TK MUSIC CLAMP

TKMC

NON EDIT TALK : 小室哲哉★LUNA SEA


小室:
こんばんは、小室哲哉です。えぇと、今日はですね、バレンタイン・デーなんですが、とうとうこんな時期までここに座ってることになって、まあ、季節柄いろいろなことが起きますが、バレンタイン・デーの日も『TK MUSICCLAMP』があったということで、今日はそれにふさわしいって、いつも「それにふさわしい人」って言ってますが。そういった華やかなゲストをですね、お迎えしてますが。お招きしてますが、今日はお二人なんです。LUNA SEAのリュウイチ君と。

リュウイチ:
はい。

小室:
それからスギゾー君でいいんですよね? 

スギゾー:
はい。

小室:
お二人です。どうもはじめまして。

スギゾー:
よろしくお願いします。

リュウイチ:
はじめまして。よろしくお願いします。

小室:
よろしくお願いします。あの、僕がやっぱ当然、映像とか写真とかでしか見てないですけど、やっぱすごい若いですね、なんとなく。

リュウイチ:
あ、そうですか? 

小室:
なんか、すごくTMネットワークの初期の頃を思い出します、なんか。若いっていうのはなんか、肌の感じがスベッとしてますよね、やっぱりね。なんとなく。

スギゾー:
あ、そうですか? 

小室:
そう思うのは気のせいでしょうかね? 最近、自分の周りもだんだん年齢がどんどん上がってきてるので、大体もうそうですね、みんな30代じやないですか、ほとんど。もうもしかして、30代の後半が多いんで、そういう人ばっかり見掛けてるんですよ。まだ年齢はあれですか? 不詳なんですか? 

リュウイチ:
いや、そんなことないです。

スギゾー:
大丈夫です。

リュウイチ:
僕は25なんですけど。スギちゃんは6。

小室:
同じぐらいなんですか? 

スギゾー:
僕は一番年配です。

小室:
年配でも6ですか。

スギゾー:
ええ。

小室:
まあ、そんなもんですからね。やっぱりぜんぜん若いですよね。まあ、それはいいんですけども。あの、とりあえずバァーッと僕が知ってる限りの印象でお話しさせてもらうと、ずっとバンド名でLUNA SEAっていうのを最初から見てて。あと、最初の頃なんか、いろんな絵とか、ぜんぜんメンバーの方出てませんでしたよね? 広告とかは。

リュウイチ:
ええ、そうですね。

小室:
ちょっと象徴的ななんかあれですか? 天使とかですか? わかんないですけど。

リュウイチ:
ジャケットイメージいつも5人なんで、誰がフロントとか、そういう意識もないんですよ。全員で前に出るっていう。けっこう5人が「もし、今日、今日一つの形になれたなら」っていう感じでジャケットイメージ毎回考えていってたんで、まあ、どうしても一人の女性になったり女の子になったりとかしてたんですけど。

小室:
そうだね 。さっきも楽屋で言ってたんですけど、勝手にですね、ENYAとか知ってます? 

リュウイチ:
はい、好きです。

小室:
とか、マイク・オールドフィールドとかね。ああいう環境音楽までいかないけど、ちょっと深く深く潜行するような音なのかな? と思ってたんですよ。なんか、LUNA SEAっていうぐらいですから、やっぱりすごく静かな海の上に月が浮いてるような感じでですね、思ったんで。

スギゾー:
そうですね。

リュウイチ:
イメージ的に。

小室:
で、きっと淡々とリズムが入ってきて、みたいな。もう、全部勝手に、一曲出来ちゃうぐらいね、なんかのジャケット見た時に思ってて。で、ブッ飛んだんですけど、実際に聴いた時は。ただでも、僕もそんな、アルバムとか聴かせてもらってないんで知らないんですけども、すごく繊細な感じはしましたね。

リュウイチ:
ああ、そうですか。

小室:
あの、音的にはもしかしてらカテゴライズされちゃうのかもしれないけど、なんかまあ、ロックなのかなんていうか。まあ、今はわかんないですけどね。そうかもしれないけど、でも、細かい音じゃないですね、あの、非常に繊細な作り方してるんだなと思ってて。まああの、リュウイチ君の声質もあるのかもしれないですけども。それはまあ、パッと聴いた時の印象だったんですけどね。だからまあ、なんかいろんなとこで間接的にお話し聞いてると、けっこうジャンルはいろんなもんが好きなのかな? って感じだったんで。まあ、僕みたいな音も興味あるのかな? とは思ってたんですけど。

リュウイチ:
けっこう聴くの幅広いですね。

小室:
幅広いんですか。

スギゾー:
あの、5人ともぜんぜん違うんですよね、やっぱり好きなものが。で、当時、俺たちが始めた頃はまだ10代だったんですけど、音楽性とか、なんていうのかな? 好みとかよりもむしろ、やる気とか根性で集まったみたいな5人なんで。で、いざ5人集まってみたら、ぜんぜん嗜好が違う。さあ、どうしよう? っていうとこで。もう、最終的には「この5人が合体したものやるしかないね」っていうふうになって。だから、時期によって繊細だったりとかヘヴィーだったりとか。例えば曲を書いた人の趣旨とか、その時の精神状態とかがどんどん表に立ってくるから、深いとこやっぱ突かれますね。

小室:
ああ、なるほどね。

スギゾー:
表向きはすごいヘヴィーかもしれないけど、中にはやっぱり繊細な音が好きな人間もいるし。

小室:
そうですね。なんかね、あの、けっこうブレイクとか使うじゃないですか。っていうかまあ、それはシングルなのかもしれないけど、まあ、手法としてはね、スラッシュ・メタルとかにもありましたけど、ああいうのも含めて。でも、ああいう間が好きな人っていうのはやっぱり、そこの間になに考えるかだから。やっぱり大ざっぱな人ってあんまりね、そんなに間って作らないですよね。これはなんか日本の古い伝統とか、いろんな芸術とかにも関係あるのかもしれないですけど。だから、もう本当、一曲か二曲ぐらいの中から勝手に思ったことなんですけど。

スギゾー:
で、また不思議なのが、例えば全員、影響受けたものも違って、例えば本当にハードロックが好きなメンバーもいれば、俺なんか元々はYMOとかで入ってるんで。

小室:
あ、そうなんだ。

スギゾー:
ええ、だから、小室さんの音もすごい聴いてきたし。やっぱり一つのバンドの中で、なんかいろんなジャンルがクロスオーバーしてるものをやりたいなと思ってますね、昔から。

小室:
なるほどね。

スギゾー:
で、彼は彼で本当に歌うことのみに全身全霊を捧げるし。バックがどうかわっても気付かないぐらい彼は歌い込むし。

リュウイチ:
当たっててもわからずに、自分のメロディを歌ってたりするんですよ。

小室:
ああ、なるほどね。

リュウイチ:
そのまま一緒にメロディを不響に引っぱられそうになるんだけど、でもメジャーなメロディに。メジャーなっていうか、なんかね、ポップなものがずっと好きだったみたいで。

小室:
メロディラインはある程度モチーフみたいのは出来て、乗っける作曲方なんですか? 曲作りって。

リュウイチ:
いろいろあって、弦楽器隊の一応スギゾー君と、あともう一人ギターのイノランがいて、ベースのジェイがいて、3人が原曲を持ってきてくれるんですけど、メロディがビッチリ決まってるのもあれば、まあ、決まってても僕が歌えなくて直してしまうのもあれば、「あとは任せる」とか バンドっぽく作ってるんで、5人でやってるうちに、どんどん、どんどん変わってくんですよね。本当なんか、曲がね、持ってきてもらった時は産声を上げるか上げないかわかんないけど、なんかどんどん、どんどん成長してって。で、レコーディング終わってライヴやる頃になって初めて完成するみたいな。

小室:
まあ、そうかもしれないね。じゃあまあ、歌もラインも、自然に自分がやりながら落とし場所みたいなのが決まってくんでしょうね、そしたらね。そうじゃないと弦楽器だけっていうかまあ、特に4リズム、3リズムの中でメロディや歌を乗っける時って、本当、ハマりどころが悪かったらとんでもない。音楽にならなくなっちゃうし。あんまりキレイだと、なんか本当、カラオケみたいになっちゃうんだけど。本当、絶妙な微妙なギリギリのね、その立ち位置みたいなのがあると思うんですよね。だからそれはやっぱり、もうだんだんLUNA SEAなりのその落とし壺みたいな場所はもう心得てきてるんじゃないかと思うんですよ。

スギゾー:
あの、気持ちいいバランス感覚はなんとなくありますね。

小室:
それはあるでしょうね、きっとね。

スギゾー:
で、ちょっとズレちゃうと、もう総崩れになっちゃうぐらいの微妙なバランスがありますね。

小室:
微妙ですよね、それは。

スギゾー:
各楽器がバッキングとヴォーカルとかソロじゃなくて、意識的には全員で歌を歌ってる。例えばギターならギターで、ベースならベースで「ヴォーカリストだ」っていう気持ちがあって。全員がメロディを弾いててそれが絡んでいって、微妙な当たるとこをすり抜けていきながら絡んでいく作り方が好きみたいで。

小室:
うん。わかりますね、それはね。もう、特に楽器がそういった微妙な楽器だから、やっぱりスゴい繊細な楽器ばっかりだからね。だからもう、ちょっと狂うともう耐えられないような音になると思うから。

リュウイチ:
そうですね。

小室:
あの、自分たちで演奏してんのにね、自分たちの音がもう気持ち悪くなっちゃうようなこともあると思うんですよ。だからもう、絶妙なとこだろうね。だから、レコーディングなんかでもきっとそうだと思いますよ。ミックスとかでも、フェーダーが若干、もう何・違ってもね。

スギゾー:
ぜんぜん違いますね。

リュウイチ:
気持ち悪い時ありますね。

小室:
倍音とかも聞こえてきたりするでしょ、きっと。キレイにハマってる時はね。そういうのはわかりますけどね。

スギゾー:
あと、レコーディングやってて思うんですけど、曲って本当に生き物なんですよね。で、偏屈なアレンジを自然にしちゃったりとかやってても、最終的にはなんか、曲が求めてくるような気がしちゃってんでよね。自分でなんか一生懸命作るんじゃなくて、なんか自然に、変な言い方ですけど、気持ちよくやってれば「ああ、自然にはこう出てきてたんだ」って思ったりとかはしますよね。だから、自分が曲を書く時も、あの、なんていうの? 曲の玉を作ってるみたいな。で、バンドでアレンジしてる時っていうのは、要は赤ちゃんがお腹の中で成長してるみたいな状態で、アルバムになった時に、シングルになった時に初めて産声を上げるみたいなニュアンスがあって。なんか、生き物をね、育てるみたいな感覚でウチは曲を作るんですよね。

小室:
なるほどね。あの、ちょっと聞きたかったんですけど、そのまあ、いろんなアプローチの人がいるわけで、ミュージシャンの人でも。まあ、すごく現実的というか、「今度はこういう曲をやって、こういう奴で売れるように」とか、まあ非常に売れるだけじないんですけど、もうちょっと非常に具体的に作ってく人たちもいると思うんですよ。まあ、それは日常生活も含めて。で、あと、まあ僕は両面持ってるつもりなんですけど、もうちょっとなんかそういう、ある程度神がかってるというか、非常にそういったなんていうのかな? まあ自然な流れの中で、すごくもしかしたらちょっと神聖化したようなところで、自然に産まれてくるものみたいな捉え方とかでね。で、まあ、今のそういうふうに自然に産まれてくるような話しを、僕も絶対できると思うんですけど、こういうのを「だって、そんなのべつにCD作って売ってるだけじゃん」とかまあ、いわゆるそういったまあ、商業的な考えで言う人たちもいると思うんですよ、多分。だから、そこらへんね、自分たちの中では線を引いてるのか、あとなんか、飽くまでも音楽はそうやってすごく神聖なものでやれるっていう、そこってあると思うんですよ、両方。で、僕なんかはまあ、両方の顔を持たざるを得ないんですけど。ただ、どっちもないとね、曲もつくれないんで、僕の場合は。どうなんですかね? どっちかにワザと片寄らせてるっていう感じですか? 

スギゾー:
曲によります、むしろ。

小室:
ああ、そうなんですか。

リュウイチ:
でも、もしね、どっちかを否定してしまったら、かなり嘘になると思うんですよね。で、「なんでじゃあ、メジャーシーンでバンドやってるの?」っていうその根源にまで戻っちゃうじゃないですか。ある時はもう本当にどっかから授かったような音をね、5人が奏でてる時もあるだろうし。でも、ある時は「こんな音を多分、俺たちがやったら、ファンの子たちとか、周りの人たちがこんな音をLUNA SEAにやって欲しい」っていう、なんかそういうアンテナみたいのって、誰でもミュージシャンだったら生えてると思うんですよね。そこにビビッときた時にそういうポップチューンの曲なのかわからないけれども、そういう曲が生まれるってことも当然あるだろうしね。どっちの顔もやっぱり持ってないと。

小室:
そうだね 。やっぱりどっちも持ってないと。

リュウイチ:
バランスがなかなか取れないような気もしますよね。

スギゾー:
だから、曲によって、この曲「あ、コーラスの曲だ」と思ったら、「ファンの子たちはこういうふうにリアクションするだろうな、楽しいだろうな」と思いながら書く時もあるし、そうじゃない曲もあるし。ただ、否定は全てに於いてしたくないんですよね。「この作り方は絶対に嫌だ」とかね、「この作り方しか俺はやらない」とか。そうやって自分のキャパシティを狭めることはまだまだやりたくなくて。

リュウイチ:
そうだね 。

スギゾー:
逆に、もっといろんなこと吸収したいから。

リュウイチ:
けっこう自分の首を締めるようになると思うんですよね。「そういうものしか世に出さない」って決めちゃったら。だから、やっぱりどっちもないとね。

スギゾー:
やっぱり当然ね、売り上げも欲しいし。

小室:
うん、そうですね。それは当然そうですよね。まあ、じゃあ、それも絶妙なバランスかもしれないけど、両方をやっぱり考えつつっていう感じですかね。まあ、あの、僕なんかもまあ、両方当然考えてるんですけどね、あんまりその商業的なことばっかり頼まれますよね、そういう仕事なんで。そうすると今度ね、曲が作れることは作れるんですけど、そういう「芸術家だから生まれる」みたいなところがどんどんね、落とされてっちゃうんですよ。なんとなくね、作れと言われれば作れるかもしれないですけど。だから、ワザとね、苦しむ環境にもってかなきゃいけない時もあったりして。

リュウイチ:
自分自身? 

小室:
うん。最近ね、すごくそれがわかるようになってきてね、怖いんですけどね、自分でね。で、昔のロックミュージシャンていうのは、いきなりスターになりますよねね、外国の人とかは。ボーンとなって、もうそれこそいろんな逸話があると思いますけど。レッド・ツェッペリンだったりなんでもいいですけれども。ジミ・ヘンドリックスでもなんでもいいですけど。で、そうなった時に、やっぱりそういう場所で急に出来なくなっちゃうっていうかね、あまりにもいい環境になっちゃうと。っていうんで、いろんなまあドラッグに走ったりとかいろんなことをしたりとかしたと思うんですけど。まあ、そういうのとはまたぜんぜん違いますけど、ただ、創作っていうことに関してはね、なんかそういうバランスが崩れるとね、怖い時あるんですよね。なんかもうまあ、それは気を付けるようにはしてるんですけどね。まあ、まだもしかしたらそこまで死ぬ程作らなくてもいい環境だと思うから、それは大丈夫だと思うんですけど。ある程度ローテーションていうのは守れてるんですか? 

リュウイチ:
なんだろう? でも、俺たちまだ満たされるとこまでいってないから、まだそこまで多分考えなくていいとこだと思うんですよね。

スギゾー:
まだまだ「ビッグになりたい、ビッグになりたい」って思っていたとか、「もっと自分を証明したい」とか。

リュウイチ:
そういうのもあるし。

スギゾー:
まだ、そのレベル。「まだ」っていうのは変ですけど、自分たちはそういう人間だなと思ってるし。ただ、やっぱりいつかね、その生活でもいいし、自分の評価でもいや。そういうのが満たされちゃった時っていうのは、やっぱりその時こそ初めて、自分がいかに音楽を出来るかっていうのが真剣勝負の場かなと思いますよね。やっぱりハングリー精神ていうのは、どっかであるべきなもんだと思うし。

小室:
そうですね。あの、ぜんぜん変わるんですけど、曲の、僕もリフレイン、すごく多いんですよ。で、LUNA SEAもけっこう多いのかな? 

リュウイチ:
うん。そうかもしれない。

小室:
まあ、それをどんどん、どんどん人に反復していくので、なんかそういう作用みたいなので押していくようなメロディラインとかもあると思うんですけど、あれ、意識的にですか? そういうわけじゃなくて、自然とやっぱり? 

リュウイチ:
うーん。

小室:
言葉がどんどん、どんどん次から次に進んでくんだけど、感情のそういう起伏は。ただその、乗っかってリピートで乗っかってくみたいの? 

リュウイチ:
それもあんまり意識しないようにしてるんですけど、でもやっぱり作る際に「この言葉が一番言いたいな」っていうのを、出来るだけサビにもっていこうとは一応思ってるんですね。で、そうすると自ずとね、同じ言葉で押し切れるもんなら、飽きがこない言葉だったら、もうずっとリフレインしててもいいなと思うから。

小室:
なるほどね。

リュウイチ:
聞きたい言葉がだから、書けた時っていうか、自分でも聞いてて「この言葉が聞きたいな」っていう言葉が書けた時には、けっこうリフレインすること多いかもしれないね。

スギゾー:
メロディもそうだよね。「ああ、このメロディいいなぁ」と思ったら、やっぱり何回も聞きたくなっちゃうっていうか。けっこうそれも癖なのかもしれないですけどね。ウチもやっぱりリフレイン多いし。気が付いたらそうなっちゃうから、多分それが手癖とかなんだろうなと思っちゃうし。

小室:
あの、もしかしたら昔からあったのかもしれないですけどね、日本の歌謡曲とかでもリフレインっていう作業っていうのはあったかもしれないけどね。でも、まあ、特徴になってますよね、それはね。

リュウイチ:
そうですね。

小室:
そこらへんはね。

スギゾー:
でも、先程小室さんがおっしゃったんですけど、その両方の面を持っていないきゃいけないっていうのは、すごい小室さんの音を聴いてもわかりますよね。

小室:
両方、どっちもそう。本当、どっちもなきゃダメだし。

スギゾー:
あの、アルバム聴いた時に、初めてやっぱりその作ってる人の表も裏もわかると思うんです、僕。小室さんのアルバムを聴いても、やっぱりシングルっていうのは本当に氷山の一角でしかなくて、アルバムでその表も裏も、その人の喜怒哀楽も感じるなとすごく思いましたもん、僕。ウチらも最初やっぱりアルバムでデビューしたんですよ。

小室:
あ、そうですか。

スギゾー:
「シングルじゃなくてアルバムでデビューしたい」って。「なんで?」って言われた時に、「シングルだけじゃ、俺たちやっぱり伝えられない」っていった覚えがあるんですけど。アルバムっていうのはそう考えると、その表と裏とが、その作ってる人間を立体的に捉えることができて、面白いなと。小室さんの音を聴いても、例えばtrfを聴いても、すごく思いましたね。

小室:
そうですね。僕、そんな最初からゲームとか好きじゃなかったんですけど、ロールプレイングゲームとかの、ちょっとああいう発想っていうのは、似てると思うんだよね。どんどんまあ、クリックしながら、入ってけば入ってく程すごいとこに行って。まあ、インターネットとかもそうなのかもしんないですけど。だから、どこかで止まる人はそこまでで満足してもらって、更に入る人、更に入る人っていう、深く入っていく人。だから、深くはいっていく人のために最後のところで作っとかないとっていうことなんだよね。

リュウイチ:
そうなんですよね。つまんないですもんね。

スギゾー:
で、また面白いのが、その最後の深いとこと、一番先端、両方ともすごく自分が大好きな面であるっていう。それもすごく感じましたね。両方とも好きで、やっぱりどっちもやりたいなっていう、ただの欲張りかもしれないですけど。

小室:
そうですね。まあ、入り口も大事だしね、やっぱりね。で、入り口だけだと結局「なーんだ」っていう言葉で言われちゃうしね。で、深く作っといても、そこまでわかってもらえない時期も多分あったと思うんですよ、きっとね。なんか一番最後のとこまで深く興味を持っていってくれた人っていうのは、なんか自分たちと同じような立場に立っちゃって、なんかマスっていうかマジョリティとは思えなくなっちゃう時も多分あると思うんですよね。僕なんかはもう、最初の頃TMの頃とかも、一回そういうふうな気分になっちゃってね。あの、僕たちが思ってることとかまで、本当に理解してくれた人たちが何万人かいたわけですよね。でも、どうしてもその人たちって、一般の人たちに見えなくなってきちゃった時があったりしてね。

リュウイチ:
ああ、なんかわかるような気がする。

スギゾー:
すごくわかる。

小室:
メジャーっていう言葉がもしもあったら、すごい、一人じゃとっても把握できないような人数にも係わらず、なんとなくマスに見えなくなっちゃったんだよね。

スギゾー:
僕なんかよくいうのは、やっぱりすごく身近にいるコアなファンの子たちのことを、もうお客さんていうよりも、むしろ仲間とかメンバー思っちゃいますね、やっぱり。

小室:
そういうふうに、敢えて思っちゃった方がいいかもしれないですね。

スギゾー:
逆にもう、そういうふうに言っちゃってるよね。

リュウイチ:
うん。

小室:
一回ね、TMの時も、ファンクラブがやっばり多くなり過ぎちゃって、コンサートとかで結局買える人がファンの人しかいなくなっちゃった時があったのね。チケット優先予約とかあるじゃない、やっぱり。急になんか、言葉が現実的になりましたけど。で、結局買える人は、その会員しか買えなくなっちゃったんで、結局ファンの集いになっちゃったような状況で、結果的にはね。だと広がらないから、ぜんぜん。っていうこともあって、すごくそこらへんジレンマ感じてた時もあったしね。あの、ただ、LUNA SEA見てる限りではまあ、僕はずいぶん遠くで賦観で見てるからわからないですけど、あの、すごくそういった本当にグレーゾーンとかホワイトゾーンとかありますよね? なんか。まあ、コアがブラックだとしたらこういう言葉がありますけど。その敢えてそう使えばグレーだったり白のところにポッといける、なんか窓口みたいのはすごい持ってるグループだと思うんですよね。それは敢えて、ワザとそうやってちゃんと考えてやってるのかもしれないけど、みんなが。そういう窓も作ってあるような気もするんで、それがシングルだったりするのかもしれないんだけどね。なんとなく、ぜんぜん君たちが考えてもいないところの人たちから「LUNA SEAの曲カラオケで歌おう」とかね、思う人もきっといるんじゃないですか? そういう話し聞きません? 

リュウイチ:
まずね、なんか今から5年ぐらい前なんて、多分コンビニエンス・ストアに入って僕らの曲を聞くってこと自体が想像つかなかったですからね。

小室:
あ、コンビニで流れてることがですか。

リュウイチ:
もう、その日常のテンションてあるじゃないですか。もう、お茶の間でテレビ見てて。そこの電波に自分たちの曲が乗るっていうのが、5〜6年前だったら、そんなにイメージ、ダイレクトにはつかなかったですよね。それが最近になって、例えば友達が「この前カラオケで歌ったけど、歌、難しいね」とかね、「コンビニにいったら、3歳ぐらいの男の子が口ずさんでたよ」とかって言われると、なんかちょっとね。そういう意味では変わってきたのかなっていう感じが。

小室:
なんかビッと窓がありますよね。

スギゾー:
でも、逆に自分たちでびっくりしてるんですけどね。例えば今回の『デザイア』とか、今までも出してた音って、自分たちの思うところによると、一般のシーンよりも激しかったり際どかったりするわけで、そういう曲が今みたいに認められるっていうのは、すごい逆にびっくりしますよね。それでもすごく「やったゼ!」と思うんですけど。自分たちでこういうジャンルでもちゃんとした曲として成立するんだっていうことを、ちょっとは証明できてるかなっていう実感は、最近なんとなくあるんですけどね。

小室:
すごくあると思いますよ。あの、すごくスペース的には今、LUNA SEAとかのスペースっていうのは広いエリアがね、やっぱり空いてると思いますよ、僕なんか。っていうのは自分の責任でもあるんだけど、やっぱりすごくまあ、基本的には打ち込みって称されてしまうんですけどね、そういう音で。あと、もしかしたら女性のヴォーカルであったりとか、なんか非常にポップでコンパクトにまとめてある楽曲だったりっていう曲を、僕の方とかでどんどん送り込んだりしてるわけだし。あとは他にもポップスっていうジャンルでは、どんどん送り込んでるところに、すごく生の音と自然なグルーヴ感で、しかも男のヴォーカルで。で、一見ハードで、でも繊細で、みたいなそういう音がポーンとそこにね、投げられたらすごく新鮮に聞こえるし。それで、そのフィールドっていうのは、またちょっと今、またポッカリ僕なんかはね、空いちゃってるような気もするんですよ。だからまあ、絶対これもバランスなんだけども、こっちがこういうふうに今、ガガガガガァーッと重くなってるんで、こっちの部分はなんか、カラーッみたいな感じになってると思うんですよ。だからすごく今、なんていうのかな? 一番好きに、これ、あんまり考えなくても、そのこっちのバランス考えなくても、どっちかっていうと重めにガーンガーンとやってもらっちゃった方がいいバランスになるんじゃないかなって思ってるんで。なんか今、メチャクチャノリノリの時期だと思うんだよね、俺なんか。今年の96年とかは、そのへんのバランスがきっといい感じにね、なって欲しいなと思うんでね。

スギゾー:
理想としては僕はリスナーにそれを両方とも接してもらいたいですよね。

小室:
うん、そうですね。

スギゾー:
例えばあの、知り合いのね、もっと若い人たちと会っても、例えば学校の中でダンス系の好きな人はダンスしか聴かない。ロック系はロックしか聴かない。で、対立まではいかないですけど、ぜんぜん話しが合わないらしいですよ。

小室:
あ、そうなんですか。

スギゾー:
同じ音楽を聴いててもね。同じ音楽というものに接しててもね。だんだんそれが、例えばいわゆるダンスシーンのものも、ロックシーンのものも、カッコいいものはカッコいいで聴けるような。80年代はそうだったような気がするんですよね。イギリス人ダンスミュージックたくさんあったし、そのへんは僕はすごい聴いてきたし。それがどんどん、どんどんなんか今、日本の中でいうと開いてきたんですよね。それがまた、いい意味で近寄っていければ面白いんじゃないかなと思うんですけどね。

小室:
まあ、なるべくそうですよね。最初、なんかそのまあ、「こういうのもありますよ」っていうカタログみたいな感じでね、始めたところあるからね、僕なんか。そのまあ、ダンスミュージックっていうか、そういう。ちょっとダンスミュージックっていうと広すぎるんですけど。でも、「打ち込みでこういうのあるよ」みたいなね、だったんで。そうだね 、まあ、基本的にはね、なんでもみんな聴くような気もすんだけどね。でも、今、ファッションとかから入るっていうのもあるのかな? わかんないけどね。

スギゾー:
あの、これ、聞いた話しなんですけどね、trfのファンの高校生の女の子で、みんな色を黒くする。LUNA SEAのファンの子は色、白くて髪の毛赤くて、もうそっからぜんぜん違ってって言ってましたけどね。

小室:
でも、リュウイチ君とかって、べつにすごくノーマルですよね。

リュウイチ:
そうですね。最近は。

小室:
最近はですか? 前はちょっと違ったの? 

リュウイチ:
昔はもう全部茶色みたいな。でも、もう何年前? 

スギゾー:
俺が一番ノーマルだね、そう考えるとね。

リュウイチ:
いやいや、いやいや。

スギゾー:
一番アブノーマルだよ、多分、君。

小室:
あ、その差が激しいっていうことですか? 

スギゾー:
そうそう、そう。

リュウイチ:
どうなんでしょうね? 僕、ノーマルだと思ってるんですけどね。

小室:
いきなりすごくなっちゃってたりっていう、そういうわけでもない? 

リュウイチ:
最近、ステージでも、もうあんまり変えないでいて。

小室:
あ、そうなんだ。まあ、べつに、もしも今日、一人でゲストにきてくれてたら、パッと誰も知らなかったらね、「なんの方の歌の人だろう?」って思っちゃうかもしんないぐらいね。

リュウイチ:
そうですね。

小室:
でも、僕はそれでいいと思いますけどね、ぜんぜん。

リュウイチ:
なんかね、僕の場合はずっと中学生ぐらいからやっぱ、ロックっていうものにすごい憧れてて。まず、髪は長くなきゃいけないって自分で思い込んでた部分がすごい強かったと思うんです。

小室:
それはそうですよ。

リュウイチ:
脚も細くなきゃいけない。髪も長くなきゃいけない。当然まあ、美系じゃなきゃいけないし。で、イメージとしては常に影を背負ってなきゃいけないと。これはなんかね、僕のイメージするところのカリスマ性を持ったロッカーたちだったわけですよね。で、自分もいつのまにかそれが好きになって、それがすごく居心地が良くて、多分そういうファッションもしてたと思うし、ずっときた時に。でもね、結局、僕の場合は世の中からちょっとフェイドアウトするっていうか、アウトサイドに生きようと思ってね。「サラリーマンはできないな」って感じで、「歌で生きていきたいな」って思ったわけなのに、どっかで自分でね、こういう方程式みたいの築き上げちゃったわけだから、それがある時すごく鼻にかかっちゃってね。じゃあ、自分がもし、それから外れた時には、自分の生き方だとか自分の歌っていうのは、シンガーとしてね、なんの力も持たないのかな? みたいな。で、もし自分がね、世の中そこらへんにあるものと一緒だったら、早く気付かなきゃいけないなと思って。まず、飾りを取ろうと。

小室:
ああ、なるほどね。

リュウイチ:
で、外から見た時に、ただそこにあるものと同じだったら、そういう評価を早く受けなければいけない。あるチャレンジだったかなっていう。3〜4年ぐらい前だったら。

小室:
それは非常にわかりやすいですね。

リュウイチ:
まあ、すごい勇気もいったし。最初は半信半疑のとこもあったし。でも、自分が輝きたいって本当に思った時に、自分が一番幸せなのって、多分、素のままね、世の中に受け止められた時っていうのが、本当に心から。まあ、素のままっていっても、カメラ向けられるだけでね、それは100%素っていうのは難しいけども。でも、出来るだけ自分を出していこうと。

小室:
あ、そうなんですか。

リュウイチ:
だから、すごく今、音楽やってても幸せだし、ステージ踏むのも苦じゃないしね。

小室:
あ、なるほどね。まあ、っていうことは、ちょっとなんかやっぱり自分でそれだけ削ぎ落としたとこでも、やっぱりなんか感じるものはあったんでしょうね。じゃなかったらね、やっぱり戻るっていうかわかんないけどね。まああの、ビジュアルとかはテーマなりコンセプトによってね、その時その時でべつに変えてもね、いいですからね。

リュウイチ:
うん、本当はね。

小室:
まあ、やっぱりフレキシブルっていう言葉ですかね? まあ、キャパシティとかっていう言葉に近いのかもしれないですけどね。それ、でも、特にヴォーカルの人なんか、そうなんじゃないですかね? 表現方法として。あんまり画一的になっちゃうっていうかね、一個になっちゃうとね。特に歌の声質だけはやっぱり変えられないから。

リュウイチ:
そうなんですよね。

小室:
これだけはもう、オリジナルでずっと背負ってかなきゃっていうか、しょってかなきゃいけないわけですからね。その分例えばそういうビジュアルだったりとか、そういった他の表現方法はなんか、かなり自由度を持ってた方がね、いいかもしんないね。あの、よくゲストの人は、もう本当に大事なスゴい声を持ってる人がよくここに来てくれるんで、もう、それがみんなにいつも聞きたいことだったりしてて。それ、もう、何十年背負って、自分の声を。責任持ってやってかなきゃなんないから、すごく大変なんじゃないかなって思ってて。

リュウイチ:
でも、小室さんはそういうところ、逆に勝負してるような気が、僕はしたんですけどね。だから、僕、小室さんの曲は、僕、アレンジに関しては素人っていうか、そんなに詳しくないんですけど、やっぱりメロディがいいんだと思うんですよ。ア・カペラで聞いても。

小室:
ア・カペラで? 

リュウイチ:
ア・カペラで聴いても、打ち込みがなくても、メロディがやっぱりいいと思うんですよね。メロディと詞が。で、なんか、もしかしたらだけど、当然、自分がいいと思ったヴォーカリストに曲を提供してるんだと思うけど、でも、自分の曲とヴォーカリストの、「このヴォーカリストが歌ったから売れる曲」っていうのも過去にあったと思うんですよ。芸能界チックな音楽業界の中では。でも、もっとアーティスティックなところに戻れば、メロディと詞。そこが一番やっぱり基本だと思うから。その勝負をね、多分、小室さんはしてるんじゃないかなって気がしててね。だから、僕なんか逆に、そういう人たちがいる中でも、どんな曲歌っても自分が歌えば自分節になるっていうところで勝負したいなと思うけど。だから、今、歌謡曲もね、こういうアーティスティックな音楽っていうのも、差がなくなったと思うんですよ。

小室:
ええ、ええ。そうですね。

リュウイチ:
それは昔いた、芸能人の誰々が歌うから流行るっていうことじゃなくて、例えば小室さんみたいに、その自分のカラーをもった作曲者っていう人たちがいて、音楽を伝えてってるからかなっていうのがあって、それをスゴい感じてましたよ、僕は。

小室:
そうですね。まあ、あの、当然カリスマっていう部分ではね、そういったシンガーだったりアーティストっていう人の、もう強力な人が現れた場合は、もう全部喰っちゃうっていうか。

リュウイチ:
ありますよね。

小室:
全てをね、食べ尽くしてしまうような人たちもいると思うから。まあ、そういう人にも、もちろん会いたいよね。そういう人にも出会いたいし。そういう人のためになんかサポートしたいっていう気持ちも、まあ、未だにあるけどね、そこらへんはね。やっぱり僕の場合はあの、言ってみればないものねだりですよね。これもよく、ここのゲストの人たちと話すんだけど、僕はギター大好きで、ギターがウマく弾けて表現ができたら、それはスゴいいいなと憧れたりとか。あと、歌、いい声質をもってる人、表現できる人に憧れるわけですよね。だからまあ、その無い部分を自分で何できるかっていうところで、詞だったりメロディだったり音だったりっていうのでやろうって。まあ、そこはまあ、勝負かもしれないし。

スギゾー:
スゴいわかりますね。だって、僕も、本当だったらヴォーカリストになりたかったですもん、昔。

リュウイチ:
でも、ウチのバンドもね、こういう考えを持ってくれてるから、すごく一緒にやってて楽しいんですよね。みんなが勝負しないと、誰かに誰かが頼ってるとかじゃなくて、5人がね、自分たちのパートでもいいし、なんかいいところを勝負してないとつまんないですね。

スギゾー:
そうだよね 。

小室:
つまんないですね、それはね。

スギゾー:
やっぱりあの、なにかを反動にして俺たちは上がってきてると思うんですよね。例えば小室さんと俺と今「あ、近いな」と思ったのは、僕もやっぱり自分の声質が好きじゃなくて、歌えれば歌ってたかもしんないですけど、それができないからギターが弾けたりとか曲が書けたり、やっぱり何よりもいいアレンジに耳がいく。そういう音を作る方向に。

リュウイチ:
いや、あの、僕は歌う人間で、こういうことを言うと、他のヴォーカリストの人たちに怒られちゃうかもしんないけど、シンガーって、多分プロデュース能力が無い人間がなるんですよ。誰の声がいいって、多分まあ、あるんだろうけど。小室さんはそういうプロデュース能力があるから冷静に自分の声を判断しちゃいますよね? 

小室:
ええ、ええ。しちゃいますね。

リュウイチ:
僕はプロデュース能力がなかったから、自分の声を愛して歌ってきたんですよ。でも、二人ともね、プロデュース能力あるから、自分の声に対して採点をするんですよ。でも、僕は歌った時に気持ちいいと思って、何十人かいた時に、たった一人でも笑ってくれてれば「ああ、自分の声、よかったんだな」って、それで初めは多分、満足してたから歩いてこれたんだと思うのね。だからね、冷静じゃない人間がね、けっこうシンガーになるべきで。

スギゾー:
でもね、逆も言えると思うんですよね。例えば元々やっぱりね、持ってる資質から、本当に歌い上げるのがウマい人がいたとする。で、曲、書けました。例えばアレンジとかコードがぜんぜん当たってても、自分のいい歌とウマい歌い方で、全てを食べ尽くしちゃうっていう人もいると思うんだよね。だから、良くも悪くもね、歌がなまじっか本当にウマい人っていうのは、やっぱりそこで満足しちゃうから、例えばアレンジどうこうとか、コード感どう、テンションどうっていう方向までにいかない人もいるのかなとは思いますね。

小室:
まあ、もう何世代か前の時期っていうのは、それでもうその作品として完成してる人もたくさんいたと思うからね。あったと思いますよ、それはね。でも、確かに冷静な部分はね、やっぱ持っちゃうよね。

リュウイチ:
そうなんですよね。

小室:
あとね、やっぱりここ最近になってね、自分の生まれてからの自分の性格とか、また改めてね、そういうのですごい感じますね。なんかすごくね、本当にあの、なんかけっこう細かいことを、繊細っていうと聞こえはいいけど、「細かいことを気にするヤツだな」とかね。最近になって自分で思ったりして。だから、一応、今はお陰様で「必ず百万人対象」とか言われますよね。ミリオンの人間を対象にとか。「百万人で、じゃあ、5人、6人、なんか文句いってもいいじゃないか」という考えはあってもいいはずなんだけど、一人がやっぱり「ちょっと良くないよね」って言っただけでもうダメですからね、なんか。もちろん言ってる人はこの今の時間でも間違いなくいるんだけど、いるとは思いつつも、とりあえず耳に入った時点で、やっぱその人のこと考えちゃうんですよね。あの、だから、「あの曲の歌い出しの言葉は、やっぱあれはないよね」って例えば言われた時。まあ、それが正解じゃないにしろ、やっぱりね、寝られなくなっちゃいますね。

スギゾー:
それは例えば悔しいとか? 

小室:
どういう気持ちだかわかんないんだけど。

スギゾー:
そいつを「じゃあ満足させてやろうじゃないか」っていう? 

小室:
そういうことでしょうね。その人も満足しないと困っちゃうんですよね。

スギゾー:
なるほど。

リュウイチ:
僕、けっこうだから、反対なのかもしれない。

スギゾー:
それは反対ですね。

リュウイチ:
一人か二人べつにいても、「あ、そう思うんだ」って。「でも、俺、こう思うんだよ」で終わっちゃってるっていう。

スギゾー:
だから、君は100人に言われても「べつに、俺一人が良ければいいんだ」っていうタイプだね。

リュウイチ:
いや、100人に言われたらやっぱりそれは考えますよ。

スギゾー:
あ、そう? 

小室:
それはちょっと辛いよね。

リュウイチ:
でも、5人に一人ぐらいだったらまあ、けっこう押しちゃうかもしんない。

スギゾー:
でも、5万人だったら1万人だよ。

リュウイチ:
いや、そう考えると怖いんだけど。

小室:
だから、本当、ここまでね、気を遣わなくてもいいんじゃないかと思う時も、自分でもあるぐらいでね。ただ、そこらへんはちょっと細かいなんていうのかな? 最近になってまた気が付いたりするんだけどね。まあ、すごくもっと大ざっぱなとこもたくさんあるんですけどね。一般的にいうO型なんですけど、僕。あんま関係あるのか知らないですけど。

スギゾー:
僕もO型です。

リュウイチ:
僕もO型で。

小室:
で、よく大ざっぱとか言われますけど。

スギゾー:
いや、それは多分あると思います。O型のヤツっていうのは、こだわるところには以上にこだわるらしいですね。そのかわり、適当なとこは本当、適当でね。らしいですよ。

小室:
かもしれないけどね。

スギゾー:
俺は完璧だけど。

小室:
だからもう、そういうのでね。だからね、レコーディングとかでも、最後の最後まで、やっぱり時間かかっちゃうよね。最後のなんかちょっと手が、ちょっと滑っちゃったりするじゃないですか。フェーダーでコンピューター打ち込む時に。で、音は変わらないんだけど、滑ったことをプレスされちゃって、ジャケットもできて上がってきた時に思い出しちゃうんですよ。「あそこで手、滑って何デシベル上がってたな」っていうのが残っちゃうんだよね。

スギゾー:
スゴいわかりますね。

小室:
そうするともう、「やっぱ十万枚買い取ろうかな」とかね。っていう気分になる時もあるんですよ。

リュウイチ:
過去にヴォーカリストでいた。そういう先輩が。名前は言えないですけど。

スギゾー:
でも、ありますよ。やっぱりウチのCDでものスゴいのたくさんある。ここの部分のここが、ほんの秒数にしたら0.1秒かもしんないけど、それがこびりついてて。それを忘れるのにやっぱり、アルバムが出てから2〜3年かかりますね。

小室:
うん。

スギゾー:
一回、自分の中から、全て出して、で、改めて何年か後に聴いた時に「あ、今聴くと気になんねぇからいいや」っていうのもありますね。

小室:
そうなんだよね。そこがO型なのかもしんないけど。俺も聴いて忘れちゃったりする時もあるんだけどね、それは。でもまあ、気になりだすとやっぱりダメだね、そこらへんはね。

スギゾー:
その曲を聴くと、レコーディングのスタジオとか思い出しますもんね。「あの時しんどかったなぁ」とかね。

小室:
ありますよね、そういうのね。だからまあ、歌なんか、まあ、ちょっと話し飛んじゃったんだけど、自分のヴォーカルとか歌で何曲が俺、ソロとかで出さなきゃいけなかったりもしたんで、そういうの歌ったりしたのとかありますけどね。やっぱりね、もうぜんぜんダメだったね。ダメだったっていうのは自分の中ではね。

スギゾー:
満足度がなかったんですか? 

小室:
満足なんていうのはもう、とんでもなかったけども。やっぱり、なんていうんですかね? やっぱ恥ずかしいですね。なんか劣等感もまずある部分があったから。まあ、早くこれはファンの人の中で満足して、もう引き出しにでも収めてほしいみたいなね、感じだった時もありましたね。まあ、今はもう、それ以来、僕はいっさいやってないし、まあ、今後もまずないと思うんだけどね、自分の中では。

スギゾー:
話しぜんぜん変わるんですけど、その時にあの、ニューヨークでウォーレンとやってましたね。

小室:
うん。あの、そうそう。まあ、そういうソロの話しがあったから、ウォーレンとかね、出会えたことは出会えたんだけどね。

スギゾー:
スゴい好きなんですよ、僕、あの人。

小室:
なんとなく雰囲気が似てるかもしんないですね。

スギゾー:
ぜんぜん話し違うんですけどね。DURAN DURANの『    』で、出られましたもんね。

小室:
はいはい。

スギゾー:
見ましたものね。

小室:
ありがとうございます。もうずいぶん前なんですけどね。そう、だから、ああいう時はね、キーボードであったりとか、そういう時っていうのは、やっぱさすがにそこらへんはなんか、ある程度肩に自信しょっちゃったりしてますけどね。いや、歌とか、立ち位置センターっていうのも、スゴいそれも一つ歌に近いけど、センターっていうの僕、ダメなんですよ。非常に居心地悪いんですよ。

リュウイチ:
でもあの、僕みたいな若僧が言うのも変ですけど、センター似合いますよね。

小室:
そうですかね? 

リュウイチ:
っていうか、ミュージシャンまあ、いろんな人たちがいて、いろんな光を持ってると思うんですけど、ブラウン管を見ててやっぱり目がいきますからね。

小室:
あ、でも、そういうのはすごい嬉しいね。僕も、そういう経験は、中学・高校からずっと見ててね、あるからね。どうしても追っちゃう人、ミュージシャンとかでも。

スギゾー:
そういう人は、元々持ってるんだと思いますけどね、多分。例えばね、中学生の時の卒業写真見ても多分、ちゃんとそう見えるんじゃないかな? 

リュウイチ:
それ、俺、ダメだ。

スギゾー:
元々持ってるものだと思う。

小室:
中学のアルバムの写真とか。

リュウイチ:
ダメですね。

スギゾー:
僕も大嫌いなんだけど。でも、なにかしらある人は、あるんじゃないかな? 

小室:
どうなんですかね? まあ、そうね。やっぱりでも、もうそういうのはしょうがないよね。自分の中でそういう、どうしても肩のところらへんが寒い感じがするっていうか、そういう場所ってあるんだよね、なんかね。だから、コンソールとか、ああいうスタジオのセンターはセンターでいますけどね、当然ね。そうじゃないとやっぱり。

スギゾー:
スゴいわかりますよね。

リュウイチ:
もう一つ深いところで捉えると、まあ、僕、ちょうど真ん中にいて、両脇にいらっしゃますけど、その位置のがカッコよく見えるっていうところも、どっかで感じてるんじゃないですか? じつは二人とも。

小室:
ああ、それもあるかもしれないです。

リュウイチ:
ヴォーカリストって、どっちかっていうと歌っててアピールしてるんだけど、大袈裟なイメージがあるでしょ、どうしても。囁くように歌うヤツって、そういないですよね。でも無口で横でギター弾いてたりだとか、鍵盤に手をかざしてたりするその、ちょっと影があるっていうところに目がいっちゃう時もありますからね。

小室:
それ、深いですね。

リュウイチ:
深いですよね。

小室:
だから、本当はそっちが好きだったら、そういうスタイルをしょってたりね。そうしてるかもしれないよね。

リュウイチ:
ええ。っていうのもありますよね。

スギゾー:
だから、ヴォーカリストじゃなくて、横にいるギタリストがカッコいいとかいう美学だよね。

リュウイチ:
うん。そういうのもあるよね。

小室:
それもわかるね。まあ、なんかこれ、恋愛とかにまでなんかね、いろいろ当てはめられると思いますよ。人生の生き方とかね。全部シュミレーションできると思うけど。そういうちょっとね、なんか多少引くなり、影なり、まあ影ってコントラストがあるってことですけどね。そういう方が自分を出しやすいんだよね。出しやすいとこもあるんだよね、きっとね。まあ、人によってはそれがすごくズルく見える時もあって。まあ、「もっと真ん中で喋んなよ」みたいな感じの時もあるわけだし。だから、それは違う場所でそれをしっかり責任を取ってっていうか、ちゃんと発言しなきゃいけないこともあるんで、だからまあ、こういうテレビとかで喋んなきゃいけないとは思ったりもしてるわけね。それも、全てビハインドっていうのは、ちょっとやっぱりあまりにもズルいかなと思う時もあるわけで。そういう自分の中でバランスは取ってるんですけどね。だからなんか、ヴォーカリストの人とかのセンターで歌って、まあ、やっぱりピンも何十本も当たらざるを得なくて、で、表現も全部その肉体使って出さなきゃいけなくてっていう人は、逆に僕はなんか、あんまりね、そんな他のメディアでそれほど表現しなくても、それはもう充分だと思ったりする時もありますよね。だから、僕はあの、こういう立場でズルいというか、「もうちょっとちゃんと言いたいこと言ってくんなきゃわかんないよ」っていう人のために、やぱある程度こうやって喋ったりとかして、説明とかもしてるんですけどね。まあ、なんていったらいいかな? 難しい、今、なかなかない立場なんでね、その立ち位置が難しいんですけどね。

リュウイチ:
そうですよね。

スギゾー:
でも、やっぱり最終的にはみんなの目標じゃないですかね? 自分だけしか持ってない立ち位置を作りたいっていう。

小室:
うんうん。まあ、そういうのもあるかもね。

スギゾー:
だから、レールを敷かれてるんじゃなくて、自分でレールを作りたいっていう願望は、多分ね、音楽やってる人間ならみんなあると思いますね。今、日本で一番それを築けたのが小室さんじゃないかなと思うし。

小室:
まあ、なんかはね、少しずつはね。あの、世代的にもう一世代も二世代も新しい人たちが出てきてるんだけども、一応、少なくとも過去30年ぐらいの日本の音楽の中は、少しは変わってきてるとは思うけどね。だから、早く他の国にネットしないとっていうのが、これが一番アセってることですね、僕がね。もう、これは裏作業としては、もう一生懸命やってるんですけどね。それはネットしないとっていう感じで。

スギゾー:
もうだってね、市場的には日本はでかくなってきてますからね。じつはスゴく。ただ、まだ鎖国の名残があるのかもしれないですけどね。

リュウイチ:
本当? 

スギゾー:
わかんないけど。なかなかやっぱり、例えばイギリスとさ、アメリカっていうのはスゴいつながりがあるじゃない。シーンとして。ただ、イギリスの市場って、日本よりちっちゃいですか? 

小室:
ちっちゃいですよ。

スギゾー:
ちっちゃいですよね。

小室:
ぜんぜんちっちゃいですよ。だから、なかなか回らないんだよね。まあ、ロンドン→ニューヨーク、それでまあ、そこからまずね、今、西側に回らないっていう状況があるから。あの、いわゆる最終的にハリウッドにいかないっていうか。ロスまで戻んないんですよね。で、ロスまで戻んないと、また日本に戻ってこれないっていう状況があるから。まあ、そんな感じですね。あの、ビデオのですね、テープがもう終わっちゃうんですね、これ。

リュウイチ:
はい。

小室:
そろそろじゃあ。

スギゾー:
そんな長くもう話してるんですか? 

小室:
っていうか、もうありませんか。初めてのコメントですね。っていう感じで、あの、けっこうあれですよね? trfのメンバーとスギゾー君が? 

スギゾー:
スゴい仲良いですね。

リュウイチ:
僕、一度お会いしてます。

小室:
見にもいったりしてるんじゃですか? じゃあ。trfのメンバーは、LUNA SEAのコンサートをね。

リュウイチ:
2回? 

スギゾー:
うん。2回来てくれた。

小室:
すごくそれも面白くていいなぁと思うんですけどね。あの、機会はたくさんあると思うんで、またお話しをさせてください。

スギゾー:
そうですね。はい。今後もよろしくお願いします。

リュウイチ:
よろしくお願いします。

小室:
ありがとうございました。

スギゾー:
はい、ありがとうございました。

リュウイチ:
ありがとうございました。


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