2009年2月26日放送

愛馬との絆が生む奇跡


2_01  2005年、岩手県があるニュースで沸き返った。 それは80年ぶりに盛岡に馬車が復活するという小さなニュースだったが、そこには不可能と言われた夢を実現させた1人の女性とパートナーの奇跡の物語があった。
 物語の始まりは今から12年前。 東北を代表するリゾート地、安比高原の乗馬クラブに一頭だけ乗馬用の1.5倍の巨体で遊覧馬車を引くダイちゃんという馬がいた。 そして当時、御者の助手をするとともにダイちゃんの世話をしていたのが下沢由紀子さん。
 ダイちゃんは好奇心旺盛でいたずらっ子だったという。 そんないたずらっ子がいざ馬車を引くと・・・多くの子供達や家族連れをあっという間に笑顔にしてしまうのだった。 いつか自分もダイちゃんの馬車でたくさんの人を喜ばせたい。 それが当時、由紀子さんの夢だった。
 だがそんなある日、クラブの役員に呼び出されると、今期限りでの乗馬クラブの廃止が言い渡された。 親会社によるリストラだった。 突然職を失うことになったスタッフ、だが彼らが真っ先に気にしたのは馬のことだった。 馬達は新たな買い手を探すしかなかった。。
2_02  突きつけられた現実、しかし落ち込んでいる暇はなかった。 乗馬クラブが廃止される3ヶ月後までに全ての馬の買い手を探さなくてはならなかったのだ。 やがて馬達は次々と引き取られていった。
 家族同然に過ごしてきた馬達との別れ、しかし由紀子さんはそれ以上に辛い現実を抱えていた。 馬車馬のダイちゃんだけ買い手が見つからなかったのだ。 会社には引き取り手の見つからない馬を飼い続けるだけの余裕はなく、このままだとダイちゃんは処分されてしまう。
 由紀子さんは会社にダイちゃんを売ってくれるように頼んだ。 しかし会社側から提示された金額は100万円、食肉用に売ればこれくらいの値段になるため会社側も譲れないという。 貯金は20万円ほどしかない、やむなく親に泣きついたが娘の無謀な計画に賛成してくれる訳がなかった。 タイムリミットが近づいても打開策は見つからない。
 だが大切な友人の命を見捨てることなどできなかった。 由紀子さんは、残りの80万はいつか必ず返すのでダイちゃんを売って欲しいと会社側に訴えた。 そして由紀子さんの熱意に会社が20万円でダイちゃんを売ってくれることになったのだ。
2_03  知り合いの牧場に頼み込んで、どうにかダイちゃんを置かせてもらえることになった。 だが、預けるために掛かる費用や食費を毎月支払わなくてはならない。 乗馬クラブの馬車は売られてしまったため、馬車として営業することもできなかった。 仕事の合間を縫い中古の馬車を探したものの、生活するだけで精一杯の彼女に買える代物ではなかった。
 日々の生活に追われるうちに「ダイちゃんの馬車」という本来の夢も忘れかけた頃、乗馬クラブ時代の先輩が、出張先で偶然見つけた馬車を格安で購入してきてくれた。 さらに、修理まで買って出てくれた先輩達のおかげで念願の馬車を手に入れることができた。
 後は仕事探し、彼女が思いついたのはウェディング馬車という仕事。 以前、結婚式を挙げたカップルを乗せた経験から思いついたものだった。 そして早速 営業活動を開始、東北地方のホテルを片っ端から当たった。 だが、反応は悪く仕事のオファーが来ることはなかった。
2_04  アルバイトなどをして生計はたてていたが、夢に近づくことができないまますでに6年が経っていた。 そんな折、なんとか事態を打開しようと岩手県が主催する起業したい人を支援するセミナーに通い始めた。
 ビジネスの素人である自分に何かヒントをもらえるかもしれない、藁をも掴む思いだった。 内容は半年間講義を受け、最後に多くの人々の前でプレゼンテーションをするというもの。
 そして、プレゼンテーションに向けた練習発表の時、思いもよらないことが起こった。 市民との交流をはかるために参加していた警察官の中本氏から、もし何か起こったら誰が責任を取るのかと、厳しい意見をつきつけられた。 由紀子さんは答えることができなかった・・・。
 資金も経験もない彼女に唯一残された方法、それは諦めずに強い気持ちをぶつけることだった。 そして、起業家セミナーのプレゼンテーションの日を迎えた。 地元盛岡の人々に企業プランを発表できる二度とないチャンス。 そしてこの日は彼女にとって生涯忘れられない日となる・・・。
2_05  ダイちゃんとの思い出の写真を見せながら話し始めた・・・それはプレゼンテーションというよりは、思いを込めた作文だった。 感情を隠さず、ダイちゃんとの壮絶な日々を語る。 その声は何度も詰り、涙が頬を伝う、なりふり構わず一途な思いを訴えた。 最後に数分間、実際の経営プランを話し、彼女の発表は終了した。
 そして発表が終わった後、思いがけない出来事が・・・。 主催者が意見や質問を募った時、手を挙げたのは以前彼女のプランを厳しく批判した警察官の中本氏だった。 なんと中本氏は、交通安全のパレードの先導をダイちゃんの馬車にお願いしたいと申し出てくれたのだ!! しかも、何かあった時の責任は自分がとるとまで言ってくれた。 彼女の強い思いが人の心に届いたのだ。
2_06  こうして岩手県の交通安全パレードをすることが決まったものの、いくつかの難題があった。 馬は非常に臆病で慣れない音を聞くと突然走り出すことがある。 車や鼓笛隊の音に驚き事故につながる恐れがあったのだ。 全ては由紀子さんとの信頼関係に掛かっていた。
 いよいよ交通安全パレードが始まった。 全長5kmの道のりをダイちゃんの馬車が練り歩く。 そして大通りに差し掛かった時、恐れていた事態が! 車の音や鼓笛隊の音に驚いてしまったダイちゃん。 しかし由紀子さんが宥めると、すぐに落ち着きを取り戻し、由紀子さんにも笑顔が戻った。
 そして、6年ぶりの大舞台を無事に完走。 彼らの絆は少しも変わっていなかった。
2_07  このパレードがきっかけで、ダイちゃんの馬車は多くの人に知られることになる。 そして2005年、大正時代に街から消えた馬車を80年ぶりに復活させる試みが盛岡市でスタート。 しかし以前パレードをやった岩手町と盛岡市の人や車の数は比べもにならず、地元警察の全面的な協力が必要だった。
 だが、ここでも一つの奇跡が。 以前、岩手町で警備を担当した中本さんがパレードの直前に盛岡警察署の署長に異動したのだ。 経験ある中本さんの指揮でイベントは成功した!! そしてこのパレードの大成功の後、ウェディング馬車の依頼も数多く舞い込むようになった。
 そして現在、ダイちゃんは人間で言えば70代、それでも温かくなれば馬車を引く予定があるという。 実は彼女はもう一つの夢を実現させている。 それは自らの牧場を持つこと、そしてその牧場は全て彼女と2000年に結婚した夫・健さんとの手作り。
 そして次なる夢は・・・ 「小さい頃から馬に触れ合うような場を作り出して、町の中に笑顔をいっぱい作りたい」と由紀子さんは語ってくれた。




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