|
FACTORY #0154 : KEMURI - Special
アーティストやライブに関して,MCの方,制作陣,そしてみなさんからのレスポンスを記録してます.
Interview after LIVE 2006.07.21
- 社長:
- (資料を読み上げて)”デビュー当時はアメリカのライブハウスでデモテープを配りながら活動を続けていた”.これは10年前の話?
- 伊藤:
- 10年前ですね.95年に作って津田君と二人で作って,一緒にやろうという事になったのはいいんですが,僕だけアメリカに行くことになってたんですよね,その前に.
- 社長:
- それは音楽やるために?
- 伊藤:
- 音楽やるためにというか,日本にもう帰って来ないつもりだったんですよ.当時ね.向こうでなんかやろうかなと思って.でも,その津田君と一緒に作ったKEMURIという名前で,デモテープを持って.当時,その,スカ・パンクっていう音楽がアンダーグラウンドですごく熱くて,流行ってて,アメリカで.たくさんショーがあったんですね.そこにリュックサックに向こうでテープ作って,デュプリケートして,配りに行って,バンドのメンバーとかに当時,一人一人に渡すんです.パッパッと.楽器屋の店員にまで渡した,デモテープ.それで,次に行くと「ああ,テープ聴いた,良かったよ」なんて感じで仲良くなって,だいたい3回目ぐらいでゲストリストに入れてくれる.
- 社長:
- オオォー!!
- 伊藤:
- そんなような流れで.
- 社長:
- ちなみにそれはどこの都市なんですか?
- 伊藤:
- それはね,LAですね.
- 社長:
- じゃあ,本当に,足で回って,コネクションを作って,聴いてもらって.
- 伊藤:
- もう本当に,いつ止まるか分かんないぐらいの車買って,それでいろんなところに行ってた.
- 社長:
- その時期はどのくらい続いたんですか?
- 伊藤:
- それはね,でも1年.結局,アメリカに住んでたのが,その時1年でしたから.それで配ったテープが,まあ本当に幸運にも,レコード,アルバム契約になって.それで日本に帰って来ることになった.
- 社長:
- あ,そうなんだ.じゃあ,まさに汗の結晶みたいなところから始まっているわけですよね.
- 伊藤:
- そうですね.まあ,汗といえば汗なんですけど.
- 社長:
- いや,汗でしょう.
- 伊藤:
- いや,おもしろかったですよ.当時アメリカのそういうシーンっていうのが非常におもしろかった.
- 社長:
- そのアメリカにも,いわゆる,スカっていうんですか,スカ・パンクっていうシーンはもうあったわけですよね.
- 伊藤:
- そうなんです.まさにその時,本当にパァッと出てきて.それまで,あんまりアメリカってメジャーで大ブレークはしなかったんですけど,スカっていうのは.それからじゃないですかね,95,96,97,それぐらいの時.
- 社長:
- いわゆる,僕のイメージでスカっていうと,この裏打ちのホーンの音っていう印象があるんですけど,その解釈は間違ってないんですかね.
- 伊藤:
- 間違ってないよね.
- コバヤシ:
- まあ,そうですね.
- 社長:
- 僕らはSOIL&"PIMP"SESSIONSっていうバンドを,「どんなバンド?」って人が話しているのを聞いて「スカバンドだよ」って言われてたことがあるんですけど,僕ら,一回も裏打ちの曲をやったことがなくて(笑).そこはちょっと理解しておいていただきたいなって思うんですけど.
スカってもともとジャマイカの音楽ですよね?その裏打ちの.そこからどうやってパンクに繋がっていったんですか?
- 伊藤:
- う〜〜ん,あの〜.たぶん,アメリカで,誰だろう?たぶんオペレーション・アイビー(Operation Ivy)かね?パンクっぽいスカっていう最初のヤツ.スカンキン・ピックル(Skankin' Pickle),フィッシュボーン(Fishbone),まあクラッシュ(Crash)がそうか.パンク好きな人はスカとかレゲエとか好きっていうのはあるんじゃないですかね.
- 社長:
- そういうのが合わさっていって...
- 伊藤:
- そうですね,僕の,KEMURIの場合は,曲を当時大半を書いていたのは津田君で,彼はハードコアとかパンクが大好きで.で,スカっていうのはおもしろい.それでホーンと一緒にやろうと始めて.で,僕はあまりそっちの方向,分からないんですよ,疎いんですよ.それでなんかこう二人がちょうど良いところでやった音楽が,まあKEMURIの音楽になった.スカパンクという.ちょうどなんかね,自然な感じでなったんですね.
- 社長:
- 逆に,その10年前の日本のシーンていうのはどうでしたか?
- 伊藤:
- 10年前の日本のシーンは..あの,すごく良かったと思います.ハイスタンダードとかがやっぱり,ファーストアルバムとか出してすごい人気があって.今までとちょっと新しい形のパンクロックとかいうバンドが,しかも自分たちでやってやろうという気概を持ったバンドがたくさん出てきて.
- 社長:
- すごい熱を持ってた時期ですよね.
- 伊藤:
- そうだと思いますね
- 社長:
- 僕はまだその時高校生でしたね,たぶんね.
- YUUKI:
- (KEMURIメンバーのどよめきを見て)その驚きはなんですか!?
- 伊藤:
- すっごい,みんな驚きましたよ,今.
- 社長:
- 若干,28歳です,僕.いま.僕のことはどうでもいいんです.
- 南:
- 午年ですか?
- 社長:
- 午年です.
- 伊藤:
- えっ午年?おおぉー.
- コバヤシ:
- ライブ見てます,僕.
- 社長:
- 本当ですか?ありがとうございます.僕のことはどうでも良いんですけどね.
- 伊藤:
- あのとき,あれじゃなかった?フジロックでSOIL&"PIMP"SESSIONSとKEMURIが出て,その後,外道だったんだよね.微妙に濃かったんですよね.
- 社長:
- そうですね,僕ら初めてのフジロック.2003年.あんとき,僕らも雨を上がらせましたよ.
- 南:
- そうですね,そのタイミングだったですね.太陽が出てきて.
- 社長:
- そうですね.会うのってそれ以来でしたっけ.なんかフミオさんにはすごい会っている気がする,違うところでよくお名前を聞くもので.
- 伊藤:
- ねっ.
- 社長:
- ねっ.今度一緒に行きましょうね.
- 伊藤:
- お願いします.
|