクト80
 撮影/編集 梨子田 眞
 企画/構成 山口慶吾
 ディレクター・プロデューサー 宮尾哲雄
 制作著作 長野放送

2007年1月10日発行「パブペパNo.07-007」 フジテレビ広報部