神の魚に魅せられ、情熱を傾ける人々の姿を通して、 「ハタハタ」の持つ特別な意味合いとは何かを解き明かすドキュメンタリー
第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『来たどハタハタ 待ちこがれた神の魚』
(制作:秋田テレビ)
<11月11日(土)深夜2時45分〜3時40分放送> |
11月11日(土)深夜2時45分〜3時40分放送の第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『来たどハタハタ 待ちこがれた神の魚』(制作:秋田テレビ)は、神の魚ハタハタに魅せられ、情熱を傾ける人々の姿を通して、「ハタハタ」の持つ特別な意味合いとは何かを解き明かす。
<企画概要>
乱獲という過去の過ちを後悔しながら、ハタハタを追って荒波に立ち向かうベテラン漁師とその跡を継いだ長男。資源を育て、守ろうとする研究者。そして、新たな需要の開拓に向け、ハタハタを原料とした加工品の開発、普及に乗り出した仕掛け人…。
関わり方は違えども、神の魚に魅せられ、情熱を傾ける人々の姿を通して、「ハタハタ」の持つ特別な意味合いとは何かを解き明かす。
<番組内容>
「秋田名物 八森ハタハタ 男鹿で男鹿ブリコ…」…これは民謡「秋田音頭」の一節。
秋田名物の筆頭にあげられるほど秋田県民なじみの魚「ハタハタ」は、平成14年12月6日「県の魚」に定められた。
ハタハタが獲れる11月下旬から12月上旬は、雷が多い。急激な雷鳴を大和言葉で「霹靂神(はたたがみ)」と言い、それが訛ってハタハタと呼ばれるようになったという説がある。それゆえハタハタは、漢字で書くと「鰰」と表したり、「(魚へんに雷)」と表したりする。冬になると産卵のため大群をなして沿岸に押し寄せ、人々に恩恵を与えてきたハタハタは、文字どおり神の魚だった。冬が訪れ、雷が鳴り出すと秋田の人は「そろそろハタハタが来るな」と心待ちにするのだ。
独特の粘りと食感があるハタハタの卵の塊「ブリコ」を好む人も多い。シンプルな塩焼きからハタハタなどを原料にした魚醤「しょっつる」で味付けしたしょっつる鍋、ご飯と麹のほかニンジン、フノリなどを入れて漬け込んだ寿司ハタハタなど郷土色豊かなハタハタ料理の数々。ハタハタなしでは正月が迎えられないと言われるほど冬の秋田の食卓には、欠かせない食材となっている。
冬の秋田の風物詩「季節ハタハタ漁」や稚魚の放流など資源確保のための取り組みは、これまでに何度もニュース取材されてきた。しかし、なぜ、ハタハタが秋田の人々をこれほどまでに夢中にさせるのか、理由がいまひとつ分からなかった。番組は、まずはハタハタについての生態、歴史をひも解くことから始まる。
ハタハタはスズキ目ハタハタ科に属し、大きな口とウロコがないことが特徴。オスは体長が4センチを超すと泌尿生殖突起、いわゆる男性のシンボルがはっきりと確認できる。番組では性別の見分け方から、生息分布、ハタハタが産卵のため接岸する日の算定方法など科学的な見地から紹介している。
歴史も古く、ハタハタが食べられるようになったのは江戸時代より前と言われている。江戸時代後期に秋田を旅した民俗学者・菅江真澄は、次のように書き記している。「鰰という魚は、冬の空かき曇り海の荒れて荒れて、なる神などすれば、喜びて、群りけるとぞ。しかるゆえにや、世に、はたた神という。さるゆえんあらん。此あたりは冬に入て、なる神たびたびせり。南の国とは異なる空なり。文字の姿も魚と神とは並びたり」。慶長年間(1596〜1615)の文献にもハタハタの名は登場し、献上品としてもおよそ200年にわたり秋田の特産品を代表してきた歴史を持っている。
最盛期の昭和40年代には2万トンを超す漁獲量を記録。しかし、開発による海洋環境の変化や乱獲によって数が激減。平成3年には、過去最低のわずか70トンにまで漁獲量は落ち込んだ。魚を獲るのは漁師の本能と言えるが、市場での値段の暴落を防ごうと捨ててまで獲った時代のつけが回ってきた。目先の利益に目がくらんだ人間の愚かさにハタハタはまるで天罰を下したかのようだ。
こうした事態を受けた全面禁漁の決断。「ハタハタ」で生計を立ててきた漁師たちは、身を切るような思いを強いられた。絶滅の危機から脱するため秋田県の研究機関は、ハタハタの人工授精、稚魚の放流など資源回復に向けた取り組みを続けている。漁師も卵をたくさん産み付けてくれるようにと使い古しの網に海藻を巻きつけて海に設置、人工の産卵場を作った。また、漁業関係者が総出で浜辺に打ち上げられた卵の塊「ブリコ」を海に返す試みもここ数年行われている。
秋田県では八森町(現在は峰浜村と合併して八峰町)と男鹿市などがハタハタの産地として知られる。番組では県内屈指の「季節ハタハタ」の水揚げを誇る男鹿市北浦を舞台として喜怒哀楽に満ちた漁師たちの営みを追った。50年以上、海を仕事場としてきたベテラン漁師の戸嶋貴。跡継ぎの長男・貴之を含む5人の漁師の親方として季節ハタハタ漁を仕切る。漁が解禁された後は、番屋を生活の拠点としながらハタハタが接岸するのをひたすら待つ。時折、海をじっと見据える戸嶋の表情からはハタハタを待ちわびる気持ちが伝わってくる。
時化がハタハタを沿岸まで連れてくる。しかし時には時化が災いとなることもる。1ヵ月ほどかかってようやく作り上げた新品の網が時化で流されることも。それだけにさまざまなトラブルを乗り越えて初めての水揚げに至ると感動もひとしおである。多くの時間をともに過ごしていくうちに戸嶋の人間性と漁師哲学に引き込まれていく。厳しい世界ゆえ跡は継がせたくなかったと語る反面、漁師の仕事を選んだ長男にハタハタ漁の醍醐味を教えようとする戸嶋の姿を通して、ハタハタ漁が脈々と受け継がれていくことを確信させられる。
一方、新たな課題が突きつけられていた。3年間の禁漁期間を経て、ハタハタ資源は次第に回復。当初は高級魚として庶民には縁遠い存在だった「ハタハタ」も再び大衆魚として市場に出回るようになった。しかし、取材の過程で食生活の多様化などから消費が伸び悩むという新たな局面もあることを知ることになった。以前は、ハタハタの季節になると一般家庭でも箱買いして、漬け込んだものだったが、確かに現在はそういった姿があまり見られない。
獲るばかりでなく、新たな需要に結び付けようと秋田県漁業協同組合では、ハタハタを原料とした加工品の開発が着々と進められていた。試行錯誤を重ねながら作り出された商品は地元の学校給食のメニューとしても登場した。地元でとれたものを地元で消費する「地産地消」は、消費者と生産者の相互理解につながる取り組みとして注目され、ハタハタの新しい食べ方の提案が食べ物に対する興味を育て、食の大切さを学ぶ「食育」にもつながっている。一般の消費者のほか、食品業者などに対する売り込みも懸命に行われ、秋田で一番メジャーな魚を全国区に押し上げようと商品の改良と新商品の開発はこれからも続いていく。
今まで知らなかった生態。そして幾多の困難を乗り越えて待ちに待った初漁の瞬間に生まれる感動。さらには新たな味覚との出会い。ハタハタに身も心も奪われた冬。神の魚の魅力にとりつかれる冬がまたやって来る。
<ディレクター・相川努のコメント>
漁業、水産をテーマとした段階で船酔いの克服は避けられない課題となった。しかし、不思議と順応していくものだ。漁師たちの気概の中、荒波にもまれるうちに、カメラを携えた「にわか漁師」となっていた。
「ハタハタ」いうフィルターを通して人間を見た時、反省するべき過去があった。そして現在と未来…。ハタハタが神の魚として人々の心に息づいていくために人はどうあるべきなのか、何をすべきなのか…。自分自身が考えさせられるよい機会となった。
<番組概要>
◆番組タイトル |
第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『来たどハタハタ 待ちこがれた神の魚』(制作:秋田テレビ) |
◆放送日時 |
2006年11月11日(土)深夜2時45分〜3時40分 |
◆スタッフ |
プロデューサー |
: |
京野仁彦(秋田テレビ報道部) |
ディレクター |
: |
相川 努(秋田テレビ報道部) |
撮影・編集 |
: |
菊池誉啓(秋田テレビ報道部) |
音響効果 |
: |
加藤彦次郎 |
ナレーター |
: |
柳葉敏郎 |
制作 |
: |
秋田テレビ |
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2006年11月7日発行「パブペパNo.06-379」 フジテレビ広報部
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