少年A事件の被害者には2歳上のお兄ちゃんがいた。
凄惨な事件から7年。 この春大学生になった巧さんが、初めてカメラの前で語った…。
第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『罪の意味−少年A仮退院と被害者家族の7年−』
(制作:関西テレビ放送)
<12月5日(日)3時45分〜4時40分放送>
【12月4日(土)27時45分〜28時40分放送】
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関西テレビ放送制作、第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品『罪の意味−少年A仮退院と被害者家族の7年−』<2004年12月5日(日)3時45分〜4時40分放送>では、少年A事件の被害者の2歳上の兄である巧(さとし)君が、事実上公的支援もないまま事件からの7年間を被害者の兄としてどう考え、どう生きてきたのかを追う。
<あらすじ>
1997年5月。神戸市須磨区の中学校で、行方不明になっていた小学6年生の土師淳君(11)が、変わり果てた姿で見つかったあの事件から、7年が経たった。
切断され傷つけられた遺体、そしてそこに添えられていた「酒鬼薔薇聖斗」と書かれた挑戦状。猟奇的な犯行に、日本中が震撼した。さらに世間を驚愕させたのは、逮捕された容疑者がまだ14歳の少年だったということだった。
亡くなった淳君には、2歳年上の兄、巧(さとし)さんがいた。
事件当時、巧さんは中学2年生、13歳。しかも、事件の現場となったのは当時通っていた中学校、加害者は、同じ中学の上級生だった。
“一緒の部屋で寝て、一緒の部屋で勉強していた弟”が、突然殺されたことで、巧さんの人生は大きく変わってしまった。
事件により、友達との関係も壊れた。「弟を殺された人」という視線が付きまとい、友達と何を話せばいいのか、わからなくなったという。「何も理解してもらえないという壁を感じた…」。学校に行くことが耐えられなくなり、通うことができない状態が続いた。
淳君の父、守さんは、被害者の権利の確立を求める“全国犯罪被害者の会”に参加しており、被害者を無視している際たるものが少年事件だと話す。「被害者が刑事裁判に参加できないのはおかしい」と訴えて署名活動をしている。
加害者の「少年A」が精神科医らで結成された“特別処遇チーム”によって更生が図られている一方で、巧さんに公的支援はなかった。遠くの高校へ父が車で送る日々が続いた。
高校卒業から2年を経て、巧さんは、この春大学生になった。
以前は、父の姿に「法律は正義ではない」と冷ややかだったが、最近は“全国犯罪被害者の会”の活動にも顔を出すようになった。
そして、巧さんは、この7年間の苦しい胸の内を、はじめてカメラの前で語ってくれた――。
<制作者の思い:関西テレビ報道部ディレクター 柴谷真理子>
加害者は名前も変え、立ち直るためにいろいろな支援もある。しかし、巧さんは、土師という名前が消えることもなく、支援もなく、自分の力を振り絞って生きてきた。そのことに、疑問を感じたことが取材のきっかけであり、事件の被害者がどのような思いで7年間を生きてきたのかを、番組を通して訴えたかった。
<番組タイトル> |
第13回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 |
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『罪の意味−少年A仮退院と被害者家族の7年−』 |
<プロデューサー> |
杉本真一 |
<ディレクター> |
柴谷真理子 |
<ナレーション> |
山本太郎 |
<撮影> |
関口高史 |
<音声> |
長谷川周作 |
<編集> |
野上隆司 |
<制作著作> |
関西テレビ放送 |
2004年11月25日発行「パブペパNo.04-383」 フジテレビ広報部
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