3月1日 オンエア
ゲームと少年巡る特別な3日間 人生変える奇跡の出会い
 
 
photo  今から12年前の11月、これから起こる「特別な3日間」を、男は想像だにしていなかった。 松山洋さん、ゲームソフトの企画・開発を行う会社、『サイバーコネクトツー』の代表取締役社長を務めていた。 彼は、自分たちで開発したあるゲームの仕上げに入っていた。
 それは、2006年5月からプレイステーション2専用ソフトとして販売された『.hack//G.U.(ドットハック・ジーユー)』。 このゲームの特徴は、ゲームの中にいるプレイヤーが特殊なゴーグルを付けているという設定にある。 このゴーグルをつけることで、彼らの意識がネットゲーム『ザ・ワールド』の仮想世界へ飛び、意識の中で冒険を繰り広げる。 その架空の冒険をゲームとして体感できるという仕組みだ。
 また、このゲームは、ストーリーの壮大さから3部構成となっていた。 第1作と第2作は、この年のうちにすでに発売され、年が明けた1月に3作目を送り出す予定だった。
 
 
photo  澤田悦己さん…『.hack//G.U.』の販売元である、バンダイナムコゲームスで責任ある立場の人だった。 澤田さんは口は悪かったが、松山さんは、それを親しみだと思っていた。
そんな澤田さんの叱咤激励のもと、何とか期日までに第3作を完成させ、納品を終えた。
 
 
photo  ホッとしたのも束の間…土曜日にかかって来た1本の電話により、特別な3日間が幕を開けることとなる。 電話の相手は、バンダイナムコゲームスで開発部門の部長をしていた今西智明さん。 週明けの月曜日に、松山さんにがんを患う子供に会いに行って欲しいという電話だった。
 この前日の金曜日、今西さんらの元に1通のメールが届いていた。 差出人は、小児がんの子供とその家族を支援している『がんの子どもを守る会』という団体のソーシャルワーカー、樋口明子さん。 そして、メールに書かれていたのは、その樋口さんが担当している『ある少年』の話だった。
 
 
photo  その少年は、生後9ヶ月で眼球に『網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)』という小児がんの一種を発症し右目を摘出。 小中高校と、残された左目だけで過ごしてきたが、19歳になってその左目にがんが再発してしまった。 それから2年ほど治療を続けてきたが、命を守るためには、残る左目も摘出することが決まった。
 残された時間の中で、少年は母親にお願いして、大好きなものをいっぱい食べた。 仲の良い友人たちとドライブ旅行にも出かけた。 しかし…本当は、もう一つだけやりたいことがあった。
 
 
photo  彼はその想いを、同じく がんで闘病中の年上の青年、山本さんに打ち明けていた。 すると山本さんは、少年の願いを叶えるべく、ソーシャルワーカーの樋口さんに相談。 少年が、光ある世界で最後に望んだモノ、それは…『.hack//G.U.』の新作をやりたいということだった。
 しかし、少年の手術は3週間後の1月9日、新作ソフトの発売日は1月18日だった。 樋口さんは、無理を承知で今西さんたちに連絡をしてきたのだ。
 
 
photo  電話を受けた翌日の日曜日、松山さんは会社のある福岡から上京。 『.hack//G.U.』の新旧担当プロデューサー、中田理生さんと内山大輔さん、この2人と共に少年に会いに行く事となった。
 しかし、一つ問題が…実はゲームは完成しているとはいえ、ディスクはまだ量産前の試験用のもの。 プレイするには問題ないが、パッケージや取扱説明書などは、この時点ではまだ出来上がっていなかった。
 
 
photo  そして、電話を受けてから2日後の月曜日、3人は施設の前までやって来た。 しかし、中田さんは、学生時代に友人をがんで亡くした経験があり、中へ入る事を躊躇した。 そのため、松山さんと内山さんの二人で少年の元へ向かった。 この日は、クリスマス…最高のクリスマスプレゼントにしたいと思った。
 
 
photo  少年の名は、藤原洋くん。 地元は北海道だが、この時、検査と手術を控え上京していた。
 洋くんに手渡されたものは、パッケージされたものだった。 実は前日、松山さんたちは、さすがにディスクだけでは寂しすぎると、最終確認用の印刷物でパッケージを作り、ハサミとホチキスで自作した説明書も入れていた。 市販されるものになるべく近づけたかったのだ。 洋くんは、それを世界に一つしかないソフトだと言って喜んでくれた。
 
 
photo  その後、洋くんを中心に子供たちは夢中になってゲームを始めた。 松山さんたちは、ソフト以外にも、主人公らの声優がサインしたパッケージや、自分たちがサインしたマウスパットもプレゼント。 ゲームを楽しんでくれているのを見届け、その場を後にした。
 
 
photo  当時を振り返り、松山さんはこう話してくれた。
「ゲームは否定されがちで、社会に悪影響を及ぼすとか、教育に良くないとか…この仕事をやっていて我々は必要とされているのだろうかと疑問を抱くことは必ずあるんです。だからこそ、洋くん自身が最後にゲームソフトを望んでくれたことは、(仕事に)大きな意義を見出すことが出来た特別な出来事だったと思います。」
 
 
photo  その後、洋くんは夢中になってゲームを楽しみ、無事にクリアも果たした。 そして、予定通り手術を行い、残された左目を摘出。 その後、故郷・北海道へと帰っていった。
 「.hack//G.U.」の3作目も予定通り1月18日に発売。 売り上げも好調だった。
 
 
 それから、2カ月後の2007年3月、ソーシャルワーカーの樋口さんからメールが届いた。 そこには、お礼とともに、洋くんが書いた詩が添付されていた。 手術前、洋くんが携帯に残していた詩を母親が偶然発見したのだという。
 そこには…こう書かれていた。
photo 『暗闇の向こうには誰もいない 暗闇の向こうには何もない 暗闇の向こうには光がない 暗闇の向こうから声が聞こえる 暗闇に光が照らされなくても その声が不安を打ち消す 暗闇の向こうには誰もいない けれど暗闇の向こうのもっと向こうには きっと誰かが僕を待っている 暗闇の中にいても それは一人ぼっちではない』
これが、今からおよそ10年前の話、2006年から2007年にかけて1本のゲームソフトと少年を巡る出来事である。
 
 
photo  特別な3日間から、およそ10年が経過した2017年。 この日、松山さんはあるプロジェクトの仕上げに追われていた。 それは『.hack//G.U.』の仮想世界、ザ・ワールドの『その後』を追加収録した作品だった。 多忙な日々を送る中で、松山さんは洋くんにこのことを報告したいと考えていた。
 しかし、10年前に教えてもらった携帯番号は既に使われておらず、メールアドレスも変わっていた。 そこで、洋くんの名前と病名でインターネット検索してみると…ある新聞記事がヒットした。 そこには、なんとあの洋くんが写っていた。
 
 
photo  2015年に掲載された記事によると…洋くんは結婚をし、子供も授かっていた。 隣に写る女性は、妻の幸恵さん。 18歳の時に交通事故で視力を失ったが、洋くんと2人、全盲の夫婦として宮城県で暮らしているという。
 ゲームの報告もしたいし、直接会っていろいろ話をしたい。 松山さんは、この記事を書いた記者に問い合わせ窓口からメールを送る事にした。
 
 
photo  個人情報の取り扱いが厳しい昨今、もしかしたらこの願いは届かないかもしれない… それでも、一縷の望みにかけて真剣な想いをメールに綴った。
 そして、メールを送ってから2日後のことだった。 なんと記者本人から電話がかかってきたのだ。 しかも、すでに洋くんと連絡を取ってくれたという。 洋くんも松山さんのことを覚えていたという。 そして、松山さんから連絡があったことを喜んでいたという。
 
 
photo  昨年4月、松山さんは洋さんに会うために、宮城県東松島市を訪れた。 およそ10年ぶりの再会…彼は30歳を過ぎていた。 洋さんは、妻の幸恵さんと2歳の娘さん、そして生活をサポートしてもらうため、洋さんの母親・里洋(りよ)さんと共に暮らしていた。
 新作についてひと通り話した後、松山さんは 再会を機に伝えようと思っていたあるアイデアを話し始めた。 それは…洋さんとの物語を本にするというものだった。 10年前の出来事により、ゲームを作るという仕事に意味を見出した松山さん。 しかし、それはゲーム制作に限った事ではないのではないか。 どんな仕事にも必ず意味がある…それを伝えるため、本を書く事を決意したのだ。
 
 
photo  こうして、10年前の出来事とその後の洋さんの人生を書くための取材が始まった。 松山さんは何度も洋さんを訪ねた。
 手術後、北海道に戻った洋さんは、その後すぐに函館にある『視力障害センター』という学校に入学。 その学校で出会ったのが、妻の幸恵さん。 2013年に2人は結婚し、幸恵さんの実家がある宮城県で新生活をスタート。 そして2年後には、娘の結愛(ゆあ)ちゃんが誕生した。
 
 
 さらに、本を書く上で、洋さんの母親からも話を聞くと…洋さんが最後にゲームを選んだわけ、その真意が明らかになった! 母・里洋さんは、若くして洋くんを産んだ。 その9年後には、弟の翔くんが生まれたが…その後、夫が失踪。 photo 生後9ヶ月で発症したがんの治療のために、東京の病院と自宅のある北海道を行き来する日々。 それでも、女手ひとつで家族の生活を支え続けた。
 そして、洋さんが高校生、弟が小学生になると、里洋さんは夜も働くことになり、家を空けることも多くなった。 そこで…生活は厳しいが、寂しい思いをさせないようにとプレゼントしたのが…ゲームだった!
 
 
photo  しかし、19歳の時に病気が再発。 闘病の中で、辛い現実を少しでも忘れさせてくれたのも…また、ゲームだった。 その中で、洋さんはある一本のゲームソフトと出会う。
 松山さんが開発した、あの作品だった。 ゲームの中のプレイヤーが特殊なゴーグルすることで、彼らの意識だけが仮想世界へ飛び、視覚に頼らず、脳の中で冒険を繰り広げるという設定のゲームだ。 このゲームのような技術が現実になったら…目が見えなくても、脳を介して意識だけがゲームの世界に入り、その世界では色んな物を見ることが出来るかもしれない。 そんな希望を持つことができたのだという。
 
 
photo  洋さんの家で取材を重ねたあと、松山さんは、東京にいる関係者のもとを訪ねまわっていた。 10年前の出来事を本にまとめる…その際、誤りがないように、物語の登場人物たちに話を通しておこうと考えたのだ。
 そして、この日会ったのは、あの特別な3日間を共に体験した中田理生さんだった。 松山さんは、10年前の出来事を振り返りつつ、本にまとめる内容を詳しく話した。 ところが…松山さんの話には『重要なピース』が欠けているという。 それは、バンダイナムコの社員ではない松山さんには知りえない話だった。
 
 
 大手ゲームメーカーのバンダイナムコ、いくら事情があるとはいえ、発売前のゲームソフトは本来簡単に持ち出せるはずがなかった。 それは、特別な3日間が始まる、前日の金曜日のことだった。 photo ソーシャルワーカーの樋口さんからの相談に対して、バンダイナムコ社内では協議が行われていた。 どう対応すべきか?様々な意見が交わされていた…その時! 一喝したのは…あの口の悪い、澤田さんだった!
 澤田さんは、試作品をプレゼントするように指示。 そして、スタッフには、誰に何を言われても『僕は何もわかりません。澤田さんに言われてやっただけです』と答えるように指示したという。
 
 
photo  澤田さんは、現在、パン屋を営んでいるという。 数日後、松山さんは澤田さんのもとを訪ねた。 松山さんが10年前のことを質問すると…「そんな昔のことは覚えてねぇよ」と言う。
 その後は、一方的に松山さんが洋さんの近況を報告。 だが、松山さんは聞き逃さなかった。 帰り際…ドアが閉まる直前、澤田さんが呟いたことを…「洋くん、よかったな」。
 
 
photo  2017年11月、1本のゲームソフトと少年を巡る出来事をまとめた本が完成した。 松山さんは、その本を持って洋くんのもとを訪ね、完成を伝えたという。 洋さんと奥さんは、大きなハンデを背負いながらも母親のサポートのもと、日々、子育てに奮闘している。
 実は、2007年3月に樋口さんがメールした洋さんの詩には、続きがある… 『いつか暗闇から出ることができたなら 暗闇の向こうで待っててくれる人の笑顔に会えるだろう その日が来るまで僕は暗闇の中を笑顔で歩き続ける』
 
 
photo  最後に洋さんはこう話してくれた。
「二つの意味で希望をもらえた。一つは『.hack//G.U.のシステム』が今後もし現実のものとなったら、目が見えなくても出来るんじゃないかと…今でもずっと希望が持ててます。もう一つが松山社長だったり、色んな方と出会えて、特に手術前・手術後のすごい辛い時にゲームというものを通じて明るい気持ちにしてもらえて、それがあったから、あの時くじけずに立ち上がって今でも歩いてこれていると思う。」