60年前、遠い南の海と空のはざまで何があったのか…。
若者たちは不条理な死を受けいれ、闇き沖縄の空へ飛び立った。
奇跡的に生還した高知海軍航空隊の練習機「白菊」の元特攻パイロットが沈黙を破り語った事実。
戦後60年の節目に「日本人と戦争」について考える。
第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『闇き南溟の彼方へ〜練習機「白菊」特攻隊〜』
(高知さんさんテレビ)
<10月26日(水)深夜3時18分〜4時13分放送> |
10月26日(水)深夜3時18分〜4時13分放送の第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『闇き南溟の彼方へ〜練習機「白菊」特攻隊〜』(制作:高知さんさんテレビ)では、太平洋戦争末期、沖縄をめぐる特攻作戦に投入された高知海軍航空隊の練習機「白菊」にスポットをあて、戦後60年の節目に「日本人と戦争」について考える。
<企画概要>
太平洋戦争末期、高知海軍航空隊の練習機「白菊」は沖縄をめぐる特攻作戦に投入された。鈍足非武装の練習機による夜間特攻。二重、三重の不条理の中で、祖国を守るため、愛する家族のため、16歳から25歳の若者たち52人が命を捧げ、次々と暗い南の空へ消えていった。彼らはどんなメッセージを残したのか。奇跡的に生還した元特攻パイロットの体験などをもとに、「白菊」特攻にスポットをあて、「日本人と戦争」を考える。
<番組内容>
【きっかけは海軍極秘資料】
旧日本海軍高知航空隊の沿革を調べていて、ハッとさせられる資料に巡り会った。防衛庁防衛研究所所蔵の「機密聯合艦隊告示」で、昭和20年8月15日の日付があった。
「軍極秘」と記されたその「布告」は、練習機「白菊」で沖縄海域の米艦隊に体当たり攻撃して亡くなった高知航空隊の若者たち42人を「悠久の大義に殉じた」と小澤治三郎司令長官名で讃えている。
茶褐色に変色したページをめくっていくと、当時22歳の少尉と18歳の飛行兵曹の名前に縦の訂正線が入り、うち一人には手書きで「生還」と添えられていた。
「この二人はひょっとすると奇跡的に生きながらえたのかもしれない」「もしいまも存命なら特異な特攻体験が聞ける」−想念のみがぐるぐると回転しながら肥大した。私たちの本格的取材はそこから始まった。
【奇跡の生還】
その特攻パイロットは生きていた。元海軍二等飛行兵曹、横山善明さん(78)を静岡県沼津市に探し当てた。
昭和20年5月27日夕、「菊水八号作戦第三次白菊攻撃隊」の八番機として鹿児島・鹿屋基地から出撃、数時間かかって沖縄海域に到達した。敵艦隊の対空砲火、夜間迎撃戦闘機の攻撃を突破して駆逐艦と見られる敵艦に狙いをつけた。しかし、超低空の攻撃だったため、ダメージを受けていた機体が体当たり寸前に横滑りして着水し、漂流しているところを米軍に救助された。ペアの偵察員・少尉、青木武さんも命長らえ、平成12年に亡くなるまで、戦後を生き抜いた。
初めてテレビのインタビューに応じてくれた元特攻パイロットは、寡黙な人だった。死ぬことへの覚悟のみ教え込まれた訓練の日々。捕虜になって垣間見た「民主主義」。特異な体験者であるにもかかわらず、子供や孫たちにも戦争の話はしないという。
本当に戦った者だけが守り通そうとした沈黙か、沖縄の海に眠る戦友たちへの遠慮か…。貴重な時代の証言として姿勢をただしながら映像と向かい合い、編集に当たった。
【歴史に回帰する前に】
高知海軍航空隊は、偵察要員の錬成を主目的とする練習航空隊だった。訓練に用いられた5人乗りの機上作業練習機は、「白菊」という優雅な秋草の名がついていた。
戦局の逼迫に伴い20年3月、特攻部隊が編成された。教官や隊員たちは敵艦へ体当たり攻撃するため猛訓練を積む。「白菊」は装備のほとんどを取り外され、燃料タンクを増設し、250キロ爆弾二個を搭載できるように改造を施され、特攻機に変身した。
特攻部隊は、「神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊」と命名され、この改造練習機「白菊」とともに鹿児島の海軍航空基地・鹿屋に進出、20年5月から6月にかけ、のべ5回にわたって沖縄作戦「菊水作戦」に投入される。
【不条理受け容れ沖縄へ】
「本土決戦のための時間稼ぎだった」ともいわれる沖縄を巡る絶望的戦闘。「白菊」特攻隊の若者たちは、何重にも張り巡らされた米艦船のレーダー警戒網と俊敏な動きをもった迎撃戦闘機群が待ち受ける沖縄海域へ飛び立っていった。
練習機「白菊」は、巡航速度約180キロと新幹線よりも遅い鈍足であるため、迎撃されたらひとたまりもない。敵に発見されにくいよう一機一機単独で、月明かりを頼りに、超低空の夜間攻撃を敢行した。
遙か南にあるという広大な海「南溟(なんめい)」。祖国を守るため、愛する家族のため…若者たちは次々とほの暗い南溟の空へ消えた。
もとより生還を期さない体当たりとはいえ、実用機による攻撃ならまだしも、「劣性能機」と呼ばれ、ほとんど戦果も期待できない練習機による特攻。二重、三重の不条理を受けいれ、16歳から25歳の青少年たち52人が命を捧げた。
【特攻の定説覆す証言も】
彼らはどんなメッセージを残したのか。3度特攻命令を受けながら生き残った元二等飛行兵曹、岩橋昭典さん(愛知県半田市在住)の体験を語ってもらった。「白菊」特攻隊の語り部とでもいうべき岩橋さんからは、特攻の定説を覆すような証言も得られた。
一般に、特攻作戦への練習機の投入は実用機不足を補完するものとされてきた。だが、一航艦主席参謀、故・猪口力平から聞いたという内容は戦争をリアリズムの世界に引き戻す。
「あれは決号作戦(本土決戦)に向けての試験特攻だった。(高知と徳島の)練習機100機を突っ込ませて成功率を調べたんだ」
戦争が終わって60年。戦後生まれは既に人口の8割近く、戦争を直接話法で語り得る世代は急に少なくなっている。戦争は確実に歴史物語の世界に回帰しつつある。
だが、いまの平和を確かめるためにも、やはりあの戦争は語り継がなければならない。
鎮魂と慰霊、遺族の思い。戦後60年の節目にあって、いまを逸すると失ってしまいかねない証言やエピソードをまとめながら、「日本人の戦争」を考えるドキュメンタリーとして構成した。
<制作者コメント>
「幼いころ、母方の実家に「白菊」特攻隊員が寝泊まりしていたという話を聞いた。礼節をわきまえた立派な若者たちだったという。すべての特攻隊員がそうであったように、「白菊」の若者たちも日本という国家を抱え込んで米艦隊に突っ込んだと思う。私にとって、このテーマを選んだのは必然的な運命の糸にたぐりよせられた結果だ。」(企画・構成担当 鍋島康夫(高知さんさんテレビ報道制作局)
<番組概要>
◆番組タイトル |
: |
『闇き南溟の彼方へ〜練習機「白菊」特攻隊〜』 |
◆放送日時 |
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10月26日(水)深夜3時18分〜4時13分放送 |
◆スタッフ |
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語り |
橋口浩二(あのハルウララを世に売り出した高知競馬実況アナ) |
音楽 |
勝田佳代(音楽工房KATSUTA主宰) |
監修 |
三国雄大(神奈川県在住・下士官の特攻を主題に著述活動) |
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撮影・編集 |
吉田卓史 |
取材 |
大井清孝 明神康喜(さんさんテレビ報道部) |
映像処理 |
服部淳一(さんさんテレビ報道部) |
企画・構成 |
鍋島康夫(さんさんテレビ報道制作局) |
制作 |
高知さんさんテレビ |
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2005年10月21日発行「パブペパNo.05-356」 フジテレビ広報部
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