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第66回 2003年10月19日 「パルマンティエ」![]()
ピカルディ地方はフランスの中でもジャガイモ生産が盛んな場所。
中でもモンディディエという町はその昔、 フランスに初めてジャガイモを伝えた農学者・パルマンティエが生まれた場所。 フランス料理の名に「パルマンティエ」という名前が付くと、 その料理には必ずジャガイモが使われるほど、その名はフランスで知られている。 |
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![]() ![]() パルマンティエがフランスにジャガイモの苗を持ち込んだ経緯について、この場を借りてもう少し詳しく説明したいと思います。 まず、そのきっかけとなったのが、1769年と1771年の2回に渡りヨーロッパを襲った大凶作でした。この時、フランスでは、飢饉の際、小麦に代わる事のできる食べ物を賞金付きで募集し、その時に応募した7人の中にパルマンティエがいたのです。もともと農学者であるパルマンティエは薬局を経営して暮らしていたのですが、以前、軍人としてドイツにいたフランス軍に所属していた事があり、何度かプロシア軍の捕虜になった経験もありました。そんな時、初めて知ったのがジャガイモの味でした。彼は、5度も捕虜となりながら、その都度ジャガイモを食べて生き延び、栄養があって保存も効くジャガイモの価値を、身を持って知っていたのです。パルマンティエの提案を採用したフランス政府はルイ16世の援助もあり栽培を奨励しました。しかし、まだこれは、王侯貴族の間での出来事。ジャガイモ栽培を一般庶民の間に広げたい。そう思ったパルマンティエはある作戦を立てました。まず彼は、収穫期が近づくと畑に看板を立てました。その看板には「これはジャガイモと言い非常に美味で栄養に富むものである。王侯貴族が食べる物につき、これを盗んで食べた者は厳罰に処す」と書かれ、昼は大げさに看守をつけて見張らせる事にしたのです。これを見た農民は、逆に非常に関心を持ち「そんなに美味いものなら盗んで食べてみよう」と噂になり、真夜中、看守の目を盗んでジャガイモを掘り出してしまう農民が現れたというのです。ところが、その深夜のイモ泥棒を見て見ぬふりをするよう指導していたというのが、このパルマンティエ。わざと気を引くような看板を立てて皆が関心を持つようにしていた訳です。このアイデアが功を奏し、以後、ジャガイモの普及に拍車がかかり、一般の農民の間でもジャガイモが栽培されるようになると、やがてその評判はフランス中に知れ渡っていったのでした。実は、それ以前にも、一度ジャガイモがフランスに持ち込まれた時期があったそうですが、これを食べた人が皆、お腹の具合を悪くして、その時は普及しなかったとの事。きっと、その時はジャガイモの芽も何も皆食べてしまったのでしょうが、後に、フランスの土地に合うように改良し、栽培を成功させたパルマンティエは、今のフランスの食生活に大きな影響を与えた人物のひとりと言って良いと思います。ちなみに現在、フランスのジャガイモ料理では、パルマンティエの名前がジャガイモの代名詞として使われています。例えば、番組で紹介した「アッシ・パルマンティエ」、他には「パルマンティエ風オムレツ(ジャガイモ入りオムレツ)」「パルマンティエ風ポタージュ(ジャガイモのポタージュ)」など。フランスでは、こういう形で、今も彼の功績を称えているという訳です。 |
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「アッシ・パルマンティエ」![]() |
<作り方> [1] ジャガイモを茹でた後、皮をむき、細かく潰す。 [2] 生クリーム、バター、塩を入れて味付けし、クリーム状になるまで混ぜる。 [3] フライパンで牛挽き肉、タマネギを炒め、ブイヨンを入れる。 [4] [3]の挽き肉を大皿に入れた上に[2]のジャガイモを乗せ、平らにならす。 [5] 180度のオーブンで30分間焼き上げる。 |
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![]() CHARCUTERIE ROTROU SARL 住所:4 bd Debeney 80500 Montdidier TEL:03 2278 0246 FAX:03 2278 3884 CONFRERIE DES CHEVALIERS DE PARMONTIER 住所:12 rue Albert ler 80500 Montdidier TEL:03 2298 0253 |
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![]() 「A'LOCCASION TU SOURIS」 coralie clement 作詞/作曲:Benjamin BIOLAY レコード会社/CD NO:capitol records/7243 5 35489 2 6 |
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