アナマガ

どちらかというと シッカリ書きたい人のためのコーナー 10年以上の渡り、続いてきたアナルームニュースの中で 好例の連載企画を「コラム」という形で集めました。 個性あふれるラインアップ!ブログとはひと味違う魅力をお楽しみください!

アナルームニュース 2009年01月27日号

いい加減でいこう! ~アクセントは最初の「い」に~ Vol.9 ゲージツの冬・パフォーマンス 前編

アナウンス室にある私のデスクの左隣は、先輩アナの桜庭亮平さんです。



この間、桜庭さんにこう言われました。


「デラ(奥寺)は、年に一回くらい、“いっぱいいっぱい”になる時期があるよね。」
確かに1年前のこの頃、アナウンサーによるDVD『アナウンサー自作自演』の制作で、私は奔走していました。今の仕事はその時と違いますが、“いっぱいいっぱい”なのは、桜庭さんの言うとおりでした。


“いい加減でいこう“前回の続きです。


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12月1日(月)午後。都内JRの駅から早足で5分、近代的なビルの9階にあるオフィスのフロア。明るいグレー系の色をベースにスケルトンを要所に配するスマートなパーティションで仕切られたスペースに、私は通されました。
女優・加藤紀子さんと私はここで、朗読劇「Love Letters」たった1度の稽古を行いました。
訳(原作は英語)・演出の青井陽治さん指導の下、合計6時間。


物語の流れはこうです。

舞台は19世紀のアメリカ。芸術的な才能にあふれ、その自由な自分をもてあまし気味に振る舞う女性メリッサ。手紙を書くことが大好きな男性アンディー。幼馴染の二人が思春期を迎え、そしてそれぞれの道を歩みながらも、互いに特別な感情で惹かれあう・・・。

まず、この作品に盛り込まれた人名や地名、アートなどが暗示するもの、時代背景、ジョークなどの説明がありました。


「LOVE LETTERS」は、これまで360あまりのペアの出演者が舞台に上がった作品。
よって、青井監督はこの説明を360回も繰り返してきたはずですが、しかし、一言一言考えをめぐらしながら、
まるで初めて説明するかのように
こちらの目を見ながらソフトに話します。
どうしてこんな語り方ができるのか、とても感心しましたし、とても不思議でした。
私は躊躇なくその世界に心をゆだねました。ここまでで4時間


短い休憩を挟み、加藤さんと私は初めて一緒に台本を読みました。自分の役柄アンディーについて、今の説明で頭では理解したものの、まだ自分のものになっていない私としては、アンディーの言葉をどう音にすればよいのか、全くわかりませんでした。
でも、メリッサ役の加藤さんの声を感じているうち、その問題は少しずつ解決の方向に動きだしました。


当初、私は、台本に書かれた文字を音にしながら、間や速さ、声の高低や強弱を変えることで、アンディーの存在を具現化しようとしました。
しかし、加藤さんのアプローチは違いました。そこにあるのはあくまでメリッサの「想い」なのであり、一方「言葉」は伝達媒体に過ぎないといった体でした。
私とは順序が逆だったのです。


台本に書かれているのは既に“言葉”ですが、その言葉の“根拠となる想いから滲み出た音(すなわち「声」)“をもって初めて「表現」になるのだと思いました。
これまでもわかっていたつもりでいて、実は潔さがなかったことに気づきました。
2時間で全編を読み終え、「もう迷わない」と心に決めました。プロの女優さんと一緒に仕事ができたからこそ気づかせてもらった貴重なこと。
あとは、本番ガチンコで創り出された世界を楽しもうと思いました。
たった1度の稽古
。濃い6時間でした。



12月11日(木)午後7時。銀座にある劇場の舞台には、2脚の椅子と、サイドテーブルのみ
舞台監督からの合図を受けた私は、加藤さんと同時に舞台に上がり、客席に一礼。
椅子に腰を下ろしました。

眼の前には、しんとした暗がり。そこに、数百人の観客の気配がしました。
少しとぼけるようにして、私は、アンディーとすりかわります。


    ・・・降りてきました。私の中に、アンディーが。



私は自分自身の心のエンジンを切りました。
私の人格は宙に浮きました。ここからは、アンディーによる自動操縦です。
物語は小学3年生のときにアンディーの書いた手紙から始まります。
私の身体を経由して現れたアンディーは、少したどたどしい話しぶり。
同い年でちょっとおませな少女メリッサは、こちらの胸の内を見透かしているのか、時として仕掛けるように話してきます。
それらは LOVE LETTERS に書かれた心の声
アンディーは、メリッサの言葉と、観客の微妙な反応に応じて、敏感に感情を変化させていきます。
心が宙に浮いた私は、まるで風に吹かれているよう
あるいは、雪のゲレンデで大きなカーブを切りながら、たわむスキーの反発力と遠心力を楽しむ感じ。
もはや私は、“アンディーに設置されているオンボードカメラの映像を見つつ慣性力に弄ばれる傍観者“です。


(以下は、アンディー“自身”の心の動きです。)

親の保護下にある頃から、私(アンディー)は、彼女(メリッサ)との交際にいつも心が踊ります。
互いに成長する中で、彼女も、自分の気持ち、悩みなどを伝えてくれ、私たちの関係は深まります。
彼女の想いに対して、私は手紙の中で最大限の誠意で応えますが、彼女は必ずしも満足してくれません。手紙こそ自分の想いを表現する最高のシチュエーションだと、私は思うのに。

いや、正直に言えば・・・

自由に生きる彼女の全てを受け入れることが私はできず、手紙に頼らなければ、彼女と向き合うことができないのかも知れない・・・。
そんな自分は認めたくありませんが。

一方彼女は、実は、押し寄せる波の様な心の病の攻撃と闘っていました。
それを分かっていながら、私は・・・。


・・・読み終わると、2時間が過ぎた舞台上に、加藤紀子さんと現実の私。

 

私にとって、記念すべき舞台。思えば驚くほど自然体で本番に入った私は、本番後、一瞬抜け殻のようになりました。
私の心と体は、アンディーとして絶望を経験したことで、信じられないくらい疲れていました。
と同時に、じわりと染み込むような達成感が私を包みました。



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が、それも束の間、私はすぐ次のことに取り掛かる必要がありました。

それは、次回の“いい加減”で・・・。