2月8日 オンエア
オリンピック史上最も美しい場面 国を超えた奇跡
 
 
photo  12年前、イタリア・トリノで行われたオリンピック。 この日、クロスカントリー、女子チーム スプリントの決勝戦が行われようとしていた。 クロスカントリー チームスプリントは、1週1.15kmのアップダウンのあるコースで行われる。 1チーム2名が1周づつ交互に走り、計6週でタイムを競い合う。 クロスカントリーは、滑るというよりもスキーで走る競技、その中でもチームスプリントは距離が短いゆえに勝敗がコンマ1秒で決する過酷な種目である。
 
 
photo  決勝ではクロスカントリー発祥の地である北欧のノルウェー、スウェーデン、ヒィンランドの3カ国、そしてカナダがメダルを争うと予想されていた。 カナダチームは、前回オリンピックで、カナダ クロスカントリー史上初の金メダルを獲得したベッキーと、前年の世界選手権で入賞を果たしたサラのコンビ。 優勝候補の一角として期待を集めいていた。 サラとベッキーはプレッシャーを感じていたが、メダルを取り 注目を浴びることで、カナダではマイナーなこの競技を人々に知ってもらうことが重要だと感じていた。
 
 
photo  プレッシャーを感じていたチームはここにも…ノルウェーのチームだ。 前回オリンピックで、ノルウェーはクロスカントリー競技中、ほぼ全てでメダルを獲得し、他国を圧倒。 その後の大会でも好調に成績を残し、絶対王者として負けられない意地があった。 さらに、ノルウェー国内でも、メダル獲得は確実だと思われており、国からの期待は二人に重くのしかかっていた。 ノルウェー・クロスカントリーの、ヘッドコーチであるビョルナルにとっても、女子チーム スプリントは絶対に負けられない戦いだった。
 
 
photo  そして、いよいよ決勝戦がスタート! 第1グループは予想どおり、フィンランド、カナダ、ノルウェー、スウェーデンの4チーム。 先の見えない拮抗した展開が続く。
 そして、レースは3周目に突入。 首位に立ったカナダに、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドが僅差で追っていた。
 その時!思わぬアクシデントが発生した! 坂を駆け上る途中で…カナダチームのサラ選手のストックが突然折れてしまったのだ!
 
 
photo  クロスカントリースキーは、4本の足で走ると言われるスポーツ。 ストックは前足代わりになり、前に進む推進力になる重要な役割を担う。 片方のストックを失っただけで、前方に進む力が半減してしまうのだ。
 
 
photo  サラは一瞬のうちに4位にまで後退。
代わってノルウェーチームがトップに立った。
 ルール上、もしストックやスキー板など用具が破損した場合、交換することが許されている。 だが…スペアを持ったカナダチームのスタッフは、近くにいながら異変に気付くことができなかったのだ。 次にストックを渡せるポイントは20mほど先、コンマ1秒を争うチームスプリントにおいて、それは致命的だった。 カナダクロスカンリー界のために4年間努力してきた彼女たちの挑戦は、あえなく終わろうとしていた。
 
 
photo  その時だった! 誰かがストックを渡してくれたのだ! ストックを渡してくれたのが誰かは分からなかったが、その時、サラは遅れを取り戻さなければということしか考えられなかった。
 そこから、カナダチームは猛追撃を開始。 一時は4位まで後退したところを、4周目にして3位に浮上。 そして…首位を走っていた優勝候補 ノルウェーを抜き返し、再び1位に躍り出たのだ! 果たして結果は…!?
 
 
photo  カナダチームは金こそ逃したものの、見事銀メダルを獲得! だが、ノルウェーはその後、まさかの失速、4位に終わりメダルを逃してしまった。 サラはゴールした後、誰がストックを渡してくれたのか気になった。 カナダチームのスタッフではなかった。
 
 
photo  一体誰がカナダチームにストックを渡したのか? 実は、ストックを渡した人物…それは、ノルウェーチームのヘッドコーチ、ビョルナルだった! この驚くべき行為はカナダ中に知れ渡り、大きく報道された。 だがあの時、もしサラにストックを渡していなければ、ノルウェーチームは最低でも3位以上、銅メダルは確実に取れていたはずだった。 一体なぜ、ビョルナルはメダルを争う国、ライバルの選手にストックを渡したのか?
 
 
photo  数日後、サラとベッキーは、ビョルナルの元を訪れ、お礼を伝えた。 それにビョルナルは「僕は普通のことをしただけだよ」と答えたのだ。 そこには、クロスカントリースキーを心から愛する彼の哲学が秘められていた。
 ビョルナルは、ノルウェー南東部にある町、ヘドマルクで生まれた。 幼い頃からクロスカントリースキーを始めた彼には、忘れられない言葉があった。 「たとえ、どんな状況であっても、共に走る者を敬い、助け合うことが重要なんだ」というもの。
 
 
photo  そもそもクロスカントリースキーは、雪深い北欧で生活のための移動手段として誕生したとされる。 当時の人々にとっては、仲間と共に助け合い、無事に目的地へ到達することが最も大切だったのだ。
 その精神は、やがてスポーツとして発展した後も、脈々と受け継がれていった。 だが近年、世界選手権やオリンピックなど 大きな大会では勝利史上主義に…どんな時も助け合うというクロスカントリーの精神は失われつつあった。
 
 
photo  ビョルナルさんはインタビューにこう話してくれた。
「あれは反射でした。考える必要はありませんでした。みんなが2枚のスキー板と2本のスキーストックを使って戦うべきです。もちろん表彰台に上がれることを目指し試合に最善を尽くしますが、あの時一番重要だったのは、お互い助け合うことでした。」
 
 
photo サラさんとベッキーさんも当時を振り返り、こう話してくれた。
ベッキーさん「あの瞬間、彼はオリンピックのしかもメダルがかかってる場面にも関わらず、スポーツマンシップを優先してくれました。本当に特別なことだと思います。」
サラさん「敵チームだった私を助けてくれるなんて信じられません。まさにオリンピックが謳うフェアプレー精神を彼は私に体現してくれたんです。」
 
 
photo  トリノオリンピック終了後、カナダ中からビョルナルを讃える声が殺到。 後日、カナダに招待され、サラ選手と再会。 伝統のパレードに共に参加した。
 それでも彼は、コメントを求められるたびにこう答えた。 「私はただ 当たり前のことをやっただけ」と…
 一方、ノルウェーは、女子チームスプリントの結果が響いたのか、トリノオリンピックでの成績は低迷。 結局、メダル4個に終わり、ヘッドコーチであるビョルナルは責任を問われた。 そして、トリノオリンピック後、ノルウェー代表チームのコーチを辞任することになった。
 
 
photo  トリノオリンピックから12年、ビョルナルさんは現在、スポーツ界を退き、IT企業のCEOとして活躍しているという。 だが、ビョルナルさんの愛するクロスカントリーの精神は思わぬ形で受け継がれることとなった。
 それは、トリノオリンピックから8年後のソチオリンピック。 クロスカントリー、男子個人スプリントの準決勝のことだった。 決勝進出を目指し健闘する地元ロシアの選手が転倒、左のスキーの先端が折れてしまった。 それでも諦めず、諦めずゴールを目指し続ける選手。 コースに入り込み、彼に新しいスキー板を履かせる人物が…誰もがロシアチームのコーチだろうと思った。
 
 
photo  だが…レース終了後、驚くべき事実が判明した。 なんと!カナダチームのコーチだったのだ!
驚くべきは、それだけではない。 彼は、トリノオリンピック チームスプリントで、サラと共に銀メダルを獲得したあのベッキーの夫だったのだ! いつ、どんな時でもお互いを助け合う…トリノでビョルナルが見せたクロスカントリーの精神は、確実に受け継がれていたのだ!
 
 
photo  最後にビョルナルさんはこう話してくれた。
「(平昌オリンピックでは)すべての競技でフェアプレーが見られたらいいですね」