アナマガ

『僕は しゃべるために ここ(被災地)へ来た。』の感想、書評、レビュー

届いた本のページをめくると、この本は今まで報道に携わる人間が誰も触れようとしなかったタブーを書いたものであることがわかってきたのでした。

食料を確保するが故のコンビニ荒らしをする人々をリポートすべきなのか。
今、津波がくれば映像が撮れるという思いが一瞬頭をよぎってしまったこと。
津波の被害に遭ったお孫さんを探し回る祖父に手を差し伸べるべきか撮影を続けるべきという狭間で悩む姿。
被災者の方々中で社の規則でヘルメットを着用しなければならないこと。
取材を通じて親しくなったご家族を親身になって取材しているにもかかわらず「撮るな」と警察関係者に一喝されることへの苦悩。
現地からの生放送中に堪え切れず落涙してしまう瞬間。
救出活動をすべきか取材活動をすべきなのかと迷いがあった阪神淡路大震災取材。
数ヵ月後に訪れた笠井アナを襲うPTSD(心的外傷ストレス障害)。
笠井さんは悩んで悩んで取材する姿を赤裸々に書いていました。
そうなのです。
私のような物見遊山的取材者でさえ、ここにいるべきなのか?他に出来ることがあるのではないか?取材が終われば帰ってしまうお前が偉そうに現場を語る資格なんてあるのかと考えてしまうことが幾度もありました。
しかし笠井さんは言ってくれました。
「僕はしゃべるためにここへ来た」と・・・
現場に行けば取材者だって腹は減ります。トイレにも行きたくなります。夜には酒を飲みたくなることもあります。
しかしながらあたりまえのことですが、被災地の食糧もトイレも何もかもが被災者の方々のものなのです。
その時取材者はどのように対応してきたのかを、公に書いた人も語った人もほとんどいなと思います。
そんなことは当然のことだという見方もあるでしょうが、笠井さんはすべてを書き残しておきたかったのです。
そして、この本はこの後も災害の現場に足を踏み入れる若き取材者のためにもあると思うのです。
忙しいスケジュールの中で書き下ろした笠井さんには頭が下がるのみでありました。

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【ニッポン放送「ごごばん」パーソナリティ 上柳昌彦】
今朝、購入して読み始めました。
電車内で60ページほど読んだところです。
涙をこらえるのが大変です・・・

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【小林 光】
会社下の本屋で、走って買ってきました!
帰りの電車で読んでいましたが、涙が出てくるので家まで読むのを我慢しました。
やはり涙無しでは読めませんでした。
女心としては、最後に笠井ファミリーのことが書かれていてほっとしました。
あの詩の掲載もよいですね。
*社内で本は回覧されています!(買うようにもすすめますね)

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【福地 礼子】
一晩で読みました。
泣きました、クスッと笑いました、そして災害の、人生のバイブルもになりました。
現地取材はすさまじい惨状の中、ストレスやたくさんの葛藤があるとは思っていましたが、その中にも勇気づけられることや出会い、繋がり、愛・・があることにも感動しました。

当時、毎朝、笠井さんの被災地からのリポートを見て出社し、
梯と連日の中継に体のことも心配もしていました。

報道人も自衛隊も使命とは言え、その前に人間ですよね。
そんなことも感じた一冊でした。

震災への意識も薄れてきていましたが、本を読んで再度、できることをし続けようと思いました。
ありがとうございました。

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【大上 知巳】
行き帰りの電車の中で読んでます。たまに涙が出てくるので困ります。

周囲の若い社員には「自分の金で買って読め。俺の読み終わりでよかったら回してやるから読め。」と薦めてます。若いテレビマン必読の本です。

いい本です。

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【元 フジテレビ情報番組プロデューサー】
『僕は しゃべるために ここ(被災地)へ来た。』

早速拝読しました。
そのすさまじさに、驚愕しました。
背広を着たまま、横になること。
48歳の報道マンが、パンツを裏返し替えること。
カロリーメイトがご馳走になること。
五臓六腑より心の臓に染み渡るBEERを飲むこと。
五感を忘れるくらい没頭した後、音楽に触れること・・・

この本を読み進めていくと、笠井さんを(勝手に)知っている私にとっては、
少しでも笠井さんが見たこと、聞いたことを多少なりとも想像し、理解をしてはみましたが、
実際に、現場に赴き、においにも触れてみないと、判らないことばかりというか、だらけなんだと思います。
恐らく、言葉では表現しがたい眼前の事象が、他にもたくさんあったんでしょうね。
テレビでは放送出来ないことを書くこと。
放送し、視聴者に観てもらいことが、逆に衝撃と悲しみを生み
観ないことを知る辛さ。
とにかく、有難うございました。
改めて、文字で伝えることの素晴らしさ、
当たり前の日常に、感謝しなければならないこと。
島国ニッポン人であることを深く自覚すること。
色々と知ることが出来ました。

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【里】
所々涙しながら読ませていただきました。
「告白の章」は自分ならどうだろうと考えさせられました。
(たぶん自分もビール飲んだと思います)
でも我々も聖人ではないので、これくらいは神様も許してくれるのでは・・・

3年前より、山形に住んでおります。
震災では隣県の多くの知り合いの方が大きな被害にあわれました。
原発の問題も深刻で、子供が通う学校にも福島から転校してくる生徒が後を絶ちません。
月に数度仕事で宮城には行きますが、沿岸部ではまだ自動車や船が横転したままで取り残された状況を見ると、復興にはまだ時間がかかるなと実感しております。

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【吉岡 千尋】
お恥ずかしいのですが、
私は普段から全く本を読んでいませんでした。
本を面白いと思った事がこれまでありませんでした。
本年から少しずつ読むようにしているのですが、東野圭吾さんの本しかまだ読んでいません。
しかし、この本は、とても興味のある内容であり、「印税は全額義援金」に共感して早速購入しました。
営業で外出している際に、先ほど東京駅の丸善さんで買いました。
帰りの電車の中で15分程度しかまだ読んでいませんが、早速に引き込まれています。

表紙の裏側、文面の早々に記載の
「おばあさんが足につかまってくるんです」
「おばあさんを蹴って沈めたんです」
「助けた子供たちの恐怖に震えた顔が忘れられないんです」
「子供たちはあの地獄を見ていたんです・・・」
いきなりの文面に驚かされました。

最後まで読んでみて、また気持ちが変わりました。
購入時はまだ軽く考えていたと思いました。
最後の方、「朗読会」の頃からは少し泣けてきてしまいました。

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【裕司】
『僕は しゃべるために ここ(被災地)へ来た。』読ませて頂きました。

笠井さんの人柄が、文章の端々に見え隠れ、というよりは、躊躇する顔が目に浮かぶ文章が多々ありました。

目の当たりにした現状を、記憶にとどめつつも、心の中の葛藤は、社会的な認知のあるテレビ局を背負ったジャーナリストと、この天災の中ではちっぽけな人間の間で、駆け巡る自分の居場所を、必死に探りながら被災地を歩き続けた事と思います。
被災者が生きる為に引き起こす犯罪。
自分の折れそうな心と体力を支える為のビールと着替え。
そして、必ずや誰しもが、この様な惨状で突きつけられる、自己犠牲と自己愛。
確か、岩手県の田老地区で伝わる言葉に、「命 でんでんこ」と言われ続けた意味は、家族を案じて家に引き返す事よりも、先ずは、高台に逃げろ!!

究極の実存主義だと、私は思いました。

つまり、笠井さんが存在しなければ、この本は出版されなかったという事です。
まだまだ続く東北、というよりは、日本人の復興再生の道程は、1945年から2011年までが上半期で、来年から次なる試練が始まり、下半期へと向かう様な気がします。

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【椎井】
わたしは、発売日に書店に行き、平積みにはなっていなかったけれど棚に数冊置いてあったこの本を購入。

アナウンサー生活20年以上、そのほとんどを情報番組に捧げてきた笠井くん。
今回の東日本大震災のみならず、過去に地下鉄サリン事件の現場や、阪神大震災など、様々な事件・事故災害現場での取材経験が豊富な彼だが、それだけに今回の現場がいかに「未曾有」のものであったかが伝わる内容となっている。
わたしも少なからずそういった現場の取材経験はあるし、発生直後ではないけれど今回の震災の現場にも行ったということもあり、かなり書き手の笠井くんに気持ちを寄り添わせながら読むことができた。

膨大な取材時間に比べて、放送される時間は限られているのが常。
テレビでは伝えられない、或いは、視聴者が通常は知る由もない、「現場の裏側」がありのままに綴られていると言っていいだろう。
わたしがくどくど述べても始まらない。

印税は全額被災地復興のための寄付となり、且つ、読み応えのあるこの本を、一人でも多くの方に読んでいただきたい、というのが読後のわたしの素直な気持ちです。

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【松田 朋恵】
早速購入して読ませていただきました。
自分自身「とくだね」のハードウォッチャーなので
当時のことを思い出しながら一気に読みました。

考えさせられることたくさんで、
自分ができることを模索していく力をいただきました。

8月と9月に気仙沼に瓦礫撤去のボランティアに行ったとき
絶望してはいけないんだと学びました。
笠井さんの本を読んでいたときたまたまいただいた
中島みゆきさんの新しいアルバムのサンプル盤を聞いていました。

そのなかにある「バクです」という曲と歌詞が今の被災地のかたがたの
状況と変にシンクロしてしまい泣けて泣けて涙がとまりませんでした。
一度聞いてみてください。
悪い夢も、怖い夢も、つらい夢も、泣いた夢もバクは食べてくれます。
笑っている夢を見るために・・・

毎日つらいニュースが続きますがお体にお気をつけてがんばってください。

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【KG】
私が阪神大震災の際に感じて答えの出なかったたジレンマに真正面から取り組んでいることに驚き、そして勇気をもらいました。
笠井さんの知らない一面を見ました。
マスコミ志望の学生にもボランティアに打ち込む学生にも読んでほしい事が書いてあります。
なんだか偉そうですが、本当にそう思いました。阪神大震災の際に四国の放送局から取材に入り、
若いクルー(取材班)であったため、行く先行く先でボランティアと間違えられ、テレビ局と分かると被災者の皆さんが冷たい反応になるのが本当につらかった記憶が思わずよみがえりました。
よくぞこれを書いてくださったというのが正直な感想です。

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【松田 岳士】
出来事の大きい小さいに関わらず見たい聴きたい知りたいそう思う事たくさん有ります。
個人的な好奇心なのか?仕事なのか?
色んな場面で自分に問いかけること私にも有ります。
笠井さんのように現場に近い報道をなさっているとそういう気持ちの連続なのでは?
と思っていました。ゆっくり読ませて頂きます。

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【山田 雅人】
私にとって第二の故郷のような石巻がすっかり変わってしまった様子は、
わずかな滞在期間の中で、近所を見渡すだけでも、とても衝撃的でした。
肩まで水に浸かりながら何とか津波から逃れた祖父母の話は、聞いているだけで恐ろしいものでした。

報道のされ方については、色々と意見がありましたよね。
そんな真っ只中にいた笠井さんのお気持ち、是非拝読したいと思っております。
印税を寄付されるというのも、笠井さんらしい!
早速購入させていただきますね。
祖父母が読みたがったら、貸してみようとも思います。

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【佐藤】
早速ネットで注文しました!
テレビで毎日見ていた映像の裏側・・・とても気になります。
また、本の印税も全額義援金だなんてすばらしいです。
私が購入することで、被災地の方の役に立つなんて・・・友人にもすすめますね。

震災の時は毎日「とくダネ!」を見ておりました。
その後の放射能問題も、小さな子供がいて世田谷区に住む私にはかなり重要で、毎日情報を頼りにしております。
現在、水や食材は西日本から取り寄せていますし、牛乳も自宅では止めました。
保育園にも牛乳を止めてもらおうかどうか、悩みの日々です・・・。

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【鎌倉 奈津子】
私は宮城出身です。今回の震災ほど様々な意味で影響を受けたことはありません。飛んで帰りたい気持ちをおさえ、まず自分でTシャツをデザインしワシントンで募金活動をしました。そして状況が少し落ち着いた頃、新幹線復旧を待ち、すぐに宮城へ行きました。変わり果てた故郷の姿に、言葉を失い、涙しか出ませんでした。私自身の目から見た光景、ストーリーを伝えるために海岸線を松島から南三陸、気仙沼まで写真を撮りに何度も足を運びました。被害を目の前にしてすらも頭で理解することができない状況でした。消化不可能でした。でも震災の直後に現場にいらっしゃった笠井さんが受けた衝撃やジャーナリストとしての葛藤は想像を絶するものだったことでしょう。ぜひ読ませていただきたいです。誰かに頼みアメリカに送ってもらいます。

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【アメリカ在住 ユウコ】
私も保険会社ということで、被災直後から地震保険金の支払いのため仙台に行きました。
延べ1ヶ月程度被災地におりましたが、私も同様に「仕事で来ているものの、一人の人間として・・・」という葛藤に日々悶々としていました。

地震保険にご加入いただいていない人には何もできない無力感。

保険金は払えても、家族が行方不明のお年寄りの方々。

復興支援のための「人間」は東京から数時間で来れるのに、「物資」はなかなか届かない矛盾。

被災地には様々な業種の方が震災対応を行っていましたが、
業界は違えど人として感じるものは共通しているのだと思いました。
ぜひ読ませていただきます。

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【損害保険会社会社員】
震災状況は報道出来ない事実がかなりあったと思います。
私も仕事柄いろいろ話は聞きました。実際被災地に行かないと解らない事が多々あります。
あれから8ケ月風化してしまわない様マスメディアの報道を期待してます。
笠井さんの著書を読み事実を認識し今後に役立てたいと思います。

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【木下】
あの大震災からもう半年以上経ってしまったんですよね。
大学の同級生が、実家のある岩手・宮古へ戻ってから
しばらくしてのあの大震災でした。
東京の友達と一緒に電話で無事を確認しても勿論電話は通じず、
安否確認情報の名前を探しても見つかりませんでした。
それでもネット上で広く情報を呼び掛けたところ、
ようやく子供含め家族全員無事だったことが確認できたのです。
その時は、本当に嬉しくて涙を流して喜びました。
その後宮古の友達からは、携帯の電波が復旧した頃に「ありがとう!無事です。」と
津波で流された自分の車の前でピースしている写真が送られてきました。
一瞬“ピース”?と思いましたが、きっと大変な状況にも拘わらず「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
との優しさだったのだと感じました。
被災地で実際何が起こっていたのか・・・、【僕は しゃべるために ここ(被災地)へ来た。】絶対読みます!

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【一番星】
メディア、出版物、街頭のいたるところに‘頑張ろう日本’に類する
言葉を目にしたり、聞いたりするたび
このような言葉が被災された方々に何を届けられるのだろうかと疑問に思っていました。
中には心にこもった言葉があるかもしれませんが
ただメディアが放出する形だけの言葉で、
それに踊らされ、翻弄されることが多いのではないかと。

心の傷は癒すことはできても消えることはありません。
震災を通じて何が今私にできるのか、
それは節電を心がけたり、日々の仕事を遂行することで日本経済の一端を担えるのかな~
なんてほんの些細なことなのですが・・・考えます。

被災された方々へ何か行動を起こすことこそが言葉よりも心が通じあえることなのではないか
その行動は今私ができることを粛々としていくことなんだと思います。

と、私の主観を長々と書いてしまいました。
本は是非購入し、読ませていただきます。

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【志村 由美】
私の友人が、個人レベルで震災直後から被災地深部の方まで出向き、支援活動をしてて・・・
電波等にのらない、状況等を聞いてました。
少しでも、現実が世に伝わるといいですね。

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【雪男】
「僕は しゃべるために ここ(被災地)へ来た。」購入させていただきます。
東日本大震災のあの現実を目の前にし何をすればいいのか宮崎にいる私も悩みました。

仕事をしている場合ではなくボランティアに行くべきではないかと。
しかし、ボランティアに行けず、取り敢えず今も募金をしています。
マスコミは取材クルーを集約しボランティアに人手を回すべきではないかとも思っています。
毎朝、祈るようになったのも東日本大震災がきっかけです。
どうすればいいのか悩みますが毎日、一生懸命生きていこうと思います。

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【林田 健ニ】
被災地に行けなかった僕は、何となく
やり残している事がある様な気がしてなりませんでした。

笠井さんの本を読んで、リアルな印象に触れたいと思いました。

笠井さんの本を読ませていただける事で
その、「やり残している」事を、埋める事ができる様な気がしました。

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【阿部】
テレビでは見えない現実報道のありの姿・・・
早速今から書店に行ってきます。

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【植田】
良くも悪くも選択されて流される被災地の情報に

自分自身は不安を感じていました。

是非読ませていただきます。

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【西浦 正記】
是非拝見したいと思っていました。
あの震災は、被害も何もない遠く離れた地域に住む私にも、
大きなショックと不安に襲われ、自分には何も出来ないのかと、
無力な自分を情けなく思うことも多々ありました。
現場で被災地の真実を見てきた笠井さんは、
どんなにたくさんの言葉では言い表せない思いをされたのだと、
中継で泣いていらした姿を見て、そう思いました。
早速、読み始めています。
冒頭から、かなり衝撃を受けていますが、
これが現場に行かなければ見えない現実なんだと改めて思い、
胸が締め付けられる気持ちになりました。

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【山田 真己】
震災取材は、今迄のアナウンサー人生の中でも、精神&体力面で、かなり過酷な取材だったと思います。

東日本大震災の壮絶な震災取材体験を記録して、後世に残すことは大切なことだと思います。

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【みかる】
買います、そして読みます!

六本木ヒルズで地震に遭遇したこと、
翌日ヒルズの展望台から東京の街を見てなぜか涙が止まらなかったこと、
鮮烈な記憶のはずなのに、少しづつ輪郭がぼやけつつもあって
自分でぎょっとします。

高校時代の剣道部仲間が仙台に住んでいたり、
知り合いの宮古市出身の知人の実家が流されてしまったり、
福島出身の友人が復興支援に奔走していたりと、
被災地にかかわりのある知り合いが多いので、
みんなに送ってみたいと思っております。

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【智子】
すごいですね!近所の本屋で少しずつ立ち読みします。

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【デーブ・スぺクター】
10冊買います!

寄付の気持ちも当然ありますが、
笠井さんの仕事としての立場と個人の気持ちと相当葛藤されたこと、
そしてそれを出版しようと決断したことに興味を覚えます。

引き続き、笠井さんの活躍を楽しみにしております。

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【634m】
笠井さんのご活躍は、テレビで拝見しておりますが、震災では大変な取材や体験をされたようで、お疲れ様です。
大変興味深く、本屋で見つけましたら必ず買って読みたいと思います。
全職員に紹介しましたら、早くも「読んだよ」という声もいくつかいただきました。
たくさんの本が売れ、多くの義援金が集まることを期待しています。

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【松広 太】
震災後のテレビで被災地を歩かれている姿を拝見し、心の中で応援していました。気になっていても、行けなかった私たちの代わりにいろいろ体験された事を伝えて下さろうという事。とても嬉しいです。
新聞の紙面もだんだん小さくなっていき、関心も薄れてきているように感じるこの頃です。今日購入して読みたいと思います。
職場のみんなにも本の事や笠井さんの思いを伝えたいとおもいます。

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【金子 千賀子】
笠井さんが取材されている場面を、拝見しておりました。
被災地から離れた福岡に住む私にも、心に迫るものがありました。
現在でも、多くの方が苦しんでいると分かってはいるのですが。。。

本をぜひ購入致します。
読んでみたいですし、義援金になるということで、ぜひ購入します。

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【岩男 展之】
私は関西にいて、初めの頃はテレビに釘付けで震災の情報をむさぼるように見ていたのに、最近は原発に関しても関西でホットスポットがない?ので、蚊帳の外のような話題にしてしまっているような気がしています。
まだまだ爪あとが色濃く残り、戦っている人たちのこと忘れてはいけないなと強く思いました。

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【遠藤 桂子】
報道人としてのシビアな部分・・・そこで葛藤がきっとあったことでしょう。
でも毎日の「とくダネ!」では、いつもとかわらない笠井さんでいらっしゃった・・・
苦しかったことと思います。
笠井さんの並々ならぬ心持ち、感銘しました。

実は、私は今、「紙芝居師」として活動をしているのですが・・・
震災後は、かれこれ10回以上になりますか、
被災してしまった土地に赴き、各県、各地避難所を回り、
避難所で紙芝居ボランティアをしてきました。

(大震災で被災した土地・人たちに自分が何ができるかを考えた時に「紙芝居で元気を少しでもわけることで、現地の人たちが少しでも日々の辛さを忘れる時間を提供できれば・・・」と思ったんです。)

3月に初めて被災地を観た時の衝撃や空気、その現状全てが忘れられません。
ただただ懇願して、避難所で紙芝居をさせてもらいました。

あの時、これは生半可な気持ちじゃ支援なんてできないと、覚悟を持ちました。
避難所が閉鎖されるまで、紙芝居持って被災地を回るんだ、
少しでも紙芝居で元気を分け合うんだと。
休みのたびに被災地で紙芝居のボランティアをしてきました。

今もその気持ちは変わらず、紙芝居の活動を続けています。
お陰様で現地でも仲間やお知り合い、絆がいっぱい出来ました。
今私は、東北の皆様に心から敬意を表しています。

勿論これからも現地での紙芝居での支援は続けていきます。
それが、私が東北の皆さんと心寄り添えることのベストだと思っているからです。

笠井さんも、今回の出版を通して、ご自身のベストでの寄り添う形を
見つけたのだと感じました。

笠井さんの苦悩ほどではないのだと思うのですが、
現地でボランティアを続けてきた私も、
多少、苦しんだり悩んだりしてきました。
悔しい想いも、切ない想いもしてきました。

だからこそ、笠井さんが、相当な覚悟を決めて出版したんだなということは
とても伝わりましたし、感覚として心に入ってきました。

これからも、笠井さんを陰ながらですが
応援していきたいと思います。

私も、今月は南相馬と岩手の山田町に行く予定があります。
12月には、東北の子供たち、親御さん、おじいちゃんおばあちゃんと
未曾有の2011年の最後くらいは、ハッピーな時間を共有したくて
ちょっとした大きな支援と交流のイベントを岩手で行う予定です。

笠井さん。
これからも、笠井さんを、心から応援しています。

「とくダネ!」笠井さんを拝見するのを楽しみにしております。

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【「紙芝居師なっちゃん」中谷 奈津子】
明日から私も 石巻~女川~南三陸 に行ってきます。
もっと早く行きたかったのですが、この時期になってしまいました。

私は取材ではないのですが、自分の目で現地を見てこようと考えています。
今は整備も進んで、笠井さんが取材したときよりはだいぶ落ち着いているとは
思いますが、得るものがあると思っています。

これからの日本はどうしていくべきなのか、子どもたちにどんな日本を残して
あげたいのか、現地で感じたことが、ひとつの指針になるような気がしています。

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【吉川 ちひろ】
毎日『とくダネ!』見させていただいております。
笠井さんが、震災当初から被災地に赴いて、
被災者の方々と共に涙されながら、血の通ったレポ-トをされているのを毎日拝見させていただいていました。
あの震災の実態は、被災地に足を運んだ者にしかわからないと常々感じておりました。

実は、娘のクラスにご両親が被災された方(ご無事だそうです)がいらして、
春休みや纏まった休みの時にはご家族で泥の掻き出しなど手伝いにいらしていたそうです。
その方が6月の保護者会の時に、「是非、お子さんを被災地に連れて行って、
何が起こったのか見せてあげて下さい!物見遊山で全然構いません!
実際の状況を見に行って下さい!テレビの映像と実際見る現状とでは全く違います!」と
強く訴えて下さいました。

その方の強い言葉に動かされて、夫と相談の上、8月初旬に長女を連れて被災地を見に行ってきました。

子供の予定の関係で日帰りで行くしかなく、本当に見て回るだけでしたので、
被災地の方に不快な思いをさせないだろうかなど、常に罪悪感を持ちながらでしたが、
宮城の若林地区から入り、石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田と北上し、最後に大船渡を回ってきました。
車でひたすら通り抜けながら見て回ったのですが、5ヵ月たっていても目に入ってくる映像は本当にショックなものでした。
見渡す限り何も無くなってしまった、あるのは瓦礫の山ばかりの地に5ヵ月前まで何万人と言う方々が平穏な暮らしを送っていたのだと思うと、
ただただ涙が止まらず、出てくる言葉は、「ひどい・・・」という言葉ばかりでした。
娘もかなりの衝撃を受けたようで、まわりは津波で何もなくなってしまっているのに、
崩れかけているガソリンスタンドで同じ年くらいの男の子がお母さんを手伝って一所懸命接客している姿を見て、言葉を失くしていました。

結局、被災地の方の為に、微々たるお金を落としてきた事以外、
何もして来られず、被災地の方に失礼ではなかったかという思いは今も残っていますが、私達家族にとっては、本当に大切な一日となりました。

帰って来てから見る震災のニュ-スは、被災地に行く前と全く違ったものになりました。
日々流れる被災地の映像も、自分の記憶の中にある現実の映像として入ってくるため、
より辛いものとなりましたが、政府の対応の遅れに対する憤り、本当に今必要な事は何か、
など、より被災地の方々に寄り添って考えるようになりました。

私達ですらそうなのですから、震災当初から被災地を取材されている笠井さんしか知り得ない、想像を絶する辛く苦しい葛藤や憤り、無力感など様々な思いがあると実感しておりますので、
笠井さんの本を読むことでその一部でも理解出来たら・・・理解したいと強く感じております。

出版するにあたり、それこそ大変な思いをされたことと推察しますが、
笠井さんのそのご決断に心から感謝いたします。

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【MK】
大震災後は、「とくダネ!」をよく拝見しておりました。
私の知り合いの取材者も、震災直後に被災地へ入ったため、
今でも軽度なPTSDに悩まされているようです。

笠井さんの思いがつまった御本、拝読させていただきます。

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【Ginmaku】 
今年からは異常な出来事が多くなりました。地球ダイナミズムを感じます。
きっとこれから日本を襲うであろう 大震災へのメッセージになるかとも思います。
是非購入し、(アマゾンで注文しました!)妻と共に拝読させていただきます。

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【滝田 洋二郎】 
笠井さんの本を読んでみて、テレビで起こったことをそのままを伝えているわけではなく、
報道できなかったこと、伝えられなかったことがたくさんあったことに驚きました。

遺体安置所と避難所が一緒だったこと、この本を読むまで知りませんでした。
コンビニやホームセンターでの出来事も初めて知ることでした。

報道する側と報道される側の立場の違い、
被害にあった人と被害にあっていない人の立場の違い、
同じ場所にいたとしても、同じ目線や同じ立場で見ることができないこと。
ただ目の前のことを冷静に伝えるのではなく、人としての感情も大切にしていることや配慮が必要なんだということを知りました。

もし、地震の震源地がずれていて、自分が被災者となっていたら、
外から来た報道人を好ましく思わないかもしれない。

もし、自分が家族を亡くしたとして、そのときカメラを向けられたとしたら、
誰でもいいから、自分に起きたことを話したいと思うのか?
それともカメラを避けようとするのか?
そのときにならないと分からないですが、自分ならカメラを避けたいと思いそうな気がしています。

ただ、テレビや新聞、ネットでの報道がなかったとしたら、
被災地に何が起こっているかわからない、
募金も集まらないし、支援もできない、
だから、悲惨な状態を伝えることが大切だということも、よくわかります。

半年前、今までにない恐怖を感じたのに、
今では平穏無事に過ごして、地震の恐怖を忘れてしまっており、
東北で起きたことを、他人事のようにとらえてしまっているなと思ってました。

そこにまず反省して、
常に何が起こるか分からないということは、考えていないといけないと思いました。

私の周りにもこの本すすめます。

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【田中 朋恵】
『僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』、拝読しました。

いつかの放送で言葉を失う笠井さんの姿を見て、笠井さんの言葉で語られるあの日のこと、被災地に暮らす人たちのこと、知りたいと思っていたんです。
けど同時に"訊けない"とも強く思いました。
僕は訊けない。
だから笠井さんの本が発売されるとお聞きしたときからずっと、ずっと読みたかったんです。
まだ広告が並ぶ前、書店に、いつ店頭に並ぶのかを確かめに行ったほどでした。

本を手にしてからはあの日と地続きになっている感覚に押し進められるようにただただ頁をめくりました。
辛かった。読みながら、被災地の惨状が浮かぶようで本当に辛かったです。
ただ全編を通して笠井さんの声が聞こえてくるようで、それが僕にとって救いでした。
あたたかかった。
生きた言葉にふれると、心が大きく動くのがわかる気がします。
こぼれる涙のあたたかさを感じながら、同時にこれから被災地に訪れる過酷な冬を思うとまた胸が苦しくなりました。
きっとこの本を読んで多くの方があの日からの地続きの感覚を思い出すはずです。

本当にありがとうございました。

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【佐伯 衞駿】