FNSドキュメンタリー大賞
2003年4月に福岡地裁に提訴された薬害肝炎九州訴訟。全国で初めて原告の一人が実名を公表した。
薬害肝炎九州訴訟では、これまで5人の原告が実名を公表した。
多くの原告が匿名で闘う中、国や製薬会社を相手に矢面に立って闘う実名公表原告たち。
実名を公表することによって好奇の目にさらされることを甘受して闘うことを選んだ原告たちに密着する。

第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品

『実名公表―薬害訴訟原告の覚悟』

(テレビ西日本)

<6月17日(土)深夜3時20分〜4時15分放送>

 2003年4月に福岡地裁に提訴された薬害肝炎九州訴訟。全国で初めて原告の山口美智子さんが実名を公表した。それ以来、山口さんは薬害肝炎訴訟の顔として東奔西走した。孤軍奮闘する山口さんの姿を見て、九州訴訟では実名公表が相次いだ。それぞれの原告には公表の理由があった。裁判が進むにつれ、山口さんが裁判を闘う理由に「薬害のない社会を作りたい」との願いが込められていった。
 薬害肝炎九州訴訟では、これまで5人の原告が実名を公表した。多くの原告が匿名で闘う中、国や製薬会社を相手に矢面に立って闘う実名公表原告たち。
 6月17日(土)放送第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『実名公表―薬害訴訟原告の覚悟』(テレビ西日本)<深夜3時20分〜4時15分>では、実名を公表する事によって好奇の目にさらされることを甘受して闘うことを選んだ原告たちに密着し、その意味を考えた。

<取材のきっかけ>

 C型肝炎は全国で感染者が150万人とも200万人とも言われている病気だ。しかし、血液を介してうつるC型肝炎の感染者がなぜこれほどまでに多いのだろうか。その一端は、肝炎ウィルスに汚染された血液製剤によるものではないかとの報道が行われた。その報道を受け、全国で血液製剤を投与された患者が国や製薬会社を相手に損害賠償請求訴訟を提訴した。それが全国5つの地裁で係争中の薬害肝炎訴訟だ。
 2003年4月、薬害肝炎九州訴訟が福岡地裁に提訴され、一人の女性が実名を公表した。原告番号1番の「山口美智子さん」だった。山口さんは、1987年、熊本市の産院で次男を出産した時に血液製剤を投与され、C型肝炎に感染していた。彼女は全国で初めての実名公表原告となり、殺到する取材を受け、他の地裁で開かれる薬害肝炎訴訟の応援に行くなど東奔西走していた。山口さんが全国の薬害肝炎訴訟の「顔」となっていた。九州訴訟の提訴から半年、孤軍奮闘する山口さんの姿に同調した原告・小林邦丘さんが突然、実名公表を決めた。山口さんは、記者会見の席で「今まで自分が他の原告の意見を伝えなければならないと思ってきたが、これで少し肩の荷が下りた」と涙ぐんだ。山口さんが初めて自分の心情を吐露した瞬間だった。その時まで、実名公表のプレッシャーがどれほどのものなのか、自分は考えてもみなかった。多くの原告が匿名を貫く中、なぜ山口さんたちは世間の好奇の目にさらされ、病気に対する偏見や差別にも屈せずに実名を公表するのだろうか。それが、密着取材の始まりだった。

<番組のみどころ>

 山口さんに続き、小林さんが実名を公表して以来、九州訴訟では原告の実名公表が相次いだ。実名公表をした原告たちの理由はさまざまだった。山口さんと同じ産院で出産し、肝炎の闘病仲間だった出田妙子さんは、ニュースで山口さんを見て裁判に参加することを決意する。肝炎に感染する前はスポーツが大好きな女性だったが、病気になってから、スポーツはおろか、家事をするのにも時間がかかり、体調が悪い日が続いたという。「1本の注射によって人生を変えられた…」。その無念を晴らすために実名を公表して裁判に臨んだ。
 また、学生が熱心に支援運動をしている姿を見て、その姿に動かされたのは学生たちと同年代の福田衣里子さんだった。福田さんは子供の頃に血液製剤を投与されたが、二十歳になるまでは肝炎に感染していることも気付かなかった。母親の勧めで受けた肝炎検査でC型肝炎の感染を知ったのだ。それまでは高校時代に空手部に所属し、大学に入ってからはバッグパッカーになってヨーロッパを飛び回った。大学卒業後はパン屋になるのが夢だったという。しかし、慢性肝炎が悪化しパン屋になる夢を諦めざるを得なかった。C型肝炎について知ってもらおうと活動している福田さんは、学生たちの前で「国や製薬会社に重たい足かせをはめられて、ゆっくりと歩いている自分が、情けないです」とつぶやいて、涙を流した。  それぞれの原告は、山口さんと同じように全国を飛び回り、同じ薬害肝炎訴訟の原告を励ましたり、C型肝炎に関する講演会に参加するなど積極的に活動を始めた。実名公表原告たちによって、裁判を支援する人たちも増え、裁判への関心も高まっていった。
 実名公表原告の存在を印象付けたのは、1997年に和解という形で解決した薬害HIV訴訟だった。実名公表がなぜ必要だったのか。薬害HIV東京訴訟の原告・川田龍平さんは、その理由について、「病気への差別や偏見をなくしたいことももちろんだったが、裁判に勝つために世論を動かしたかった」と説明した。同じく薬害HIV大阪訴訟の原告・花井十伍さん「最も弱い者の武器は自分の身体そのものであって、自分自身を武器にするならば、実名公表は不可避なんだ」と語った。多くの仲間をHIVで失いながら、約7年の闘いの後、謝罪と和解を手にした薬害HIV訴訟の原告たちの言葉は、薬害訴訟の本質を物語っていた。
 裁判は証人尋問、本人尋問へと移っていった。裁判が進むに連れ、次第に山口さんの気持ちは変わり始めていた。裁判で勝つ意義は自分たちの被害の回復だけでなく、薬害のない社会を実現するためだと語った。毎年8月24日に行われる薬害根絶デーの抗議集会で、山口さんは厚生労働省に向かって叫んでいた。「私が実名公表をした理由は、子供たちの世代に薬害をなくしたいからなんです」
 サリドマイド、スモン、HIVと繰り返されてきた薬害と薬害訴訟。解決に長い時間がかかり、多くの被害者が自らの被害を繰り返して語り続けなければならなかった。薬害肝炎訴訟も一緒だ。もう二度と薬害を繰り返して欲しくない。その願いをかなえるため、薬害肝炎訴訟の原告たちは闘い続けている。

<制作担当者のコメント>

 およそ3年にわたって追いかけ続けた薬害肝炎訴訟。裁判取材の泣き所は、法廷内でのやり取りが映像で取材出来ないことでした。それでも折に触れ、実名公表原告たちは怒りをあらわにし、悲しみを口にしてきました。日々の取材では埋もれがちだった原告たちの言葉でしたが、あらためて伝える機会が与えられて良かったと思っています。


<スタッフ>

 制作 坂田正彦
 プロデューサー 小島 洋
 ディレクター 槌谷志保
 構成 徳丸 望
 ナレーション 田久保尚英
 撮影 馬場尚秀
松田雅孝
倉富信一
安澄直紀
 音声 姫野賢信
 編集 利光秀樹
馬場尚秀
 選曲・MA 新甫 宙
 制作著作 テレビ西日本

2006年6月2日発行「パブペパNo.06-186」 フジテレビ広報部