FNSドキュメンタリー大賞
戦前の日本が国策として進めた「満州開拓移民」。
その成功例として、国が広くPRした長野県の旧・大日向村。
歴史に翻弄され、苦難の人生を送った
大日向の人々の戦前、戦後の足跡をたどる。

第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『大日向開拓物語−「満州」そして軽井沢』

(制作:長野放送)

<9月2日(金)3時30分〜4時25分放送>
【9月1日(木)27時30分〜28時25分】

 9月2日(金)3時30分〜4時25分【9月1日(木)27時30分〜28時25分】放送の第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『大日向開拓物語−「満州」そして軽井沢』(制作:長野放送)では、戦前に日本が国策として進めた「満州開拓移民」で、モデル例とされた大日向村(おおひなたむら)。苦難の人生を送ったの大日向の人々の戦前、戦後の足跡をたどる。

<企画意図>

 戦前の日本が国策として進めた「満州開拓移民」で、国によって先導的な役割を担わされた小さな村があった。長野県の旧・大日向村(おおひなたむら)、現在の佐久穂町大日向地区である。
 大日向村は戦前、村を二分して中国東北部に移住する「分村移民」を国内で初めて実施。国はこれを「満州開拓」の成功例として広くPRし、移民を奨励したのだ。
 番組では、大日向の人々の戦前・戦後の足跡をたどる。
 その歩みは数奇で、苦難に満ちているが、同時にそれぞれの時代の「日本の姿」を映し出しているようでもある。

<番組内容>

 長野県の旧・大日向村(おおひなたむら)は1938(昭和13)年、村を二分して移住する「分村移民」を全国で初めて本格実施し、「満州大日向村」をつくった。当時の村の指導者たちは「不況で現金収入が少なく、耕地が少ない山あいの寒村では全村民が食べていくだけの食糧が得られない。村人を養うには人間を減らさなければいけない」と考えたのだ。
 一方、国は当時、「満州開拓移民」を国策として推進しようとしていた。大日向村の「分村移民」は、そのためのモデル例にされた。国は現地・中国の人から農地を半ば強制的に買い上げ、移民した大日向の人々に与えた。現地の人々は日本人の小作人として働かなければならなくなった。「開拓」とは名ばかりで、人々は知らないうちに‘侵略のお先棒’を担がされていたのだ。大日向地区の古老の一人は今、悔恨の念を込めて語る。「当時の生活はとても楽だった。強制的に買い上げられた農地とは知らなかった」と。
 さらに国は「大日向村」を満州開拓の成功例として、さまざまなメディアを使ってPRし、移民を奨励した。しかし、後に続いた多くの開拓移民団はソ連国境に近い「北満」に送り出され、そのことがさまざまな敗戦後の悲劇につながっていったのだった。
 1945(昭和20)年8月の日本の敗戦で、穏やかに見えた大日向の人々の生活は一変する。村は外部からの襲撃を受け、20人以上が死亡した。その後、旧満州国の首都「新京」、現在の長春に移動したが、冬の寒さと極度の食糧不足からおよそ350人が死亡。犠牲者は村民のおよそ半数にのぼった。
 やっとの思いで帰国した人々だったが、すでに故郷の旧大日向村に住む場所はなかった。このため65世帯165人が1947(昭和22)年2月、浅間山麓の軽井沢町に入植。地区を再び「大日向」と名付けて開拓を始めた。衣・食・住、すべてに事欠く苦しい生活だったが、全員が団結して作業にあたった。深い林を人力で切り拓く、それこそが文字通りの「開拓」だった。国からの借金を返済し、土地を自分のものにすることができたのは1955(昭和30)年。「もはや戦後ではない」と言われ始める頃だった。
 しかし、日本の経済成長とともに、大日向もその姿を変え始める。軽井沢は日本を代表するリゾート地として発展。大日向の住民の多くが農業をやめ、観光業や建設業に転身した。現在、専業農家は1軒だけ。せっかく切り拓いた農地の多くは今、別荘地や耕作放棄地に変わってしまった。

 「満州大日向村」で子ども時代を過ごし、敗戦後に軽井沢での開拓を経験した人々は現在、主に70歳代になっている。彼らが自分たちの村の「満州開拓」の実情を知ったのは戦後のことだった。
 そうした経験を持つ大日向地区の2人が2005年5月、中国・吉林省の「満州大日向村」の跡を訪問した。おりしも中国で反日デモが吹き荒れた直後。2人の胸中では、子ども時代の懐かしさや、肉親を失った悲しい思い出、さらには「自分や自分の親たちが現地の人に迷惑をかけたのではないか。申し訳ないことをした」との思いが交錯した。2人は当時を知る人を探した。長い年月が経ち、もはや無理かと思われたその時…、そこに意外な出会いが待っていた。
 一方、軽井沢町大日向では、戦後生まれの住民が地区の歴史を伝えようと記念館を開設し、高齢者への聞き取り調査を始めている。

<義家竜彦ディレクターのコメント>

 「耕地が狭く村人を養うことができないので、村の半分を中国に移住させる」という計画は、戦後生まれの私たちには‘荒唐無稽’としか思えません。それによって中国の人々への迷惑はもちろんのこと、村の人々がその後、いかに過酷な人生を送ることになったのか、いかに多くの別の悲劇が生み出されたかを考えると、ため息が出るばかりです。
取材では、「被害者」「加害者」と割り切って語ることのできない難しさを感じ、悩みました。
 聞き取り調査をしている大日向地区の住民は、「普段は笑顔の、身近なおじいちゃん、おばあちゃんが、こんなにも苦労していたことを初めて知った。敬意さえ感じる」と語っていましたが、私たちも同じ気持ちです。
 この番組を通して、このように数奇な歴史があったこと、歴史に翻ろうされ、苦難の人生を送った人がいたことを多くの方に知っていただきたいと思います。そして、その人々の今の思いが伝わればと思います。


<番組タイトル> 『大日向開拓物語−「満州」そして軽井沢』
<放送日時> 9月2日(金)3時30分〜4時25分【9月1日(木)27時30分〜28時25分放送】
<スタッフ>
 プロデューサー 片山 健(長野放送)
 ディレクター 義家竜彦(長野放送)
 構成 山口慶吾(長野放送)
 ナレーション 小山菜穂子(C&Cハーモニックス)
 撮影 吉川勝義(長野放送管財)
水内通晴(ビデオ企画)
 編集 梨子田眞(ビデオ企画)
 EED 北沢 洋(メディア工房)
 MA 矢島善紀(長野トップ)
 制作 長野放送

2005年8月26日発行「パブペパNo.05-269」 フジテレビ広報部