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![]() FACTORY8 #0011 : 小西康陽 ロングトーク
ロックンロールロックンロールって何だろう?っていつも思うけど,なんかやっぱ衝動みたいなものだと思うのね.なんか女の子を見て「アッ,あのコ好き!」っていうような,ほとんどそういう何か,リビドーっていうかさ,お猿さんっていうかさ,なんかこう反射的に駆り立てられるものっていうか,そういうものがロックンロールだと思うな.で,僕,あんまりロックンローラーみたいに見えないかも知んないけど,そういう衝動みたいなものに対する反応は,結構,昔から人一倍強いかなと思って. たいていのDJってさ,自分でレコードかけながら踊らないんだけど,僕は踊るのね.例えば,ジェームズ・ブラウンのレコード聴いたときに,踊らない方がおかしいって思ったりしてるんだ.だから,いいコに会ったら抱きたいってさ,本当に何かきれいな女の子とか,あるいは洋服屋行って欲しい洋服見たときとか,本屋で買いたい本に出会った時って,その,ウーンって迷ったりするもんじゃないでしょ?その場で衝動買いするじゃない.その衝動っていうか,それがいかに短いか,それにロックンロールがあるような気がするのね.たとえば,サティスファクションのイントロとかさ,何でもいいんだけど.もう聴いたとたんに「アアー」ってなっちゃうような. 小西康陽 1969![]() 音楽凄く大好きになったのはやはりテレビのおかげなんですけどね.そう,フジテレビで「ビートポップス」っていう番組があって,大橋巨泉さんが司会で,両側に木崎よしじさんと星加ルミ子さんがいて,なんかトップサーティーの番組だったんですけど.タイガースが見たくてテレビを点けたのを覚えてて,もちろんタイガースも良かったんですけど,すぐに洋楽に目覚めちゃいました. で,「ビートポップス」を通じて知った,僕が最初に何枚か買ったシングルというのが,僕にはすごく大きな影響を与えてるかもしれない.それは例えばゾンビーズの「ふたりのシーズン」だったり,あるいはドアーズの「タッチ・ミー」だったり,うん,その二曲はでかいな.「ふたりのシーズン」って「ビートポップス」で一位になったんですよ.で,なんかフジテレビの一番でかいスタジオだったんだと思うんだけど,ゴーゴーダンサーがすごい暗い灯りの中で踊ってて,それであのオルガンの音でしょ.あれが,結構,僕にとってのロックンロールの原点なのかもしれない. 僕,自分で音楽作るときにあんまりギター使わないんですよね.ドラムとベースとキーボードで成立する音楽が多いんだけど,それって「ビートポップス」で見たゾンビーズの「ふたりのシーズン」の体験がでかいかもしれない.ボーカルはささやくような感じでさ,とりあえずギャルは踊ってなきゃなんないってさ,そういう感じ. 小西康陽 1972僕,札幌に帰ったのって中学一年になってからなんですけど,そのころ東京ってなんかすごい大変なことになっている町で,要するに安保闘争とかさ,あったじゃないですか.で,なんか,渋谷にマンガ読みに行こうと思ったら,機動隊とデモ行進とかがぶつかっちゃって,で,バスが渋滞してたりして.町中にアングラ演劇のポスターとかいっぱい張ってあったし.そういうものが札幌に転校してったら,きれいに何も無くなってて. もうね,札幌に帰ってからマンガとかもう全然読まなくなってた.もう音楽一辺倒だった.そして,小学校から中学校に上がったんで,シングル版からLPの時代へ”突入”って言う感じですかね.ピンク・フロイドの『原子心母』を買って,エルトン・ジョンのサードアルバム買って,クロスビー,スティルス,ナッシュ・アンド・ヤング(Crosby,Stills,Nash & Young)買って,で,だいたい”オレの人生決まった”って感じですかね. そして,はっぴいえんど! 小西康陽 1977高校に上がるといよいよ,学校帰りには必ずレコードやさんに寄ってるっていう暮らしになってて.で,「もう札幌でオレよりマニアックなレコード持ってるヤツはいない」っていうかね,高校一年とかなのにね,思ってたりして.でも,実際そうだったと思うんだけどね. そしたら,なんか「はちみつぱい」っていうバンドをやってた和田博巳さんていう人が,バンド解散して止めて,札幌に戻って喫茶店を開いたっていう話を聞いたのが高校三年の夏の,7月かな.で,和田さんと,もう一人,清水あつしさんていう人がふたりでお店にいて.で,僕,音楽雑誌でしか見たことのない超レアのシンガーソングライターのレコードが,そういうのがすっごいちっちゃい音でかかってて.普通,ロック喫茶っていうと,大音量ですごい暗くて,で,高校生のくせにこうタバコを吸ったりして,そういう感じで音楽を聴いてる感じだったんだけど,その和田コーヒー店は音がすごいちっちゃいことにすごいショックを受けた.で,なんか,ちょっとレコードの話なんかすると何でも知っているっていう感じなのね.はまっちゃったな,僕.高校三年生の二学期以降は完全に入り浸っていましたね. うん,本当にそのころはね音楽に飢えてた.毎日,何かレコード屋さんに行って,そのお店のレコードを見るんじゃなくてカタログを見せて貰ってた.「まだこんなレコードがカタログに残ってるんだ」とか思って,で,それを注文したりとか.なんかそういう毎日だった. 小西康陽 1979![]() 大学に入っても音楽サークルに入って,でもサークル活動とかあんまり好きじゃなくて.授業終わると友達と喫茶店に行って,その後渋谷の,今度は渋谷の「ディスク・ユニオン」を起点にして中古版屋さんに行って買ってくるとか. で,ある時,大学三年だったかな?そのころやってたバンドが解散しちゃったんですよ.で,なんかやること無くなっちゃって.暇になっちゃって.それから映画ばっかり見るようになったのかな.家の近所で,近所といっても歩いて30分ぐらいかかったんだけど,お金無いから,そのころはどこでも歩く生活だったのね.で,歩いて30分ぐらいの川のほとりに映画館があって,そこでクリント・イーストウッド三本立てを観て,それからなんか映画ばかり観る生活になって.なんか年間で300本ぐらい観るような,そういう毎日を5年ぐらいやってた. ゴダールのね,「女は女である」っていう映画を観たんですよ.あれはどこで観たのかなぁ,日仏会館かなぁ,全然,字幕とか無かったんだけど,もうともかく画がきれいで,アンナ・カリーナとベルモンドが踊るシーンがあったりして.そん時に,「僕が作りたいのはこれだ!」って思ったもん.音楽なのか,映画なのか,何なのか分からないけれど何か作りたかったのね.何を作ったらいいか分からなかったし,自分に何が作れるか分からなかったんだけど,なんか,「やりたいのはこういう感じだ」って思ったのね.で,結局,自分には音楽が出来るっていうことがしばらくして分かって,それでなんか,そういうエッセンスのある音楽っていうのを探していくとピチカート・ファイブになったっていう感じかな. 小西康陽 1982音楽やる決心はねぇ,やっぱり,ある日,友達がウチに4トラックのマルチトラックのテープレコーダーを持ってきた,MTRっていうんですか.それでなんかデモテープを作って.で,そのときにDX-7っていうシンセを持ってきて,それで作り出したのね.あれがだから僕にとってのきっかけかなぁ.「僕でも音楽が作れるんだ」って思ったの.結局,僕,楽器の演奏とか出来なかったし,あんまり上手に.で,耳だけはすごく肥えてたんだけど,みたいな.で,どうやって表現したらいいか分かんなかったんだけど,「これなら僕にも作れるかもしれない」って思ったの. いま尋ねられて本当に思ったんだけど,僕,もし何歳か年下でコンピュータと出会ったりしたら,たぶん,僕,美術とかグラフィックデザインの世界に行ったかもしれないなって思うな. 小西康陽 詞![]() 『風街ろまん』に関して言えば,結局,そのころの音楽で一番おしゃれだったっていうか,すごい洗練されているっていうか,メジャーセブンスのコード進行の響きとか,あるいはマイナーセブンスのコード進行の響きとか,そういうのがすごく格好良く聞こえたの.その後すぐ聴いた大瀧(詠一)さんのソロアルバム,それはなんかもう聴いたことのない音楽が詰まってた.それはつまり,僕が音楽を聴く以前の,つまりビートルズ以前の音楽のエッセンスが入っていたということなんですけど.あとなんか,お笑いの要素っていうかね,そういうユーモアのセンスみたいなのが「すごいなぁ」って思った. やっぱ,はっぴいえんど聴いてて,松本隆さんていうね,人がいて,あの人が全て詞を書いていたわけですけど.中学生の僕でも分かるぐらい,その,スタイリストだったというかね,完全に言葉とか選んであって.そのころ,それ以前に,歌詞についてあんまりこう注目したことがなかったから.僕も,いまだから正直に告白できるけれど,松本隆さんにはスゴイ影響受けたかもしれない.なんか,松本隆さんが書いているような言葉使いでさ,ラブレターとか書いたことあるもん.ダセェー(笑) それで自分でも「作詞したいなぁー」とか「作曲したいなぁー」って思うようになってからは,でも,ああいう松本さんみたいにね,完全にスタイリッシュな構築されたものは出来ないっていうか,自分とは合わないっていうか,まあ,松本さんみたいに格好良くないっていうか,そういうような気持ちがあって.で,もっと自然に惹かれていったのが細野(晴臣)さんの歌詞なんですよね.あるいは大滝さんとか,あるいは,すぐ後に出てくる,山下達郎さんとか,あるいは近田さんとか.細野さんの作る歌詞って松本さんに比べて,もっとずっと普通っていうか,でもなんか曲にピッタリ合っているっていうか.そして,もっと遡る感じでムッシュとか.かまやつさんの詞っていうのも,なんて言うのかな,もう松本さんと比べたら,全然,詞っていうよりは普通のただの言葉っていう感じなんだけど,でも曲にはピッタリ合っているっていうか.なんか「こういうもの作れたらいいな」ってずっと思ってて. 小西康陽 1999いま,一番やってて楽しいのが,なぜかTシャツ作りなんですけどね.自分でも何か,信じられないぐらいはまったっていうか.単純にね,自分の着たいTシャツを作りたいってだけだったんですけどね.楽しいんですよね.なんか出来上がってくる喜びっていうか.うん,僕なんか,いつも思ったり閃いたりしたアイディアを,もう,すぐその場で出来たらいいなって思ってて.だから,音楽もなんかサンプリングとか使うようになってきて,もう思っているイメージをそのまま使うっていうような感じでしょ.なんかTシャツって,音楽以上にインスタントでダイレクトなものがあって,これは自分の作りたいものにすごい近いって思った. いま,このTシャツ熱って,ピチカート・ファイブの音楽とすごいなんか関係してるっていうか,反動があると思うのね.ピチカート・ファイブの音楽って,やっぱり一番,僕もピチカートでがんばってやってこうっていうのがあって,なるべく閃いたアイディアをすぐ曲にしようって,そういうポラロイドみたいな,インスタントな感じにしようって思ったんだけど.最近,ピチカートって,自分でも知らないうちに,何かこうベテランのバンドになっちゃって.で,たいていの思いついたアイディアが,昔やったことがあるとか,あるいは,もう誰かがやってるとか,あるいは,他の人のレコードでやったとか.そうするとピチカート・ファイブの次の音楽作るときは段々とハードルが高くなっちゃう.気にせずに同じことやればいいんだけど,考え出すと,なんかスロースターターになるというか.いま,ピチカートの曲を作るのにすごい時間がかかるんですよ.でも,その反面,誰かのリミックスを考えたりすると,もう絶対,二日で作れちゃうし,へたすりゃ一日で作っちゃうし,みたいな.なんか,そういうスピード感みたいなのが好きで,なんかTシャツって,もしかして音楽よりも早いかもって思って. 小西康陽 TOKYO![]() 無くてもいいものがあるっていうのが東京のいいところじゃないかな.でも,なんか音楽でも映画でもね,そのエンターテイメントみたいなものを突き詰めていくと,こう…あるひとつの形が生まれると思うのね.なんだろう…,フレッド・アステアのダンスとかさ,あるいはミシェル・ルグランの音楽って,もうすごいおいしいお寿司やさんの握りとかに近いものだと思うのね.すごい上手な床屋さんとか.なんか知り合いにすごいうまいヘアカットの人がいて,その人に家まで来て貰って髪切って貰ったりしたら,それってものすごい贅沢じゃないですか.なんか,僕の考えるエンタテイメントってそういうものじゃないかって思って.ピチカートの音楽作る時って,結構,自分の個人的な興味とか,個人的な好みとかを音楽にしてるんだけど,それをこう外に出す時っていうか,そういう時にはなるべく楽しめるものに変えたいっていうか.東京ってなんか,少しだけそういうのが分かる人がいるかなぁって思う.パリとかニューヨークはもっといるのかもしれないし,東京の方が多いのかもしれないし,分かんないんだけども.でも,洗練されることって,人に優しくサービスすることにすごい近くなるって気がするけど. |
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