FNSドキュメンタリー大賞
第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品

『新民先生〜日中友好の架け橋〜』

(制作:テレビ宮崎)

<11月18日(土)深夜3時15分〜4時10分放送>

 2006年11月18日(土)深夜3時15分〜4時10分放送の第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『新民先生〜日中友好の架け橋〜』(制作:テレビ宮崎)は、太平洋戦争中、強制連行された中国人を救った一人の日本人の人生をたどりながら、これからの日中友好と国際平和を考える。

<企画概要>

 太平洋戦争中、日本政府・軍は戦争で不足した労働力を補うため、中国大陸において約4万人の中国人を拉致し、日本へ強制連行した。宮崎県北方町と日之影町にまたがる槇峰鉱山でも240人の中国人が強制労働を強いられた。高温多湿の坑内での長時間労働、劣悪な食事のもと10ヵ月の間に67名が死亡…。しかしその中で、中国人を助けた日本人通訳がいた。彼の名前は新名言志。上海の大学に在学中、日中友好の思想を学び、実際に中国人を助けた。中国人を救った一人の日本人の人生をたどりながら、これからの日中友好と国際平和を考える。

<番組内容>

 宮崎県の北部、延岡市北方町と日之影町との境に位置する旧・槙峰鉱山。地元の住民はかつて繁栄した過去を自慢気に語る。しかし、地元の住民が決して口に出さない隠された過去があった。
 第二次世界大戦末期の昭和20年冬、ある貨物列車が槙峰駅のホームに滑り込んだ。中にはすき間のないほど詰め込まれた中国人の集団240人。彼らは中国から連れてこられた強制労働者だった。
 昭和17年、日本政府は戦争で不足した労働力を補うため、中国人を日本に移入させることを閣議決定した。軍は中国大陸において約4万人の中国人を拉致し、敗戦まで日本国内135の事業所で過酷な労働を強制し、7,000人以上が死亡した。槇峰鉱山では240人の中国人が強制労働を強いられ、高温多湿の坑内での長時間労働、劣悪な食事のもと10ヵ月の間に67名が死亡した。
 強制連行者の出身地である中国山東省禹城には何人かの生存者がおり、悲惨な事実がある一方、強制連行された中国人をかばった日本人がいるという事実もあった。彼らはその日本人のことをこう言った。−「新民先生」−。敵国民として憎しみ合っていたあの時代、中国人をかばうこと自体「非国民」的行動であった。「新民」という日本人はなぜそのような行動をとったのか?
 「新民先生」は当時槙峰鉱山に通訳として勤めていた新名言志という人物であった。彼は上海に設立されていた「東亜同文書院」という大学の学生で、新名は学生時代を中国上海で過ごしていたのだ。
 「東亜同文書院大学」は当時の第一高等学校(現・東京大学)などと肩を並べるエリート校。占領下の中国で商業・経済のエリートを養成する学校だったのである。新名は昭和18年、第44期生として入学し、広大な中国大陸へと雄飛した。
 占領下の上海は欧米列強が租界を形成し、戦時中の貧しい日本とは比較にならない大都会であった。広大な風景にぼう然とする新名。そして驚いたのは占領下の日本軍の態度であった。中国人から略奪を繰り返し、中国人を叱咤する。その姿は「聖戦」といわれている国内の雰囲気とは全く違うものだった。やがて新名は戦争そのものに対し疑問を抱くようになる。新名は日中の共存を唱えた革命家・孫文の墓「中山陵」でこう叫ぶ。
 「中山先生。戦禍の中国を如何に思うや 意味のない戦争」
 やがて新名は仲間とともに卒業旅行へ出発する。それは大学の履修過程のひとつ「大旅行」であった。新名は日本軍の最前線へ行きたいと提案。それが後に悲劇を生んだ。友人の一人が中国軍に殺されたのだ。新名は大好きな中国人に殺されるという戦争そのものの矛盾を抱きながら友人の遺骨を手に日本へ帰国した。
 中国への思いが募る新名にある依頼が舞い込んだ。それは槙峰鉱山での通訳の仕事であった。久しぶりに出会うことができる中国の人々。新名は期待を抱き槙峰鉱山へと向かった。しかし…新名の眼前にはやつれた中国人が次々と運ばれてきたのである。新名は通訳という限られた仕事の中で中国人の待遇改善に努力した。生存する中国人強制連行者はこう言った「彼は一緒に遊んでくれた」「水を与えてくれた」と。
 戦後、日本人と中国人の立場が一変、全国各地では中国人の暴動が相次いだ。しかし槙峰鉱山は平穏だった。中国人は言った。「新民と一緒に鉱山水を飲んだ」と。
 インタビューを受けた中国人の一人が別れ際、ある歌を唄う。それは当時中国で大ヒットした歌謡曲「何日君再来(いつの日君帰る)」。強制連行された日本で新名が教えてくれた歌だった。それは強い中国軍の再来、日本の敗戦を願う歌であった。

<ディレクター・馬原弘樹コメント>

 戦時中、敵国である中国人を救った日本人がいた。その事実を知った私は驚きました。「新民先生」とは一体どんな人物だったのか、彼への疑問解明がまさに番組の出発点でした。戦後61年が経過した今年、日本と中国の間にはいまだ超えられない「壁」があることは事実です。しかし一人一人の考え方で悲惨な歴史は越えられる。自らも「新民先生」に教えられた旅でした。日中の友好を60年以上前に実践した新民先生の勇気・志をぜひ若い世代の日本人に視聴してほしい作品です。


<番組制作スタッフ>

 ナレーター 岡本嘉子
 撮影・編集 立光正明
 音声 泉岡浩明
 音響効果 作田真由美
 MA 清山 慎
 タイトル 掘北益加
 美術 緒方成治
 映像アドバイザー 鬼塚 寿
 ディレクター 馬原弘樹
 プロデューサー 赤塚 剛
 制作 弥勒 猛

 制作 テレビ宮崎

2006年11月15日発行「パブペパNo.06-395」 フジテレビ広報部